第8話

 恭介は、自分を見つめ直したくなり、菩提寺に参詣するようになった。寺の住職には、法事の時以外にも話す機会があり、法話を聞くだけでなく、日常的な悩み事も相談していた。それでいて、ユイとの関係は口にできず、相談する気もなかった。

 参詣時の法話では――物質至上主義の誤りと悟り――と題して、迷走を続ける日本経済の現状と、人心の荒廃を嘆いていた。菩提寺の住職・良順和尚は、大学では物理学を専攻した――異色の僧侶だった。

 和尚は、法話で「意識する主体が、世界を認識するとともに具現化するという意味では、夢も現も、幻もよく似ていますが……、幸いにも、夢や幻と異なり、現実のこの世界では……本人の明確な自覚による心構えで、状況を変化させられるのです。仏様は、法華経であらゆる相対性を超越した絶対的世界観を教える一方で、般若心経では、物質が波動と粒子の二重性でできているのを証しています。皆さんは――人間に生まれた――、恵まれたこの機会を活かして、自分や周囲の状態を変えていく……、それが、何よりも大事でしょう」と教えた。

 物理学の相対性理論では――時間は絶対的なものではなく、伸び縮みする相対的なものだが――、和尚の法話では、相対的に展開する精神世界の向こう側には、絶対的な本質があると説いていた。

 こうした説法は、国内の多くの寺院で行われていたと想像できるが、国民にどれほどの影響を与えたかは未知数だった。和尚の言葉は、分かりやすかったものの、誰もが明確に理解して、すぐにでも実行できるほど簡単なものではなかった。これらの説法は、飽食の時代に禁欲の教えに背いた人々に、破戒の罪を連想させたのは、容易に想像できた。

 文明社会では、道徳よりもセンスの良し悪しが評価され、清貧な人物よりも金持ちが尊敬される。年老いた名僧よりも、派手に振る舞う若手のタレントが愛され、成功した実業家が憧れの対象になっていた。物品の活発な流通が経済を発展させ、人々を豊かにするのは自明の道理だが、それが原因で内省しない生活が、当然のごとく思われていた。恭介は、人の行動規範は、程度と頻度の問題であり、何をどう選び取るかの現実的側面を重視する姿勢が、しばしば道徳的価値に反するのが奇妙に感じられた。

 和尚は「仏様の教えを記した経文には、本来、経力と呼ばれる摩訶不思議な力が備わっています。私心を捨てて、信じ切る心構えで自分を救わなければなりません。そうすれば、晴れやかな気分になり……、いずれは、目の前にあなたにとって最適な道筋が見えてくるでしょう。一筋の道を迷いなく、進むのです。経文は仏前で唱えるだけでなく、できれば頭の中でも唱えてください」と、恭介の問いに答えると優しく微笑んだ。

 恭介は、子どもの頃から法事の際に会っていた住職に宥められて、気持ちが楽になった。

 翌日、恭介は社員食堂で如月や田丸と食事をしているときに、菩提寺のことを話した。

「渋江の考え方は、甘いなあ。君は――護摩の灰――という言葉を知っているか? 宗教はねえ。迷妄邪説の類だよ。袈裟と僧衣と数珠があれば、誰でもできる商売だ。生産性も何もない」と、如月は自説を述べると「気休め、気休め。まあ、気休めでも、必要になるケースはある。君みたいなケースだ」と断じた。

「現代人は、善悪、良否、適不適ではなく、感覚的な新しいか古いかで判断している。歴史から何も学ぼうとしていない。住職の説法が古臭いからと言っても、間違っているとは思えない」恭介は、如月に対して、むきになって反論した。言った後で、恥ずかしくなった。

 田丸は「僕も、歴史本が好きなので渋江の意見に賛成だな」と、珍しく恭介の味方をした。

 恭介は、悩みを感じたとき、聖書や仏典を読み、歴史書を繙いて答えを見つけようとした。心の悩みだけでなく、日本や世界の現状も、過去の事績の中に答えが記されている気がした。例えば、恭介は……、米沢藩主・上杉鷹山の事績に、畏敬の念を感じていた。

――名君の誉れが高い米沢藩の藩主・上杉鷹山公は、庶民を飢饉や疫病の苦しみから救済するために、備籾蔵政策を実施し、万一の時のために十五万俵の米を備蓄した。鷹山は、不作による飢饉の時に、米を貸し付ける口座を開設していた。さらに、医療政策では、本草学者(薬理学者)の佐藤成裕を米沢に招いて、藩医や町医者を指導させている。さらに、先進的な介護休暇制度までつくっていた。

