2 抱擁
静牢での官吏と無性の営みは、ほとんどが甘いものではない。
女性性に飢えてやって来る官吏に、無性への労わりを持つ余裕はない。性行為というよりは暴力そのもののそれをたびたび目にして、ロゼは怯えていた。
けれど自分たちがお仕えする立場にあるのは変わりなく、無性たちは望んで閨房に彼らを誘う。ロゼも彼女らにならって、怯えを押し殺しながらジュストを房に引き入れた。
格子のはまった小さな窓が牢獄の印象を与える、四方を壁に覆われた一室。かろうじて官吏が荷物を置く台が備えられているだけで、色も装飾もない。ただ事を成すために、簡素な部屋には不似合いなほど大きな寝台がある。
その寝台を視界にとらえて、ジュストの瑠璃色の瞳が微かに細められた。ロゼはつとめて平静を保とうとしたが、心臓がどくりと音を立てる。
やはり痛むだろうか。一つずつ感情を消して暮らしてきたロゼでも、痛みにはまだ感情をひっかかれる。
それでもかつて花のような気持ちを抱かせてくれた彼にロゼが返せるものは、有翼人種の本能を満たす行為だけだろう。そう思うと、嵐のような暴力を耐えていける気がした。
ジュストに背を向けて着衣を解こうとしたロゼの背に、何かが触れる。振り向くと、抱きこむように後ろからロゼの体に腕を回して、ジュストが立っていた。
「冷たいな」
彼は息を呑んだロゼの前合わせを留めると、手を取って寝台に座らせる。
「何か食べた方がいい」
ジュストは肩に担いでいた荷物を台に下すと、戸惑うロゼの前でパンとチーズを取り出して手際よく切り分ける。それを羊皮紙のような葉に乗せて、ごく自然にロゼに差し出した。
ロゼは不思議なものを見るように目の前のそれとジュストを見比べた。ここに来た有翼人種で、荷物の台をそのように使った者も、まして無性に食事を勧めた者などいなかった。
「このようなものでは食べてくれないか?」
ジュストは立ったまま、困ったようにロゼを見下ろす。
「少しでも体が温まればと」
言葉の意味はわかっても、ロゼにはその行為を理解するまで時間がかかった。
ふわりと記憶が蘇る。五年前、まだロゼが十三歳だった頃、彼女は小川のほとりで花を摘んでいた。
その日、ロゼは居館で父の勧める縁談の相手と会うことになっていた。相手の希望で、ジュストという名前しかロゼには知らされていなかった。
ロゼはまだ幼く、結婚の意味もわかっていなかった。でもロゼが家族以外と会うのは初めてで、待ちきれずに野原に出た。
その人は、どんな花が好きだろう? 涼しげな綺麗な立ち姿の花、それとも鮮やかな色に染まった花? 考えながら花を摘む内に手を滑らせて、小川に花束を落としてしまった。
ロゼが小川のほとりで立ちすくんで泣いていたら、今のようにそっと後ろから腕を回された。
振り向いたロゼは、きっと鼻を赤くした幼子のような泣き顔だっただろう。ジュストはそんなロゼの頭に、そっと花冠を乗せてくれた。
これではだめかな。困り顔で訊ねた彼に、ロゼが迷ったのは一瞬だった。
……ありがとう! まだ彼が王家の血筋と知る前のことで、そのときのロゼは呼吸でもするように優しい少年に恋をした。
「もったいなく存じます」
現在のロゼはそのときのようには笑えない。ぎこちなく葉の皿を受け取ると、うつむきながらパンを口に入れる。
この方の優しい心根は変わっていないのだと思った。一晩限りの無性にも心を痛めているらしかった。
ロゼがパンとチーズを口にする間、ジュストは隣に座って、黙ってその様子を見守っていた。やがてロゼが食事を終えて礼を述べると、彼は首を横に振る。
降り積もる雪が窓を凍らせて、一段と冷えてきていた。一時体内に宿った熱もすぐに散ってしまう。まして食事をしたのはロゼだけで、ジュストは何も食べていない。
けれどロゼは彼を暖める方法を知らず、瞳を揺らして黙っていた。
「君は」
優しく声をかけられて、ロゼは顔を上げる。
「いつからここに?」
五年という月日を言葉にするのを、ロゼはためらった。もしかしたら自分のことを思い出してもらえるかもしれないと、淡い期待を抱いてしまいそうになるから。
それに思い出したとしたら、縁談を破ったロゼを疎むに違いない。どちらにしてもジュストを不愉快にさせる気がした。
ロゼの表情が陰ったのを見て取ったのか、ジュストは問いを続けるのをやめたようだった。一つだけの窓を見上げて、小さくため息をつく。
「話したくないならいいんだ。一夜の相手に心など売らないだろう」
ジュストはロゼの頬に触れて、苦い声音で告げた。
ふいにロゼの視界が動く。ジュストはロゼを寝台に横たえて、のぞきこむように顔の横に手をつく。
「すまない。優しくできるかわからない」
瑠璃色の瞳が危うい光をまとう。有翼人種の本性である獣性が、瞳の向こうにざわめく。
「……君をみつけたら、もう」
そう言って、ジュストはロゼと唇を合わせた。
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