第三話     その名は宮本武蔵

 伊織はステータスの中身を確認すると、その場で飛びはねんばかりに嬉々ききとした表情を浮かべた。


 遠目ながら武蔵も伊織のステータスの中身を読み取ることができた。


 伊織が出現させた半透明の板には、何やら色々な文字が記されている。


 名前や性別、その他の身体的な内容以外にも職業という項目こうもくなどだ。


 そして、そこには〈未熟な剣聖〉なる文字がはっきりと記されている。


「これって私は剣聖の名に相応ふさわしいほど剣の才能があるって意味ですよね。RPGなら勇者と肩を並べるほどの実力を持ったソードマスターみたいな。マジでヤバい。興奮しすぎて鳥肌が立ってきたんですけど」


 伊織は半透明の板からアリーゼへと顔を向けた。


「さっき〝学院〟と仰っていたと思うのですが、それってこの国には魔法使いを養成する専門機関が存在していて、魔法の適性に優れた人間はそこで勉強して一人前の魔法使いを目指すってことですよね?」


「よくご存じですね。なぜ、知っているのですか?」


「オタクなら知っていて当然ですよ! 異世界転移物の王道じゃないですか!」


 武蔵は意味が分からないとばかりに小首をかしげた。


 ステータスという半透明な板を空中に出現させる原理もさることながら、アリーゼと伊織の話している内容の意味がまったく理解できなかった。


 どの単語も武蔵が生き抜いてきた時代にはなかった言葉ばかりだったからだ。


 そんな頭上に疑問符ぎもんふを浮かべていた武蔵とは裏腹に、伊織は鼻息を荒げながらアリーゼの両肩をつかんだ。


「きっと学院には魔法使いの他にも騎士や剣士もたくさんいるんですよね。それこそ、凶悪な魔物すら簡単に倒せてしまうほどの本物の剣聖もいるんでしょう?」


 だったら、と伊織はアリーゼの両肩を掴んでいた手に力を込める。


是非ぜひとも私を学院に入学させてください! 私は今よりもっともっと強くなって本物の剣聖になりたいんです! 日本史上……いいえ、人類史上最強とうたわれた大剣聖、宮本武蔵のように!」


(あやつ、俺のことを知っているのか?)


 確かに伊織は自分の名前である、宮本武蔵の名前を口にした。


 しかし、どれだけ記憶を探っても伊織のような少女と出会った覚えはない。


 なぜなら、伊織は年若い少女ながらも今まで出会った女の中でも美形の類に入るからだ。


 ならば忘れるはずがない。


 などと武蔵が首をかしげていると、アリーゼは素っ気ない態度で伊織の手を払い落とした。


「無理です。あなたは学院に入学できません。いえ、入学させるわけにはいかないのです」


「な、なぜですか?」


「当然です。学院は〝魔法使い〟の養成施設。剣士や騎士などという、魔物に対して無力な存在を育成する場所ではないからです。ましてやあなたは〈勇者の卵〉どころか、天掌板てんしょうばんを出す何の魔法の素質が無い〈もの〉……そのような者は学院には必要ありません」


 次の瞬間、武蔵はアリーゼの全身から凄まじい〝気〟が沸き上がるのを見逃さなかった。


 それは一流の剣境けんきょうに至った兵法者と比べてもまったく遜色そんしょくがないほどの猛気もうきであった。


 しかもその猛気の発生源が下丹田げたんでんではなく、眉間みけんの位置にある上丹田じょうたんでんから練り上げられたものだと見抜いた。


 そしてアリーゼは上丹田から練り上げた気を右手へと集め、呆気に取られていた伊織の身体を激しくその右手で掌打しょうだした。


 アリーゼの一撃を受けた伊織は、後方へと突き飛ばされる。


 しかし、鍛えられた肉体と反射神経がこうそうしたのだろう。


 伊織は激しく突き飛ばされたものの、何とか踏み止まって転倒を防いだ。


 武蔵は咄嗟とっさに伊織の身体を受け止めようと身構えていた。


 それほど伊織は武蔵の目の前まで突き飛ばされてきたのである。


 一方のアリーゼは信じられないとばかりに大きく目を見開いた。


「軽めとはいえ、魔力で身体強化した一撃を受けて耐えるとは……まさか、魔力を跳ね除けるような別な力が異世界人にはあるとでも言うのですか?」


(あれも魔法のたぐいなのか?)