 鷹山は、庶民に倹約をすすめて、自身も質素に暮らしながらも、殖産興業に力を入れて漆、楮、桑の樹木の百万本の植樹計画を立案し実行していた。新田開発には、なりふり構わずに自ら鍬や鋤を手にして労務に従事した。倹約令を出して、物価の上昇を抑制しながらも、借金で逼迫した財政の中でも、蛇口を閉めず、必要な政策は積極的に推し進めた。鷹山は、実需に見合った経済成長を堅実に目指していた。

 当時の米沢藩は、二十万両(二百億円)の借金を抱えていたが、領民を救うために資金繰りをして、数多くの経済政策を実施していた。途中で縮小均衡策に転じはしたものの、藩の歳入を増やし、鷹山の死後には、膨らんだ借金を完済し、貯金が五〇〇〇両残っている――。

 鷹山は、暴走するクルマに急ブレーキをかける愚行を戒め、領民の幸福のために舵取りができた稀有な大才であって、常人には真似のできない偉業を成し遂げたのか? あるいは、そうかもしれないが、そうなら失望しかなかった。

 銀行の同僚や、取引先の不動産会社の社員たちは「新しい」「古い」を価値基準にして、口癖のように判断の目安にしていた。つまり、新しい=素晴らしい、古い=くだらない――と、言下に断じた。彼らは、歴史の残した数多くの教訓を活かそうとせず、過去の歴史をすべて闇の暗がりにある無価値なものと考えていたのではないか――と、恭介は感じていた。

 恭介は、古今東西の歴史書を読んでいたので、目先の展開に目を奪われて大局観を失う恐ろしさを知識としては理解していた。歴史的事実を時代の闇に葬り去るのは、財物を捨て去るのと等しいものに思えた。

 江戸時代中期の儒学者、太宰春台は『経済録』の中で――およそ、天下国家を治めるのが経済と言うものであり、世の中を治めて、人々を救うための大義である――と、説いていた。

 経済状態は、物やサービスのやりとりで生じた貨幣の円滑な流れで豊かなものへと変化する。この流れを堰き止めず、経済活動を活発化するには、企業による魅力のある商品やサービスの供給と購買意欲の刺激は必須アイテムだった。恭介には、緊縮財政に舵取りし、自粛を促す自己処罰的なムードでは、少なくとも景気回復は見込めないのが実感できた。

 ヘーゲルは『法の哲学』の序文で「ミネルバのフクロウは、迫り来る黄昏に飛び立つ」と表現し、新しい時代を予見していた。この言葉には、時代の終焉の後で新しい哲学が登場するとの意味が込められていた。

 恭介は、それを敷衍して過去や現在の土台の上にしか、未来は構築できないと考えていた。個人としての人間は、過去の記憶が時間と共に容易に変化する。が、時代が加速度的に変化する中で、先人の知恵を顧みず、歴史を老朽物のように扱うのは、危険すぎはしないか――と案じていた。だが……、そう考え続けるには、膨大な時間と知識が必要となるため、簡単ではなかった。

 理想と現実の間に隔たりがある場合、空隙をいかにして埋めるかの手腕が問われるが、言葉にして漠然と想像するほどには、容易ではないため、恭介にしても矛盾に突き当たっていた。

       ※

 野良猫が数匹、アスファルトの路面の上を行き来していた。地域住民のゴミ出しが終わると、人の気配がなくなるのを見て、残飯をあさりに来ている様子だ。一番大きな猫は、恭介の方を見ていたが、近づくと同時に逃げて行った。同じ方向に、他の猫も駆け出していた。

 恭介は子供の頃に、家の塀の上を歩く、子猫を見つけて――頭を撫でてやろう――と思って近づいたところ、子猫は背中を丸めて頭を低くすると、鋭い目つきで睨み、牙を剥きだして大きな高い声を出して威嚇した。恭介は一瞬、背筋に寒気が走り、それ以上に近づくのを断念していた。小さな猫の獣性に、言い知れぬ恐れを感じた。

 だが、動物にではなく、恭介が傷つけられたのは、他ならぬ人間たちだった。都会で見かける動物たちは、シンプルに彼らの縄張りを侵害したりしない限りは、決して襲い掛かってくるケースはなく、苦言や批判で苦しめたりはしなかった。恐るべきは、常に動物の獣性ではなく、人間の無理解だった。

 バブルは崩壊してみると、中期ごろに国民を熱狂の渦に巻き込んでいた――経済大国・日本の誇りと自信――とは、同一視できるものは何一つなかった。むしろ、絶望と大きな傷を残し、やるせない後処理に追われる展開になった。幼児が手に持つ、ヘリウムガスの入った風船が、手放した途端に、空の彼方に消えゆくように、恭介には悲しい気分だけが残された。文字通り、つかの間のシャボンの泡にも似た淡い夢想が、跡形もなく消えるとともに虚しさだけを残していた。

