第14話 セッツの杖

 



 観客席を埋めた人々から歓声が上がり、闘技場にルーカス・アリバスが姿を現した。


「ルーカス~ゥ、不死身の男」


「百勝だ、ルーカスゥ」


 客席から声援が飛ぶ。


 ルーカスはビンデに貰った布を腹に巻き、ゆっくりと闘技場の中央に歩いて行く。その足取りは、どこか、フラフラしていて、ぎこちない。


 ロス王は怪訝な顔をして、闘技場のルーカスと隣のミターナを交互に見た。


 ミターナもまた訝し気に闘技場のルーカスを見る。


 ルーカスは闘技場中央に立った。


「今宵、ルーカス・アリバスには前人未到の百連勝が掛かっております。百勝すれば、晴れて自由の身。果して、百勝に手が届くか。そのルーカスに対するのはエントラントの毒サソリの異名があるムント・コウ」


 アナウンスの声が場内に響き、ひと際、歓声が上がる。


 反対側の入場口から細身の男が姿を現した。エントラントの民族衣装に身を包み、長い鉄の槍を手にして、悠然と闘技場の中央に向かう。


「ルーカスの傷の具合はどうなんでしょうか?」


 ミターナのグラスを持つ手が震えている。


「分からぬ……クロウスン」


 ロス王は後ろに向け、声を掛けた。


「はい」


 背後から、執事のクロウスンが姿を現す。若く、有能そうな執事である。


「ルーカスは確かに瀕死の重傷だったのだな?」


「間違いございません。報告ではそのように承っております」


「では、なぜああして、平然と立っていられるのじゃ?」


 ロス王は闘技場を指さした。


「見当もつきませぬ。報告をした者を処罰いたしますか?」


「ルーカスが負ければ問題ない。だが、勝った場合はそうなるかもしれん。お主も含めてな」


「……はい」


 クロウスンはゴクリと咽喉を鳴らした。


「あのエントラントの男、デカいな」


 闘技場の中央で対峙したルーカスとムント。ムントの方が僅かに背が高い。しかし、体格はまるで違い、筋骨隆々のルーカスに対し、ムントはその半分くらいしかない。


「それでも勝負になるのか?」


 観客から不安な声も出る。


「さあ、今宵は特別な夜。第二十代目国王、ガリアロス・カス王の命日でございます。その日にふさわしく、カス王が愛した拳闘士の闘いを急遽開催することにいたしました」


「カス王の命日?」


「本来なら、闘いは一週間に一度がルール、そのルールを捻じ曲げる言い訳なんだろうよ」


 アナウンスの言葉に観客があきれ返る。


「更にルーカスは、この闘いに勝利すれば百勝目。晴れて自由の身であります。一方、ムント選手でありますが、急遽、闘いに名乗りを上げた勇者でございます。情報はあまりありませんが、何でもエントラントの傭兵部隊にいたことも有るとかないとか。いずれにしてもルーカス選手にとっては強敵……」


