第一章 事件ニツイテ調査セヨ
第5話 婚約してくれますか?
舞踏会から一週間後。
柔らかな日差しが心地よい昼下がり。
カフェの一席に、彼はいた。
コツリと足音を立てた私を振り返り、彼……ノアは、和かに微笑んだ。
「やぁ、ロティ。久しぶりだね」
「……えぇ、ノア。ご機嫌よう。久しぶりの定義を一度引き直した方がいいんじゃないかしら」
ノアの晴れやかな表情とは裏腹に、私の口角は早くもひくりと引き攣り、笑顔を継続させることが厳しくなっていた。
…………………………
「ここで君に一つ提案。こんな筋書きはどうだい?」
首を傾げた私にノアはニヤリと笑って、徐に私の手のひらを下から掬い上げるようにして握った。
ノア……?
思わず疑問が口からこぼれ落ちそうになるけど、ノアの真剣な眼差しに思わず息を呑む。
真摯な様子で細められた瞳が、とろりと喜色を含んで緩んだ。
「シャーロット・オルレアン嬢、僕と婚約していただけますか?」
「……は、え?」
一瞬、言葉の意味がわからなかった。
霧がかかったかのようにぼんやりとした意識がはっきりとしていく。
……婚約?
さっき皇太子妃候補から外されたばかりの私と、婚約を結ぶって……?
「……あなた、正気?」
どくどくと高鳴る鼓動は一旦スルーするとして、冷静に返す。
「正気も正気さ。婚約は僕にとっても得になるからね」
君にとってもそうだろう?
と問いかけられて、うぐと口ごもった。
……確かに、それはその通りだ。
先程言ったように、私は冤罪でとはいえ、皇太子妃候補から外された身。
冤罪をはらすことができなければ、いくら私でも社交界で孤立し、もうまともな縁談は来ないだろう。
金だけ持ったワケアリの辺境伯に嫁がされるか、はたまた別国に追い出されるか。
幸いにも父は私を愛してくれているので、あまりにも悪いようにはならないだろうが、それは最悪は免れるという意味でしかない。
王家に目をつけられれば、いくらオルレアン家といえど、影響がないとはいいきれないのだ。
それをあのクソ……いや、流石にこれ以上は令嬢らしくない言い方だ。
口が悪いから言い直そう。
あの馬鹿は考えもなしに行動に移して、皇太子という立場の重さをまるでわかっていない。
もはや私にとってウィリアム殿下は王家の一員として敬う対象ではないのだ。
ただの顔の周りを飛び回る蠅と同等なのである。
うざったい金髪が脳内をよぎった瞬間、溢れそうになった舌打ちをすんでで飲み込んだ。
少し脱線してしまったが、そんな私にとって、ヴァレンタイン公爵家との縁談は渡りに船だ。
それに、三家の相互監視の関係にも適している。
問題は、王家がこの婚約を許すかどうかだ。
王家にとって私は逃しがたいカードだろうから。
あの馬鹿皇子は、能力が低いことが世間的に知られている。
皇帝殿下が必死になって隠蔽しているため平民たちにまでその事実が浸透しているわけではないが、なにぶん貴族社会というのは噂が広まる速度が速い。
特に王宮で起きた出来事には皆電波を張り巡らしているだろうから。
どれほど覆い隠そうと、人は他人の目から逃げられないもの。
侍女や騎士、メイド、執事、文官。
全ての人に適応する話ではないが、どんな立場であっても、噂話が好きな人はいる。
そして、そういった人種にとっては覆い隠され、秘匿せよと言われれば言われるほどその性質が暴れ出すのだと思う。
人の口に戸は立てられぬということだ。
つまり候補から外されて他の人とすぐさま婚約を結ぼうと、私を批判的に見る人はおらず、むしろ同情される流れになるはず。
皇帝殿下は……とりあえず脅せばなんとかなるだろう。
今までいくら迷惑をかけられていると思ってるんだ。
脅せるネタはたくさん揃っている。
