第22話 宴のはじまり

 



 グララルン・ラードの町に夜の帳が下りる。 


 メインストリートには人々が繰り出して、所々で賑わいを見せている。どの酒場もいっぱいの客で、酒を飲んで憂さを晴らしているが、憲兵が巡回するようになってからは、町もすっかり賑わいが半減した。


 一軒の居酒屋で、パルム・リターはグラスを手にラク酒を飲んでいた。 


「思い出しただけで、腹が立つ。……王様に合わせるつもりもないんだもん。役人なんてただのお飾り。庶民の話を聞くつもりも無いんだわ」 


「あんた、そのくらいにした方がいいよ」 


 カウンター越しにバーテンダーが小声で注意する。 


「王宮の悪口を憲兵にでも聞かれたら、あんた牢屋に入れられるよ」 


「望むところよ、入れてもらおうじゃないの。それにこのラク酒、全然おいしくないわ。どんな保存方法なのよ?」 


 リターの目は座り、グラスをバーテンに差し出して、文句を言う。 


「やれやれ……」 


 バーテンは首を左右に振り、あきれ顔で離れていく。 


「……そうか。いよいよ決行か」 


 カウンターの後ろのテーブル席から、男の話し声が漏れ聞こえた。 


「手筈は整った。王宮への侵入経路は確保してある」 


 リターはさりげなく振り返ると、二人の男たちが顔を寄せ合い話しているが、声が大きいので耳に入る。行商人の恰好をしたエントランス人だとリターは認識した。 


「よし、行こう」 


 男たちが立ち上がり、店を出て行く。 


 リターはしばらく固まっていたが、急に弾かれたように立ち上がると、お代をカウンターに置いて店を出ていく。 


 通りに出ると人波の先に二人の姿を見つけ、リターは後を追った。 男たちは足早に王宮の方へと歩いて行く。 


 リターは距離を取りながら尾行をしていき、やがて王宮の東門の辺りへ差し掛かる。繁華街から離れ、辺りはすっかり人通りもなく、静かであった。 


 暗い通りの隅に、馬車が一台と数人の人影が立っているのが見えた。リターは立ち止まり、壁に張り付き様子を伺う。 


 先ほどの男たちはその一団と何やら話していて、やがて、二人が一団に加わり、馬車を引いて東門の方へと向かうので、リターは離れて後を付けていく。 


 男たち一団は東門へと通ずる橋を当たり前のように渡っていく。橋には当然、見張りの門兵が二人立っていた。 


 男たちは門兵の前で止まり、何やらやり取りをしている。すると門兵の一人が馬車の荷台の布を捲り、調べ始める。門の松明の灯りで、荷台に積まれた沢山の野菜が見えた。 


 門兵の許可が出たのか、門が開き、一団が馬車ともども門の中へと吸い込まれていく。 


 リターは闇に紛れて橋を渡り、さり気なく一段の最後尾に加わった。 


 普段のリターならば、決してこんな無鉄砲なことはしないのだが、このときは酔いも手伝い、王宮への不満が理性を飛ばしていた。 



  *        *        *

  


 月が雲間に隠れ、漆黒の闇が王宮を包んでいるようであった。 


 しかし、王宮の最上階部分の王の間だけは、松明が煌々と焚かれ、黄金色に輝いて見えた。 


 使用人が慌ただしく動き、今宵の晩餐の準備が進められている。テーブルには御馳走が並べられ、オーケストラは調律に余念がない。 


 王の間の一段下がったところには、今宵の主賓の席が用意されており、その両隣の席には貴族や町の名士たち来賓の席が用意されている。更にその下の闘技場は今宵、舞台が組まれて、暗闇に浮かび上がるように照明が周囲に焚かれていた。 


 王の衣裳部屋ではロス王が着替えをしながら、執事の話を聞いている。 


 また王妃の衣裳部屋でも、鏡の前で髪の手入れを施されているミターナに対して、女性の執事が報告を入れている。 


「……のようでございます」 


「そうか……あい分かった」 


 鏡に映るミターナの表情は氷の微笑を含んでいた。 


「最高の舞台が整ったようじゃの」 


 続々と着飾った来賓が会場に集まる。 


「神はなぜ、我を生かされたのか……」 


 宰相のウェス・ドムスンがブツブツ言いながら入ってきた。 


 会場の席が人々で埋まり、闘技場の松明が風に煽られ、炎を燃え上がられると、銅鑼の音が響きはじめた。 


 その音をノースランド一家は王の間の豪華な扉の前で聞いていた。 


「なんだか緊張するねえ……」 


 セッツが呟いた。 


 王の間の左の扉からロス王が姿を現した。そして、右の扉からミターナ王妃がドレスを床にずりながら現れた。ドレスの端を侍女が持って付いてくる 


 玉座のように並べられた二つの椅子の前に立ち、ロス王とミターナ王妃は下の貴賓席に向かって手を振って、腰を下ろした。 


 すると二人は視線を交わし、ミターナが差し出した手にロス王は口づけをする。 


「今宵はいい夜になりそうじゃの」 


 ロス王が言った。 


「きっとお気に召すと思います」 


 ミターナは微笑を浮かべた。 


 銅鑼の音が止み、指揮者がタクトを揮うとオーケストラが音楽を奏で始める。 


 目の前の扉が開き、視界が開ける。 


「どうぞ」 


 従者がビンデたちを促す。しかし、先頭のビンデは動かない。眩しさで目が眩んで動けないのだ。 


「どうぞ」 


 もう一度、従者が念を押すとビンデが体を震わせながら床を一歩一歩、確かめるように歩き始めた。身体をこわばらせ、ぎこちなく手足を真っすぐ伸ばし歩く様は、誰からも滑稽に見える。 


