第13話 拳闘士ルーカス




 地下道は益々暗くなり、湿っぽくなってきた。やがて、鉄格子が並んだ通路に立った。 そこにも見張りの兵士が二人いて、料理を運んできた兵士を労った。


「食事の時間だ。お前たち、扉の前から離れろ」


 食事を入れる小さな扉を開け、見張りの兵士二人が槍を構えた。格子の前では食事係りが皿に料理を入れて、中の奴隷が一人ひとり食事を取りに来る。奴隷たちはみな、逞しい体に無数の傷があり、精悍な面構えをしている。


 ビンデは、料理を鉄格子に入れる様子を兵士の後ろから見つめていた。


「どうだ、ルーカスは?」


 食事を配り終えると、係りの兵士が中を覗いて聞いた。


「いいわけがないだろう。死神が横に張り付いているさ」


 奴隷の一人が言った。


「最後の試合の為に国王様が気に掛けてくれ、ムン族の故郷の料理、ラッツの肉煮込みを与えてくれたんだぞ」


 係りが料理皿を顎で指して言った。


「……」


 部屋の隅で寝ているルーカスは、返事どころか動く様子もない。


「置いおくよ」


 奴隷の一人が皿を受け取ると、係りの兵士たちは引き上げて行く。


「くそ、なめやがって。何が最後の晩餐だ。国王のヤツ、完全にルーカスを始末しようとしていやがる」


 奴隷の一人が息巻いた。


「闘いの場まで命がもつかどうか……?」


「……くれ。せっかく国王が用意した食事だ。俺は食べる」


 寝ていたはずのルーカスが起きあがり、は擦れた声で訴えた。


「その体で、大丈夫か?」


「なに、かすり傷さ。飯を食って休めば、すぐに闘える。そして……勝って、自由を勝ち取る……」


「ほら」


 奴隷が悲しそうな顔をして、料理の入った皿をルーカスに手渡す。


 ルーカスは震える身体で、皿の上の料理を手づかみする。


 大きな体が呼吸するたびに波打つ。腹を押さえ、どす黒くなった布を腹にあてがい、指の間から血が流れ出ていた。


「このまま放っておいても助からないのに、国王の奴まだ闘わせようとしやがって……」


 奴隷が泣きそうな顔をしながら言った。


「流石はムン族の戦士だ。死ぬまで決してあきらめない」


 突然、聞きなれない甲高い声が監獄内に響いて、奴隷の拳闘士たちは驚いた。


「誰だ、今のは?」


 奴隷たちが周囲を見回すと、鉄格子の外に小太りの男が立っていた。


「何もんだ?」


 咎めるように奴隷が尋ねた。


「俺はノースランド・ビンデってもんだけど、激励にきた。俺はあんたの闘う姿が見てみたいんだ。ムン族の最強の戦士の最後の意地ってヤツをさ」


「馬鹿野郎、この傷で闘えるわけがないだろう」


 ルーカスの隣にいた男がビンデに詰め寄る。


「待てっ」


 そのとき、ルーカスが叫んだ。


 その声に奴隷やビンデも震える。


 ルーカスは立ち上がり、ビンデの元へ歩いて行く。


「奴隷になったその時から、すでにこの命は無いものだと思っている、ガリアロス王に言っておけ。この命、欲しければくれてやる。だが、必ず勝って、国王の目の前で自由を手に入れてやるとな」


