第3話 馬鹿もたまには役に立つ
「は……?」
端正に整った相貌を顰めて、彼は怪訝そうに声を漏らした。
ノア・ヴァレンタイン。
ヴァレンタイン公爵家の嫡男で、穏やかな人格者。
優秀な人材の集まるスオウィンツェ王立学園を主席で卒業したことでも知られている。
また、とても美しい顔立ちをしていることも、彼を語る上で欠かせない要素だ。
さらさらと風に靡く黒髪。
180センチをこえる長身に、スラリと長い手足。
そしてなにより、冷たい輝きを放つサファイアブルーの瞳と、柔らかく垂れた目尻が、人の目を嫌と言うほど惹きつけていた。
じっとこちらを見つめる瞳がすっと細められる。
「急に何。また君の変な暴走に巻き込まれるのは御免なんだけど」
先ほどまでの穏やかな微笑みはどこへやら。
形の良い唇から発せられた毒々しい言葉に、ぴきりと血管が浮き出たのがわかる。
「私がいつ、そんなことをしたのかしら? 暴走? 淑女に対して言葉がすぎるんじゃない」
「淑女? あぁ、そういえば君は分不相応にも社交界の薔薇と呼ばれているんだっけ」
「あなたねぇ……!」
たった今思いついたかのように眼を瞬いて、嫌味ったらしく言うノアに、苛立ちが募っていく。
ぷつんと脳の中で何かが切れた音がして、感情のままにノアの前へと歩みを進めた。
この男は随分と身長が高い。
165センチと、女性にしては高身長なシャーロットがヒールを履こうとも、この男は平気な顔で見下ろしてくるのだ。
その事実にさえもシャーロットの怒りは増幅されていく。
「あなたはそういう言い方しかできないの⁉︎ ほんと学生時代から成長しないのね」
「それは僕のセリフだろう? すぐに癇癪を起こして。学園で淑女の嗜みを習わなかったのか?」
「だっ、から…! それはあなたがくだらないことで喧嘩をふっかけてくるからでしょう⁉︎」
ノアとシャーロットはスオウィンツェ王立学園の卒業生で、同期である。
また特に、この2人は初等部入学から高等部卒業までの12年間同じクラスだったという。
いわゆる、幼馴染。
2人の言葉で言えば腐れ縁なのである。
まぁ、見ての通り仲は非常によろしくないのだが。
中等部生時代から2人は毎日のように小競り合いを起こしていた。
テストの点数で賭け事をし、学校行事で勝負をし、廊下で顔を合わせただけで口喧嘩が勃発する。
どうして教員はこのような問題を多々起こす2人をペアにして同じクラスにあてがっていたのか。
今考えても不思議である。
いや、さもすると、問題児を2人同じくクラスに入れることによって同時に管理しようとしたのかもしれないが。
学園時代に戻ったかのように口調を激しくしようとしていたシャーロットは、すんでのところで引き止まる。
危ない、口車に乗せられて目的を忘れるところだった。
どんなに気がくわない相手でも、家族の次にシャーロットのことをわかっているといっても過言ではないのだ。
とても癪だけど……仕方ないわ。
小さく息を吐き、それからじっとノアの瞳を見つめる。
「ノア、お願いがあるの」
「え、嫌だよ」
「……お願いが、あるの!」
内容を聞こうともせずバッサリと切り捨てるノア。
さっと目をそらそうとした彼の襟元を決して逃さないようにグッと握って引き寄せる。
至近距離で交わった視線に、目の前のサファイアが大きく見開かれた。
「……ノア、あなた私の助手になってくれない?」
「……助手?」
きょとんと丸く見開かれたサファイアの瞳から、毒気が抜けていく。
かと思えば、再び意地悪気にほそめられるそれ。
あぁ、なるほど、なんて小さく呟いて、顎に片手を持っていき、ノアは眼を薄く閉じた。
おそらく、私の一言で事情が全て透けて見えたのだろう。
腐ってもこいつは公爵家の嫡男だ。
今頃、その明晰と評判の頭脳で利を計算していると言ったところか。
ノアは非常に遺憾ながら、私の思考回路をよく理解している。
当たり前だろう、学園時代から散々あの
殿下に見そめられたくてライバルを毒殺仕掛けちゃいました⭐︎…なんてこと、私がするわけがないと、この男もおそらくはわかっているだろう。
これは信頼じゃない、長年積み上げてきた事実から推測できる事だ。
つまり私のことをよく知る人から見ればこの事件は解決済みで、私は無実がほぼ確定しているのだ。
この状況で私の味方をするのは、はっきり言って得はある。
私が賭けに勝ったとしても、負けたとしても、私は助手の名前を出すつもりはないので、責任は負わない。
誓ってもいい。
それに、助手になった相手は私に実質的な貸しをつくることができる。
労力はかかるとはいえ、相対的に考えればお得な取引だ。
それがわかっていても、彼は簡単に首を縦に振ることはしない。
それほどまでに、公爵家という立場は重いのだ。
スウォインツェ王国に公爵家は2つしか存在しない。
オルレアン公爵家と、ヴァレンタイン公爵家
二家の影響力はもはや王家に勝るとも劣らないのだ。
そのため、建国当初からこの三家は密接な協力関係をとってきていた。
叛逆の意志を持たぬよう、不当な行為が黙認されぬように。
簡単に言ってしまえば、互いが互いを監視し合っていた。
そう言った観点から言うと、オルレアン公爵家の長女であるシャーロットが王家に嫁ぐのは最良だったのだろう。
おそらく皇帝殿下も、そのような想定だったのではないか。
皇太子妃候補としてシャーロットとセシリアを排出しておき、時期がくればシャーロットを皇太子妃におく。
誰にも横槍を入れられないように、慎重にことは進んでいたはずだ。
それこそ、ウィリアム殿下やシャーロット、セシリアのような当事者も預かり知らぬところで。
そんな最良のストーリーをぶち壊したのがまさかの息子だったとは、思いもよらないことだっただろう。
婚約者を毛嫌いし、どうにか候補から外れようと策略を凝らしたシャーロットもシャーロットだが、それを鵜呑みに彼女して手のひらで踊ってみせた殿下も殿下である。
馬鹿もたまには役に立つようでよかった。
……と、話は脱線してしまったが、結論言いたいのは、王家と公爵家の三家は絶妙なパワーバランスの上に成り立っていると言うことだ。
その立場、発言は、国を左右しかねない。
ノアにとっても、簡単に頷ける話ではないのだろう。
いや、寧ろ、どれほど得があったとしても断るのが一般的な思考回路だろう。
……最も、一般的な思考回路を持っている人、に限った話だが。
そこで私はするりと視線をノアの口元にずらした。
平静を装っているが、私にはわかる。
手で隠された唇が、愉快気に口角を上げているのが。
俯き加減に伏せられた瞼の隙間で、サファイアがぎらりと狡猾に輝いていた。
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