第4話 ノア・ヴァレンタインという男

ノア・ヴァレンタインという男は、享楽主義者だ。


自己の快楽を第一とし、快感を得ることを人生の目的の一つとする人物。

今の様子を見るにその本質はどこをどう姿を偽ろうと変わらないのだろう。


しかし、本人の趣味嗜好だけでは動かない。

いや、正しくは動けないのがノアの立場というもの。


きっと、ノアは次に交換条件を要求してくるのだろう。

ノアは数秒考えた後、こちらにちらりと視線を流した。


「……それをして、僕に利点は?」


予想通りの返答。

だが、私はすぐに答えを出すことはできなかった。


ノアに、……ヴァレンタイン公爵家に、私自身は何を差し出せるだろう。

オルレアンという名以外に、シャーロット自身に、どんな勝ちがあるというのだろう。


ノアの青い瞳が、じっとりとこちらに視線を絡めている。

この状況で、私自身が差し出せるもの。


それは……


「……私は、」


『君は、僕に何を差し出せる?』

その美しい相貌の中心に嵌め込まれたサファイアの煌めきが、そう問いかけていた。


ピリリと痺れた空気に、思わず背筋を震わせる。

緊張で乾いた唇を、柔く食む。


「……私は、私自身を差し出すわ」


真っ直ぐに、真っ向からその輝きを見つめ返した。


シャーロットは、オルレアン公爵家の令嬢という立場をなくせば、ただの無力な少女だ。

社交界の薔薇という呼び名も、権力の付属品でしかない。


それでも、シャーロットはノアの協力が必要なのだ。

そのためにはハッタリだって上等。

使えるものは自分でも使う。


「交換条件よ。あなたが私に協力してくれたら、私は一つあなたの願いを叶えるわ」


ノアは少し目を見開いて、……それから、弾けるように笑い出した。


「シャーロット。君は一体どこの騎士なんだ。そんな交換条件を突きつけてくる令嬢なんて聞いたことがない」

「それなら今日は初めて記念ね。公爵令嬢のシャーロット・オルレアンよ、以後よろしく」


つんとすまし顔で返す。

勇敢だって褒め言葉として受け取っておこう。

悪かったわね、私みたいな令嬢がいて。


なおも笑いの止まらないノアを横目で睨む。


「それで、どうするの?」

「何が?」

「私の助手になる気にはなったのかしら」

「そうだねぇ……」


ノアは目元に薄く張った涙の膜を指で拭い、ふっと短く息を吐き出した。


「願い事はなんでもいいの?」

「ええ、私が叶えられることならなんでも」

「……本当に?」

「本当よ。なんならまた制約魔法でもかけて見せましょうか」

「……いや、いい」


彼は、数秒瞼を伏せた後、こちらに手を伸ばした。


「明らかな泥舟な気もするが、何より面白そうだ。僕も乗らせてくれ」


僕たちの仲だろうと胡散臭く、薄く笑って見せたノアに、呆れて物も言えない。


何が僕らの仲、よ。

どの仲よ?

そして、その口調は何?

どの口で自主的に協力するみたいな言葉を使っているのか。


親しいアピールをしたいなら迷わず私の手を掴んで欲しいものだわ。


ぴきりと額に血管が浮き出そうになるのをなんとか押し留め、気持ちを落ち着かせる。

何はともあれ、ノアが仲間になったのだ。


ここで仲間割れは流石に早すぎる。

我慢よ。

我慢するのよ、シャーロット。

長年殿下のお世話をし続けて、我慢には慣れているでしょう。

同じことよ。

我慢我慢。


「それでシャーロット。君はこの後どう動くつもりだい?」

「え?」

「まさか僕を味方につけておいて、あとはノープランってことはないだろう?」


投げかけられた疑問に合点がいって、あぁと小さく漏らした。


「とりあえず、事件の大まかな内容について知りたいわね。その情報がないと犯人を見つけ出すどころか捜査すらままならないもの」

「間違いないね」

「それから、どういった経路で毒が盛られたのか。正確な日時を聞かないと」

「それで僕はどちらの担当?」

「事件の概要について調べて欲しいわ。私が直接調査しても良いのだけれど、王宮の文官にはきっと警戒されてしまうから。まずは、私の仲間として認識されていないあなたにお願いしたい」

「了解、凶器……今回に関しては毒だね。それについてはどうするつもり? 伝手でもあるのか?」

「ええ、私はセシリアの侍女と顔見知りなのよ。……彼女なら、事情を話せばきっと信じてくれるはず」

「それならよかった。毒の種類の調査だね、任されたよ」

「よろしく頼むわね」

「ああ。それでシャーロット、もう一つ疑問があるんだが、」

「何?」

「報告はどのようにすればいい?」

「……」


手紙……はだめだ。

信用できない。

郵便局で働く人に不備があるというわけではないのだが、もしも真犯人たる人物の息がかかった間者がいれば、私達の情報は筒抜けになってしまう。


敵がどのような人物か、戦力か、そんな情報のない今、下手な行動はできない。


……とすると、


「直接会う……しかないわよね」

「そうだろうね」


私が言い淀むのには理由がある。

社交界に置いて、男女が個人的に合うというのはあまりよく思われていない。


親密な関係であると、アピールする行為でもあるからだ。

候補から外されたとはいえ、シャーロットは数分前まで皇太子妃候補筆頭であった。


そんな彼女が、時間を置かずに異性と2人であっていたとしたら?

周りの講評など気にしないシャーロットだが、流石にこれでは心象が悪すぎるだろう。


どうしたものか……。

思わず考え込むシャーロットに、ノアは笑みを深くした。


「ここで君に一つ提案。こんな筋書きはどうだい?」


そういって悪戯に笑って見せたノア。

その瞳にはひくりと顔をこわばらせる私の姿がうつっていた。

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