第2話 社交界の薔薇
大広間からテラスへとひとり移動したシャーロット……私は、一つ大きく息を吐いた。
「……本当に婚約者候補から外されたのね、私」
なかなか実感が湧かなくて、両手をぐっぐっと何度か握りしめてみる。
長年囚われてきた枷が、ようやく外れた。
まぁ、それと同時に新しい鎖が結ばれたんだけども。
それでも、胸が熱く沸き立つような喜びは消えない。
長年の願望が、ようやく果たされたのだから。
私は元々皇太子妃になんぞ興味などない。
今晩、婚約者候補としてパーティに参加したのは、命令されたから。
ただ一つの理由のみである。
先ほど私を断罪した皆が羨む王子様にも、勿論権力にも、まるで興味が湧かないのだ。
それは私の父親であるオルレアン公爵も例外ではない。
オルレアン公爵は無類の親バカとして社交界でも有名であり、王勅によってしぶしぶシャーロットを婚約者候補に据えただけにすぎない。
もとより私を王家に差し出す気などなかったのだ。
ここまで言えばわかるだろう。
私には皇太子妃を目指す理由も、義理もない。
それをどこをどう勘違いしたのか知らないが、あの殿下は私が自身のことを好いていると思っているのだ。
甚だしい。
そんな彼女にとって今晩の出来事は晴天の霹靂であった。
婚約者候補となった6歳から数えても少ない……いや、初めて殿下に感謝をしたといっても過言ではない。
なにせ、殿下は稀代の馬鹿なのである。
もう一度言おう、稀に見ない愚か者なのである。
婚約者候補として初めて顔を見合わせた時には私とセシリアを引っ張り回し、挙句運動の得意ではないセシリアに怪我を負わせた。
魔石を贈り物として受け取った時には、大爆発を起こし、王宮の膨大な庭園の二分の一の範囲を消し飛ばした。
お忍びと言って護衛もつけずに街に繰り出そうとし、誘拐されかけた。
そのほかにも色々な事件を起こしている。
ここまで言えばわかるだろう、殿下は王族の問題児なのだ。
幸いにも皇帝殿下がウィリアム殿下を愛しているため、上手くもみ消されてきた結果その事件が公になることはなかったのだが。
私も幼い頃から天下の尻拭いをし続けて、その問題のある行動の数々の秘匿に協力してきた。
セシリアに怪我を負わせた際には王宮医師に診せ、付き添った。
魔石をもらってはしゃぐ殿下に嫌な予感がした時には皇帝殿下に意見を申し上げ、庭師などの避難を誘導した。
そのおかげで負傷者はゼロだったのだ。
お忍びをしたいと言い出した時はこっそりと殿下の護衛騎士に話をつけにいき、影から護衛をしてもらうことにした。
結果、案の定事件を起こした殿下が五体満足で帰還できたのは幸いだったと言えるだろう。
そうして長年私や、護衛騎士、皇帝殿下によって守られてきたウィリアム殿下の問題行動は、今回の件で公になってしまった。
積み重ねてきた努力がすべて泡になってしまったのだ。
皇帝殿下も哀れなことだろう。
どうぜウィリアム殿下のことだ。
セシリアを皇太子妃に推す貴族に捏造された証拠を見せられ、頭に血が上った状態で私を断罪しようと思いついたのだろう。
犯人が私ではないことなど、少し聞き込みをすればわかることだ。
何故なら私はパーティの数日前からずっと風邪で寝込んでいたのだから。
今日だって、王家が主催する夜会で体に無理をして出席したに過ぎないのに。
最近は屋敷から一歩も出ていないことなど、仮にも婚約者候補のことなのだから把握しておいて欲しい。
そのせいで私は疑いを晴らさないといけないじゃないか。
いや、晴らすだけならまだ簡単だ。
問題は、真犯人を探し出すと宣言してしまったこと。
解決へのハードルが一気に跳ね上がってしまった。
そんなことは私にも理解できる。
しかし、あの場で黙って罪をなすりつけられるのを傍観することは決してできなかった。
比較的冷静に冴えた現在の脳で最適解を求めようと、答えは変わらない。
それはある種の意地のようなもので。
権力に執着のない私にとて、譲れないことくらいある。