 伊織とアリーゼの一連のやり取りを静観していた武蔵は、女の攻撃とは思えないほどの重さが感じられたアリーゼの掌打しょうだに対して全身を小刻みに震わせる。


 それだけではない。


 武蔵は全身を震わせながらも、口のはしを鋭角に吊り上げた。


 恐怖から来る震えではなかった。


 それは獲物を目前に歓喜かんきした、獰猛どうもうな〝虎〟の笑みである。


(たぎる……血がたぎるわ)


 先ほど見せられた火の魔法とやらに続き、魔法で肉体すらも強めることが出来るなど驚愕きょうがくである。


 だからこそ、武蔵はこらえることができなかった。


 目の前でぜいの極みを尽くしたご馳走を並べられて、指をくわえたまま黙っていることなどできない。


「いきなり何をするんですか!」


 態勢たいせいを持ち直した伊織は、アリーゼに怒りをあらわにした。


 転倒こそまぬがれたものの、攻撃された箇所かしょに痛みが残っているのだろう。


 伊織は表情を歪めながら左手で胸部を押さえている。


 武蔵も人の子である。


 負傷した伊織に対して、あわれむ気持ちは人並にあった。


 平穏時ならば介抱かいほうの一つもしたかもしれない。


 けれども人外の技を持つ人間を前にして、兵法者の気持ちがたかぶっている今は無理であった。


「娘、そこを退け」


 武蔵は胸を押さえている伊織に近づくと、はえを追い払うような仕草で伊織の身体を押し退ける。


 すると伊織は何メートルも横に吹き飛ばされた。


 しかも武蔵に軽く叩かれた伊織は踏みとどまることができず、何回もきりもみしながら転倒したのである。


 これには武蔵を除く全員が目を丸くさせた。


 それほど武蔵が放った軽めの叩きは、アリーゼの魔力で身体強化した一撃より何倍もの威力があったことを示したからだ。


 武蔵は落ち着いた様子で伊織に軽く頭を下げる。


「すまぬな、日ノ本ひのもとの娘。そこの南蛮の娘と死合う気がたかぶってうまく手加減できなんだ。あとで正式に謝罪するゆえ――」


 許せよ、と言うなり武蔵はアリーゼに向き直った。


「私とシアウ? あなたは一体、何を言っているのですか?」


 アリーゼが頭上に疑問符を浮かべたのも当然であった。


 死合しあうとは、武蔵が生きていた時代の武芸者同士が〝命を賭して戦う〟ことの通称である。


「死合うの意味が分からないのならば構わん。魔法を使う南蛮の娘よ、いいから俺と闘え」


 武蔵は下丹田げたんでんに意識と力を集中させた。


 すると自然と肩の力が抜けていき、筋肉を意識的に固めたときの力強さとは別の〝力〟が全身に行き渡っていく。


 アリーゼは怪訝けげんな表情を浮かべ、小さく首を左右に振った。


「それこそ意味が分かりません。どうして私があなたと闘わなくてはならないのです?」


「お主が強いからよ。それも魔法なる人外の技を使うのならばなおさらだ」


 武蔵は腰にびていた大刀を抜き放ち、アリーゼに切っ先を突きつける。


 よく分かりました、とアリーゼは吐き捨てるように言い放った。


「ステータスを確認しなくとも分かります。どうやらあなたも〈勇者の卵〉ではなく〈もの〉のようですね。ならば、それなりの処置を取らせていただきます」


 アリーゼは「衛兵!」と声高に叫んだ。


 壁前に整列していた金属鎧の人間たちが一斉に武蔵を取り囲む。


「魔法の素質もない異世界の〈もの〉など必要ありません。本来ならば死罪に相当する罪人たちと同様、街災級の魔物が生息する森に追放するのですが、大人しく捕縛ほばくされるのならば最低限の生活は保障しましょう」


 城の地下でですがね、とアリーゼが下卑げびた表情を作った。


 だが、武蔵にはどこ吹く風であった。


「先ほどから聞いておれば、よく分からないことをべらべらとようしゃべる。しかも人のことを〈もの〉だの〈勇者の卵〉などと……俺にも世に通った名があるわ」


「大人しく捕まるのですか?」


「断る。どうして貴様らなどに捕縛ほばくされねばならんのだ。どうしても俺を捕縛ほばくするというのなら、ここに死体の山をきずくことになるぞ」


「死体の山? 異世界の〈もの〉は現状も把握はあくできないのですね。あなたを取り囲んでいる衛兵たちの姿が見えないのですか? 魔法も使わず、この状況を抜け出すことが出来るわけないでしょう」


「出来ると言ったら?」


 面白いですね、とアリーゼは勝ち誇った顔で両腕を組んだ。


「やれるというのならば、見せてもらいましょうか。もしもあなたが魔法も使わずたった一人で衛兵たちを倒せたならば、城の地下ではなくこの国での自由な生活を保障しましょう。異世界の〈もの〉さん」


「分からぬ娘だな。俺は〈もの〉などという名前ではない」


 武蔵は右手に持っていた大刀を左手に持ち直すと、空いた右手で小刀を抜いた。


「俺の名は宮本武蔵――」


 そして武蔵は、大刀と小刀の切っ先が胸の前で交差する構えを取った。


「天下無双だ!」

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