「大丈夫か?そんなのが相手で?」


 観客からムントに対する不安の声が上がるので、興行師は試合を急がすためにロス王に視線を送った。


 ロス王は苦々しい顔のまま、手を挙げ闘いの合図を告げる。


「それでは両者、一歩前へ」


 両者は一歩、前に近づく。


 王たちのいる下の階の特等席にビンデは座り、闘いが始まるのを、固唾を飲んで見守っていた。


 ムントは飄々とした顔でルーカスを見つめる。


 一方、ルーカスは半信半疑で腹に手を当てた。その瞬間、ルーカスの表情が変わった。


「はじめっ」


 合図とともにムントが長い槍を振りあげて、ルーカスの脳天に振り下ろした。


 ルーカスはそれを左に重心をずらしかわしたが、地面についた鉄棒をムントはルーカスを薙ぎ払うように横に振った。


 ルーカスは頭を下げ、地面を転がってそれをかわし、膝を立て、腰の剣を抜いた。


 客席から歓声が上がる。


 ミターナはルーカスの動きを見て、ロス王に視線を投げかけた。


 ロス王はあんぐりと口をあけ、瞬きも忘れた。


 ルーカスは剣を構え、ムントと対峙している。


「へへっ、おかしいな。怪我して、瀕死だって聞いてだんだが……」


 ムントが独特の足の運びで間合いを計る。


「どうやら、奇跡が起きたようだ」


 ルーカスはニヤリと微笑んだ。


「奇跡?」


「おっと、余計なことを言ったな。最後の相手がエントラントの男か。これも因縁というやつか」


 ルーカスは鼻を鳴らした。


「何をさっきからブツブツと……」


 ムントは長い腕と槍を上半身ごと回転させて、攻撃を仕掛ける。


 遠心力で威力が付いた槍をルーカスは剣で受けるが、剣ごと体のバランスを崩して、ふらつく。そこへ体を回転させ、槍を振り回して迫ってくる。


 ルーカスは剣で攻撃を受けるが、勢いで尻もちをつく。


 流れの中でムントは懐の中から手裏剣を取り出し、ルーカスに投げた。ルーカスは手のひらで手裏剣を受け止めた。


 つかさずムントが槍を振りかぶり、ルーカスの脳天に下ろした。


 ルーカスは剣の柄と刃を持って、それを受け止める。刃を握った右手から血が滴る。


 ムントは目を剥いて、一歩後退すると、槍の柄を右手に握り、肘を引くと一気にルーカスに向かって突き入れた。


 ルーカスは手のひらに刺さった手裏剣を引き抜き、ムンクの顔面向かって鋭き投げた。槍の先がルーカスに届くより早く、手裏剣が、ムントの左目に突き刺さる。


 ムントは衝撃で、目を押さえ、後退する。


 そこへ疾風迅雷のようなルーカスの剣が、ムントの胸に突き刺さった。会場に静まり返り、時が止まったようになる。


「ルーカーァスぅ」


 それを打ち破るように、ビンデが大きな声を上げた。すると、瞬く間に会場は歓声に包まれる。


 ロス王は肘掛を激しく叩き、立ち上がった。




 闘技場から引き返えしてきたビンデは、興奮冷めあらぬように鼻を鳴らした。


 控室へ戻る途中、ふと廊下の先が気になったので行ってみると、ちょっとした空間が広がっていた。


 そこは王宮の西側へと通じる通路の真ん中に作られた憩いの場のような空間で、天窓から夜空の星が見上げられた。


「ここいいじゃん」


 通路より三段上がった段の上に毛布にくるまり、三人が川の字になって寝る。


 通路に引かれた絨毯が程よい硬さで寝心地がいい。


 見上げると天窓から星空が眩いばかりに煌めいている。


「なんだか外で寝ているみたいだね」


 セッツがつぶやいた。


「寒くない?」


 ヤーニャが聞いた。


「思ったより、暖かいね。グララルン・ラードは」


「ナターシャより、南にあるからね……」


「……」


 ビンデは疲れてすでに眠っていた。


 王宮での一日目が終わった。




 夜中、セッツがふと目を覚まし、何やらごそごそと起き上がる。


「トイレ?」


 ヤーニャが起きて聞く。


「ああっ」


「そこを下りて、右の壁際だって。ついて行こうか?」


「いいよ。一人で行ける」


 その言葉にヤーニャは目を閉じる。


 セッツは懐からハンカチを取り出すと床に引いて、その上に正座して座る。すると、ハンカチは浮き上がり、セッツもろとも床を滑るように進んでいく。


 トイレのある場所の滑り込んでいき、姿が消えた。しばらくするとセッツはハンカチで手を拭きながら姿を現した。


 足を引きずるように歩いていたセッツであったが、ふと何かに気付いて立ち止まった。


 振り返り、廊下の闇を見つめる。


「……私を呼んでいるみたいだね」


 廊下の先に兵士が二人階段の前に立ち、虚空を見つめている。そこへハンカチに乗ったセッツがマントを被り、床を滑るように移動していく。兵士たちはその姿に気付くことはなく、セッツは二人の間を抜け、階段を上っていく。


 階段を登りきると、広い廊下の両側に兜や甲冑など展示されいる空間が続く。その間を通り過ぎると、次は様々な動物のはく製が飾られている。


「趣味が悪いねぇ」


 つぶやいた声が空間に響き渡ると、廊下を足音が近づいてくる。


 見回りの兵士が緊張した面持ちで、周囲を見回しながらセッツの脇を通り抜けて行く。


 セッツはニヤリと微笑んで、先へ進む。すると、ガラスのケースに入った様々な品が並べられたコーナーに差し掛かると奥の方から風が吹き、床の埃が舞う。


 セッツは先へ向かい、とあるガラスケースの前で止まり、ガラスケースに手を付いて中を覗き込んだ。


「ワシの杖……」


 そこには黒い木のケースに収められた細長い枝のような棒があった。先端は細長く、反対は太くなり、瘤のようになっている。


『現存する最後の魔法の杖』と紹介が書かれているが、埃だらけのガラスケースといい、同じケースの中にある他の展示物のしょぼさといい、とても大切に保管されているとは思えない。


「持って帰ろうかねえ?……誰にも気づかないだろう?」


 つぶやいてショーケースに手を掛けるが、ふと、脳裏に竜が火を吹く映像が浮かんで手を止めた。


「……やっぱ、止めよう」

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