プライドだ。
淑女として研ぎ澄まされたプライドは、もはや『侯爵令嬢シャーロット』の心の支えと言っても異論はない。
社交界は戦いの場だ。
話術を巧みに操り、にこやかな笑顔の裏に思惑を覆い隠す。
若い令嬢といえど、いつその毒牙にかかるのかわからない。
特に、私には敵が多い。
皇太子妃候補という肩書きのみならず、常に自信に溢れ人々を魅了する社交界の薔薇は、傲慢であると批判的に捉える者も一定数いるのだ。
萎れて褪せた薔薇など、早々に摘み取られてしまうことは想像に難くない。
薔薇は、人々を魅了するから薔薇でいられるのである。
シャーロットが薔薇であるために用いていたのはたった一つ。
嘲笑と冷徹さの混ぜ込まれた視線に耐えられたのは、彼女の身の内に強固に育て、育んできたプライドがあったから。
シャーロットは、自分の唯一といえる武器を手放すなど馬鹿げたこと、考える暇すらなかったのだ。
……とはいえ、プライドが益をみたらす日は今のままでは永遠と来ないだろう。
プライドで懐は潤わないのだ。
凛と立っていたところで、真犯人が名乗り出てくれるだろうか?
そんな馬鹿な話はない。
駄作として観客に憤慨されるのがオチである。
この事件はある種のショーなのだ。
主役であり、探偵のシャーロットが、真犯人を探し続けるという、言ってしまえばありふれたお芝居。
社交界の人々はあくまで見物客として結末を望んでいるにすぎない。
探偵役であったはずの人物がどんでん返しとでもいいたげに真犯人に吊し上げられる話を、誰だって見たことがあるだろう。
そんなものなのだ。
真犯人がシャーロットであろうが、それとも、別の人物なのか。
それを本当の意味で気にしている人物はいない。
しかし、シャーロットには協力者が必要だ。
かの有名な名探偵シャーロックホームズにワトソン助手がいたように。
探偵シャーロットにも助手と言う名の協力者がいるべきだ。
彼女は皇太子妃教育の賜物である、頭脳は持ち合わせている。
お馬鹿な殿下を支えるために、という理由で皇太子妃候補者には厳しい教育が施されているのだ。
その知識は優秀なものの集まる王宮でも勝るとも劣らない。
そして度胸もある。
淑女としては大胆で、肝の強さも申し分ない
身につけられたのは……もう言わなくてもわかるだろう。
しかし、シャーロットには決定的に足りないものがある。
それは、人脈だ。
先述した通り、シャーロットには敵は多いが、味方は極端に少ないのだ。
同年代の令嬢は一部を除いて皇太子妃候補筆頭のシャーロットをやっかんでおり、年下には畏怖される。
それでは男性の味方をつけろと言いたいのだろう。
実際、シャーロットにはそれができるだけの美貌がある。
社交界の薔薇と評される大輪の微笑みは伊達ではない。
だが、この作戦にも欠点がある。
シャーロットには、碌な色仕掛けができないということ。
彼女は恋愛経験が極端に乏しいのだ。
それはもう、見た目とのギャップで風邪をひきそうになるほど。
昔からただ微笑んだだけで彼女に傅く男は多く、それがためにシャーロットは自分を魅せる方法をわかっていない。
根っからの女王様気質だと考えれば良いのだろうが、シャーロットは見た目の割に初心で、気が強いわりには繊細な心の持ち主という、複雑な性情を抱いているのだ。
男性で、シャーロットの扱いに慣れている人物。
ともすると、協力者の候補は絞られてくる。
例えば……
ガチャリ
テラスの扉の開いた音に、思考が妨げられる。
瞬間集中力が途切れてしまって、小さくため息をついた。
やはり、人気がない場所とはいえ舞踏会は考え事には向かない。
「……先客がいたみたいだね」
聞こえてきた声に、はっと目を見開く。
それからゆっくりと振り返って、にやりと挑戦的に笑う。
「……見つけた。私の
例えば、この男。
ノア・ヴァレンタインとか。
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