第9話 ルーズベルト侯爵家(3)

「呪いってどう言うことよ!?」


なにやら聞き捨てならない言葉をさらっと流すんじゃないわよ!


横から槍を入れた私に、ノアはまるで邪魔な路端の小石を見るかの様な視線をよこす。


「いちいち反応がうるさいよ、シャーロット。そんな大きい声出さなくても聞こえてる」

「ええ、ヴァレンタイン様に全面的に同意です。セシリア様の御前なのですよ?」


凍てつくような絶対零度の瞳に射抜かれてぶるりと体が震えた。


「うっ…悪かったのは認めるけど、そんな2人してそんな目しなくても……」


まるで蛇に睨まれた蛙ならぬ、ノアとモニカに睨まれたシャーロット。

ヒエラルキーの崩壊だ。


私公爵令嬢なのに……。


しょんぼりと落ち込みたい気持ちを押し留め、ノアの言葉を待つ。


「シャーロット、先ほども言ったけれど、僕にはルーズベルトの額に魔法の残り香がうっすらと見える」

「え、ええ。言っていたわね。でも私には見えないわよ?」


モニカとは違い、私は歴とした公爵令嬢だ。

王家の血を濃く受け継いでいるし、過去を遡れば王女などが降嫁されているという歴史も相待って、貴族の中では随一の魔力量を誇ると言っても過言ではない。

私個人としては繊細な魔力操作よりは剣などの物理的な武術の方が得意なのだが、武を司るオルレアン家公女として一通り魔法は習っている。


そんな私でも感知できないものが本当なのかと訝しむ。


一応、とセシリアの額を覗き込むも、特有の輝きを放つ魔法陣はちらりとも目を掠めない。


「見間違いじゃない?」

「いや、僕にはみえる」

「だから見間違いじゃないのーー……」


言いかけて、言葉が出てこなかった。


ノアの怖いくらいに凪いだ瞳の青さに、喉が一瞬引き攣って、言葉が出てこない。


こちらを見つめるわけでもなく、いたって自然な様子でセシリアの額に視線を落としているのに。


静謐な蒼玉の迫力に飲まれそうになる。


「今だって、僕の眼は


ふるりとまつ毛が揺れて瞳に影を落とす。

深く沈んだ瑠璃色に、金色に輝くスターダストが浮かんでいた。

緩やかに膨む魔力に、ゆっくりと鳥肌が体をたちのぼっていく。


もう一度、セシリアに視線を移す。

相変わらずにぴくりとも動かず、人形かのようなセシリア。

その額に私は何の違和感を、魔力を感じることはできない。


果たして、自分が視認できないものを信用していいものか。


この事件の解明には、私の名……しいてはオルレアン家の存続がかかっている。

仮に濡れ衣を晴らすことができず犯人に仕立て上げられるようでは、私の処刑は勿論、オルレアン家も反逆罪として家名断絶、つまり取り壊しを受けるだろう。


皇太子妃候補である、高位の令嬢を毒殺しようとしたのだ。


当然の報いである。


いくらやっていないと主張し、それが事実であったとしても意味はない。

貴族社会では世論が事実なのだ。

過去にも、そういった人物はいたのだと思う。


結婚適齢期であったにも関わらず女っ気がなかった男は男色なのではないかとの噂が流れ、1人を好む令嬢が長らくパーティに姿を見せずにいると顔に醜い傷跡があるのだと噂をされる。


どちらも事実無根であり噂の範疇を超えないものだが、貴族社会ではそれが事実として扱われる。


そして、噂の渦中の人物は次第に社交界に寄り付かなくなり、遂には完全に姿を消す。

そうすることで、ただの『噂』は一つの『真実』に変わるのだ。


……それは私にとっても同じこと。

濡れ衣を晴らすことができなければ、その『疑い』は私を真犯人に仕立て上げる。

まるで少しずつ上から垂らされた蝋に絡め取られていく蝋人形のように。

身動きが取れなくなっていく。


自分の命がかかったこの場面で、ノアを信じるべきか否か。



……そんなの、迷う必要がない。


「……ええ、ノア。信じるわ」


思えば、ノアの直感力には学生時代から何度か助けられたことがある。

課外学習でモンスターに遭遇した時や、寮の門限に訳あって遅れてしまい締め出しを受けた時も。


悔しいが、ノアの直感的な閃きの力を借りて解決してきた。


昔からそうだったのだ。

行動を決めるのはノア、実践するのは私。

それに、元々事件に無関係なノアを巻き込んだのは私。


疑う必要なんて、1ミリもない。


私の言葉を聞いてノアは微かに瞳を開いた、…ように見えたけど、一瞬のうちにいつもの通り楽しげに目を細めていて。


見間違いだったのかと思い直した。


瞳はすでに先ほどの輝きを失っていて、それと比例するように魔力が抑えられていく。


緩んだ威圧感の合間に、思わず浅い呼吸を繰り返した。


いや、別にノアのことを怖いとか、そんなのじゃないけれど。




はぁ、ともう一つ大きなため息を漏らした私を横目に、モニカがノアにまっすぐな視線を向けた。


「話の指針は決まったようなのでお聞きしますが、ヴァレンタイン様はセシリア様が呪われているとおっしゃいましたね」

「あぁ」

「では、この部屋の異常な温度もその影響なのでしょうか。私はてっきり、毒に侵されたセシリア様の魔力が暴走しているだけかと考えていたのですが」

「そうだね、僕はそう思う。とはいえ、こんな状況は見たことも聞いたこともないけどね」

「えぇ、私も」


ノアの言葉にすかさず肯定する。


「魔力操作の話ならまだしも、随一の魔力量を持つシャーロットの瞳には映らず、尚且つ周囲に影響を及ぼすような呪術系の魔法の類にまったく心当たりがない」


「そもそも呪術系の魔法で間違い無いのかしら」

「これが人からかけられた魔法だと仮定するなら、ここまで効果が持続するのは呪術系魔法だと考えられるね」


さらりとしたノアの返事に、それもそうかと頷きを返す。


「それじゃあ殿下の言っていた毒殺未遂ってなんのことだったの?」

「流石の殿下でも事件と取り扱う上で専門家の手を使っていない訳がないから、騎士や文官の判断だったのは確かだろうけど。まだ予測の段階だったのに確定事項として勘違いしてしまったんじゃないかな」