それに、今婚約をすることで私とノアはずいぶん動きやすくなるだろう。
「……乗った」
ノアの手を、ぎゅっと握り返す。
ルビーとサファイアの視線が交わり、どちらともなく不敵な笑みを浮かべた。
「あなたの求婚、受け入れるわ」
…………………………
その後各自家に帰り、私は当主である父にこの婚約を持ちかけた。
父は心配こそしたものの、愛娘(私)からのお願いに首を横に振ることなく、次の日には婚約を結ぶ手続きを踏んでくれた。
両家の顔合わせはこの場合必要ないため、両家の当主が皇帝殿下に許可をもらうと言うその儀式だけ。
予想通り、少し『説得』をしたら、快く許可をくれた。
それで今日に至る。
久しぶりなんて、婚約を一週間で結ぶのはかなり速いのに。
過去稀に見ない最速記録だろう。
これも公爵家というネームバリューあってのことだ。
権力とは素晴らしい。
なんて現実逃避をはじめる私に、ノアはにやりと楽しげに笑った。
「久しぶりだろう? 愛する婚約者と数日ぶりに会うのだから」
「……こんなにも恋愛で頭がボケちゃうなんて、首席卒業の名が泣くわよ」
「いいよ、男は少し馬鹿なくらいがちょうどいいのさ」
必死に繰り出したヘボヘボパンチに核兵器並みの反撃。
容赦がなさすぎる。
思わず息を呑み、それから唸るようにして低く告げた。
「……ねぇ、そういうのやめにしないかしら」
「そういうのって?」
「…………そういうのよ!」
さも合点の言っていないかのような、きょとんとした表情に、ぶちんと怒りのボルテージが上がる。
「愛、だとか、その…ロティだとか、馬鹿げた演技のことよ!」
「演技? 失礼だなぁ。僕たち婚約者同士だろう?」
「偽の、でしょう!」
あなたが提案したんでしょう!
と怒りのままに続ける。
「婚約を結ぶのは事件解決に必要なことだったからよ! 両家当主にもそういって説明したでしょ? それなのによりにもよってあなたが忘れてどうするのよ!!」
それでなかったら『ロティ』なんて愛称をこいつに許すことなどない。
いや、許した覚えもないのだが。
私の発言にノアは心外だとでもいいタゲにふっと眉を上げる。
「忘れてなんかいないさ。君こそちゃんと覚えてるのか? この婚約が貴族社会では異例だということを」
「っ……」
トーンを落としたノアの言葉。
私は急激に勢いを削いで、口をつぐんだ。
「王家からの打診が取り消しになったからといって、完全に関係がなくなるわけじゃない。一般常識的に考えたら数日前まで王家に嫁ぐ可能性があったにも関わらず婚約を受け入れた君も、君に婚約を申し込んだ僕も非常識、まあ端的に言えば王家に対してあまりに不敬だ」
本当ならば罰されてもおかしくはない。
言外に仄めかされた事実に、背中に嫌な汗が滲むのがわかる。
「……ええ、わかってるわ。罰せられないのは公爵家の力あってのものだと」
「そうだね、幸いにも僕らは公爵家の出だ。でも、王家とのいざこざはそれでなんとかなったとしても、世間は疑問を抱くだろう。そこで僕たちが婚約した理由、まぁ、このお遊びに合わせていうなら動機が必要なわけだ。例えば僕たちは本当はずっと前から愛し合っていた、とかね」
後から取ってつけたようにいうノアだけど、そっちが本題なんだろう。
私は知らず知らずのうちに止めていた息をゆっくりと吐き出した。
……幸いにもノアと私は腐れ縁もとい幼馴染だ。
ものの王家の勅命によって長い間結ばれることはなかったが、王家から濡れ衣を被され断罪をされた
……なんとも社会が喜びそうなできた美談である。
感心すると同時に、私は自分の思慮の浅さに苛立ちを隠せなかった。
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