 ルーカスは鉄格子を血の付いた手で握り、ビンデを見下ろした。


 すると、ビンデはその血の付いた手に自分の手を重ねた。


 ぼんやりと指輪の宝石が赤く光る。


「その意気だ。最後の雄姿、必ず見に行くから……おっと、傷口に当てる布がやばいな。これを使うといいよ」


 ビンデはポケットの中から清潔な布を取り出して、格子越しにルーカスに手渡した。


「あっ?ああ……」


 ふと我に返り、ルーカスは狐につままれたような顔をする。


「じゃあ、健闘を祈る」


 ビンデは一礼して、当たり前のように兵士たちのいる雑居房の出入口に向かっていき、姿を消した。


「なんだい、今のは?」


 同じく、狐につままれたように、奴隷の一人がつぶやいた。


「分からん……しかし、こいつが無ければ、死ぬ前に幻を見たと思っただろうよ」


 ルーカスは、ビンデがくれた布を見つめた。




 王宮の何処かから、銅鑼の音が鳴り響いていた。


「どこへ行ってたんだい?」


 ビンデが控室へ戻ってくるとセッツが聞いた。


「ちょっと、探検……」


 ビンデが部屋の中を見回すと、芸人たちが皆、横になり寝ている。


「いったい何時なんだ?今は?」


「さっき、銅鑼が聞こえてきたでしょう?あれが国王の晩餐の合図で、だいたい、いつも九時ぐらいに始まるらしいよ」


 ヤーニャが言った。


「みんな寝るの早っ。……って、晩餐始まってるのに俺たちはほったらかし?」


「さっき、アルフレドさんがやってきて、今夜の接見は無いんだって」


「マジか?」


「うん。それで、一夜を控室で過ごしてほしいって」


「ふざけんなよ。どこで寝るんだよ?寝るところなんてないじゃんか」


 ビンデは室内を見回して言った。 芸人たちが寝ていたり、その荷物で足の踏み場もない。


「いいよ。この椅子をどかせば、三人何とか寝られるでしょう?」


 母は自分の座っている長椅子を触り言ったが、ビンデは顔をしかめた。


「いや、無理でしょう」


 三人掛けの長椅子をどかしたところで、寝るスペースはない。


「誰かに言って、寝るところを用意して貰うよ」


 ビンデは再び、部屋を出て行く。


「ったく、腹立つ。国王に会ったら、ぜったいに文句の一つも……」


 ブツブツ独り言を言いながら、兵士を探す。


 会いたくないときは居るのに、探している時は見つからないものだ。廊下をしばらくふらついていると兵士が二人、階段の前に立っているのを見つけた。


 ビンデが近づいて行くと、兵士は持っていた槍を手前に差し出して、ビンデを制する。


「止まれ。ここから先は王の間だ」


「あの、王様に王宮に呼ばれた者なんだけど……」


「なに?嘘をいうな。今宵はもう誰も上には通さぬようになっている」


 兵士の後ろには階段があり、上まで煌々と明かりが付いている。その奥から銅鑼の音や 楽器の音色が聞こえてくる。


「いや、それはいいんだけど、今夜、寝る場所がないんで、どこか用意して貰えないかと思って」


「控室があるだろう?」


「満杯なんだよ」


「街の宿に泊まればいい」


「今から?それに王宮を出てはならぬ、とか言われているんだ」


「だったら、どこでも好きな所で寝るがいい。咎める者はない」


「好きな所?どこでもいいの?」


「ああ、そうだ。廊下でも階段でも好きな所だ。分かったら、さっさと立ち去れ」


 有無も言わさぬ、物言いで兵士は追い払うように手を翻した。


 ビンデはムッとして、鼻を鳴らしたその時、階段の上から歓声が聞こえてきた。


「なんだ?もう始まったのか……」


「何だと?何か不服があるのか?」


 ビンデの独り言に兵士が詰め寄る。


「いや、何でもない。こっちの事……」


 ビンデは引き返していき、柱の陰に身を隠し、フードを被った。すると、体が透明になり、姿が見えなくなる。


 そして、階段の前に立つ兵士の脇をすり抜け、先ほど、横柄な対応をした兵士の後ろへ回り込むと、膝カックンをした。


 膝が折れ、バランスを激しく崩した兵士は隣りの兵士に変な目で見られ、取り繕うように後ろを振り返り、首を捻った。

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