「ありえるわね」

「皇室に支える騎士は護衛騎士だけでなく事件解決を専門としている者もいるからね。目立った外傷がなく、僕のように魔法の残り香を感知できる人材はおそらくいなかっただろうから、消去法的に毒殺という結果になったんだろう」


「ええ、そしてそこからは殿下の迷推理の始まりね。まだ仮の話として騎士から報告を受けたにも関わらず短絡的にそれを結論とし、そしてセシリアと政治的に敵対関係にある私を犯人と思い込む。セシリアを皇太子妃に置きたいという欲望も行動原理にあったでしょうね。その目的のためには私は邪魔でしかないもの」


考えられることをつらつらと並べると、ノアは同意するように頷く。


殿下に対して敬意もへったくれもない言い草だが、これが事実として考えられるため、誰も止めようとしない。


余りにも王族を舐めていると言われても仕方がないが、事実なのだ。


いや、王族を舐めていると言われると語弊がある。

オブラートに包んで言うと、ある意味殿下の能力を信じているといってもいい。


まったく、呆れたことだ。


王位継承権第一位の名が泣いてしまう。


現皇帝は賢帝と名高いにも関わらず、本当に血が繋がっているのだろうか。


まぁいざとなったら殿下には弟君もいるし、国が傾くことはないと思うけれど。


「本当に殿下には困ったものだね」

「困ったどころじゃないわよ…」


ノアは直接的な関わりはあまりないものの、学園では同級生として暮らしたことがある。


そこでも問題児として、有名だった殿下。

王族ということが影響して大々的には咎められなかったが、本来ならば退学レベルの問題を起こしていた。


その度に私や側近が陰ながらフォローしていたのだが、勿論同級生からの評判はすこぶる悪く、歩く厄災、関わるな危険などと散々な扱いをされていたのだ。


何度も言うが、王族に対する態度ではないのは承知なのだが、これに関しては殿下の自業自得だということを理解してもらいたい。



「それに加えてどうしてタイミング悪く陛下は外交中なのよ…」


なお賢帝と呼ばれる現皇帝は外交で他国へと向かっており、数ヶ月は帰ってこないとの見越しがついている。


陛下と私は小さい頃から顔を合わせていることもあり、それなりに親しいため、このような状況を放っておくわけがない。

そもそも私を婚約者候補へと任命したのは陛下だ。


それを殿下が身勝手に解消したと知ったら……いくら普段温厚な陛下といえどその後が怖い。


思わずぶるりと体を震わせた。


少し話が脱線してしまったが、要約すると殿下がここまで好き勝手に行動できているのは陛下が不在であると言うことが1番の要因であると考えられるのだ。


「それに関しては運が悪いとしか言いようがないね」


遠い目をして乾いた笑いを漏らす私に、流石のノアも少しばかり同情した様子だ。



「モニカ、今日は世話になったわね。あとは任せてちょうだい」

「いえ、私はやるべき役割を果たしただけです。それより、これからお二人はどのように捜査を進める予定なのですか? お急ぎなのですよね」


帰り際門まで私とノアを見送り、モニカは尋ねる。


「ええそうね…本来なら陛下の帰りを待ちたいところだけど、誓約魔法で契ってしまったから」

「ロティったら単細胞だから怒りに身を任せてしまったんだよ。愚かだよねぇ」

「ロティって呼ばないで。あと私は単細胞じゃない」

「シャーロット様、今はそこにピキる状況じゃありません」


無表情のまま嗜められてぐっと言い籠る。


「だって……」

「だってもクソもありません。プライドがかかっているんですよね。早くしないと一家もろともお陀仏ですよね。私、シャーロット様が心配なのです」

「モニカ……」

「一刻も早くシャーロット様が事件を解決してくださらないとセシリア様の安全が確保されません。なるべく早くしてください」

「モニカ?」

「冗談です」


感動が一瞬で引いたのだけれど?

そう言うのは心の中に留めておいて?


それ絶対に冗談じゃないわよね??


呆れてものも言えず、一息ついた。


「とりあえず各自情報収集ね。呪術魔法について少しでも知らないと」

「了解。目ぼしい情報を見つけられたらまた集まろうか」

「ええ、そうしましょう」

「私に協力できることがありましたらまたお声がけください。こう見ても使用人同士のコミュニティがありますから、他家に探りを入れることもできますし」

「助かるわ。機会があればお願いするわね」

そう返した私に、モニカは唇の端を持ち上げた。



馬車に乗り込み2人と別れた後、耳が痛くなるような沈黙の中で1人思案する。


特にセシリアに情があるわけではないけれど、モニカの恩に報いるためにも、努力しなければ。


先程のモニカの言葉は、やはり冗談ではないのだと思う。


『なんとしてでも、真犯人を見つけてみせろ。』


まるで脅迫のような、信頼。


……恐ろしいわね。


思わず笑いが漏れてしまう。


わかってるわよ。

言われずとも私は絶対に濡れ衣を晴らして見せるんだから。

あんたはただセシリアの横で指咥えて待ってなさい!

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断罪されたけど濡れ衣なので無実を証明したいと思います 3sora @yucky25252

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