 先導する従者の後を、ビンデを先頭に、杖を付いて歩くセッツとそれに寄り添い歩くヤーニャ。灯りに照らされて浮かび上がったその姿に会場の中から失笑が漏れる。 


 まず三人とも服のサイズ感が滅茶苦茶である。ビンデの服は首が完全に隠れる顎まで届くほどの襟と、結び目の大きめな白いネクタイにストライプのベスト。黒いズボンに幅広のサスペンダーを付けて、先の丸くなった革靴を履く。 


 女性陣のドレスはセッツが赤で、ヤーニャがピンク色。スカートは、大雨の時にさす傘のように大きく開いており、足元のヒールが見えている。セットされた髪型も波打って、化粧が濃い。 


 三人とも明らかに道化である。 


 ロス王は、ノースランド家の三人が登場すると手を叩き始めた。すると、それに反応して会場にいる人々が次々に拍手を鳴らし始めた。 


 従者がテーブルの前で止まり、ビンデたちの方を振り返った。 


「ガリアロス・ロス王の御前でございます」 


 上を仰いで、一礼する。ビンデたちもそれに習って頭を下げると首が絞まって頭が下がらない。 


 それに対して、ロス王とミターナ王妃は微笑みで返した。 


 従者が椅子を引き、三人が席につくとロス王が立ちあがった。 


「今宵は大変穏やかな、いい夜気に包まれておるが、しかし、余の胸は、何か起こりそうなゾクゾクとする予感を抱いておる。その最たる理由がこの前にいる一家。彼らのことをいったい何者だと訝しく思った者も多いだろう。どこの田舎者だと?」 


 ここでどっと、笑いが起こる。 


 するとビンデたちの横に立っていた男が王に会釈をして、聴衆に向かって話しをはじめた。 


「紹介しましょう。彼らは、かつて王族に名を連ねていたノースランド一族の末裔であります」 


 僅かではあるが、聴衆の中からどよめきが起こる。 


「知る人もいると思います。三百年前、サウズ・スバートを建国した偉大な王ガリアロス・ネスに仕えた十騎士。その中の一人、騎士団長ノースランド・ガンツの名を。彼らはその末裔なのです」 


 今度はどよめきが大きくなった。 


 ビンデたちは、やはりといったように顔を曇らせた。 


「ならば、本来はそちら側の席に座っていてもおかしくない身分であるはずなのに、彼らがなぜ今では貴族ではなく、庶民に落ちたのか?これも知っている人が居られるかもしれません。ノースランド・ガンツが起こした事件について、英雄が地に落ちた最悪な事件のことを。今宵はその顛末を振り返ろうと思います」 


 流暢な言葉で聴衆を引きつけ、男が舞台の方を示した。すると、舞台上がパッと明るくなる。 


 ミターナが満足げに微笑む。 


「フンッ、手の込んだことをするね」 


 セッツが呆れたようにつぶやいた。 


 舞台の上に一人の男が立っていて、スポットが当てられ、語りはじめる。 


「かつて、三つの国に分かれていたムーア大陸を一つにまとめ上げ、現在のサウズ・スバートの礎を創った偉大な王ガリアロス・ネス。その腹心にノースランド・ガンツと言う英雄がおりました。彼は屈強な十騎士を束ねる騎士団長を勤めるほどの人物であり、皆に慕われ、また恐れられた存在でした。彼の妻はかつてのル・バード国の王家の出であり、サウズ・スバート建国後も王を支える重臣の一人として仕え、誰もが羨む生活をしていたのです。ところが、人々が平和を享受していたある日、事件は突如として起こったのです」 


 語べの姿が袖に消えると代わりに、赤いマントを羽織った男とそれを追いかけて黒いマントを羽織った男が袖から現れる。 


「ネス王、待って下さい。一体どういうことです?私を都から追い出すつもりですか?」 


 黒いマントがガンツのようだ。 


「何を言っている?スウ国への派遣は建国間もなく、まだ完全に国が一つにまとまっていないあの地域の治安を治めてほしいという願いからではないか。特に遠方にあるル・バードへの監視の意味あいもあり、其方だからこそ、この大役を担えると思っての事じゃ」 


 赤いマントの精悍な姿のネス王役の俳優が言った。ネス王に比べ、ガンツは背が低く、貧弱さが舞台上ではよく目立つ。 


「フンッ、それは口実で、あなたは私の力を恐れているのだ。このガンツの人望を」 


「なに?」 


「いつか寝首をかかれるやもしれんので、都から追い出し、辺境の地へ追いやってしまおうというお考えなのでしょう。あんなスウ国のような野蛮な民ばかりの枯渇した大地に私を埋もれさせようとお考えなのでしょう?」 


「バカな。余の心が見えんのか?」 


 ネス王が大袈裟に腕を振って、胸に手を当てる。 


「見えているからこそ言っているのです。結婚とてそうだ。ル・バード国の王妃との政略結婚、私には将来を誓い合った人がいたと言うのに……」 


「それは済まぬと思っておる。それもこれもサウズ・スバートの為、今しばらく辛抱してくれぬか?」 


「イヤです」 


「なにい?」 


「もうあなたの言いなりにはならない」 


「考え直せ」 


 ネス王がガンツの手をとる。 


「離してください」 


 ガンツがネス王の手を払いのけ、突き飛ばした。床に尻もちをつくネス王。 


「おのれ、無礼もの。誰か」 


 すると、舞台袖から兵士の恰好たちが現れる。 


 何時しか来賓たちは、劇に吸い込まれていく……。 

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