 あの時代は、昼間は自分自身に酔いしれ、夜は酒に酔いつぶれる人々で溢れていた。一つの時代が終焉してからは、失われた夢も誇りも、元には戻らず、悩みのほかに得るものはなかった。

 大阪市の地下街を歩いていると、大勢のホームレスに遭遇した。彼らは段ボール箱を風よけに使い、虚ろな目を光らせて獣のように暮らしていた。それは、本人の怠惰が原因ではなく、失業を強いられたために、路上や地下街の通路でしか生活できなくなっているのが容易に想像できる光景だった。

 夜になり、恭介がいつもの居酒屋に行くと、先に亀山と茶谷が席に座っていた。テーブルに着くと、亀山は自殺した上司を回想して口を開いた。「あの人が生きていれば、会社は好業績を続けつつも、顧客に無茶な販売をしなかったはずだ」と、嘆息した。亀山は坂本龍馬を愛し、芥川龍之介や太宰治を好んで読み、ブルース・リーやジェームス・ディーンの古い映画を絶賛し、尾崎豊を好んで聞いていた。

 亀山は、完全に自分を制御できて、人間的な弱さを持ち合わせないように見せかけていたが、彼の言動には時々、繊細な神経を感じさせるものがあった。亀山は、偶然に下生して人間どもと共に生きざるを得なくなった天人のように振る舞っていたが……、恭介は表層の向こう側に、ユイと同様の純真さと柔和さを感じ取っていた。

 恭介には、夭折した英雄たちに憧れる――亀山の精神が、脆くも壊れやすいガラス細工でできている気がして、この男を傷つけたくはなかった。大らかだが、思いやりのある茶谷の友情が亀山を強くしているかに見えていた。

 恭介は――死への漠然とした恐怖と、それに相反する憧憬の念が去来するのを――ただ、ぼんやりと眺められずに、宗教書や臨死体験者の書いた本を読み漁っていた。存在の不可思議に目を逸らしながら生きるのは辛かったので、恭介は……、読書して考え続ける生活に答えを見出そうとしていた。

 恭介は、ユイとの交際に救いを求めていた。休日の夜、恭介はユイと携帯電話での連絡が取りにくくなったので、久しぶりにPUSSYを訪ねた。ヤヨイに尋ねると「ユイは、家計を支えるためOLをやめてから店で働いていた。全部、家族のためだと言っていた」と答えた。恭介は、ユイの境遇を想像すると――恥ずかしかっただろう。辛かっただろう――と、自分の経験のように傷ついてうろたえた。恭介は、ユイの顔に浮かんでいた優しいまなざしが、遠い昔に見た誰かの表情と同じものに思えていた。

 ヤヨイは、恭介宛のユイの手書きのメモを手渡した。そこには――渋江さん、ごめんね。一緒にいるときは、本当に楽しかった。大好きです。ありがとう。あなたには、きっと私なんかより素敵な女性が見つかると思います。元気でいてください――と、書かれていた。

 ユイを失った経験が、恭介に矢のような痛みを残した。恭介は湿った空気の中で落胆し、やっと店の外に出て歩き出した。ここには、もう見るべき何物も残っていなかった。ユイの痕跡も、明るい笑顔も存在しなかった。恭介は、今来た道を戻りながら、何度も振り返った。店のある雑居ビルが、今まででもっともみすぼらしく見えた。派手な電飾看板にも、何のときめきもなく、艶めかしいムードも消え失せていた。

 もう取り返しがつかない気持ちは、夜になっても消え去りはしなかった。ユイの現状を取り巻く苦しみは、恭介の想像を超えたところに存在していた。恭介の前では、明るく振る舞うユイも、心の奥では痛みを感じていたのに違いなかった。この時代の虚無の闇の力の前では、誰もが無力だった。

 ユイはたいていの平均的な日本人よりは、ずっと苦労して育っていたので、短所はあったものの、我慢強さと環境への適応力がある逞しい女性に見えていた。だが、恭介の想像の向こう側で、ユイは苦しんでいたのではないかと考えると、心が痛くなっていた。

 絶望の深い底から、這いあがれる力がどれだけ残されているのか――と考えつつも、恭介からユイを強奪したものの正体が何なのか、理解できなかった。

 恭介は――PUSSY――の店の前にいて、いたたまれない気持ちになった。ただ、ここにいる状況が、恥ずかしくて耐えられなくなった。

 よく眠れない日が続いた。眠ると、瞳を涙で濡らし、瞼を腫らしたユイが夢の中に現れた。恭介は夢を見るたびに、不安になっていた。

       ※

 一九九三年五月、国内のプロ・サッカー・リーグ、Jリーグの開幕戦として、横浜マリノスVSヴェルディ川崎の試合が開催された。スポーツによる経済波及効果が期待されるため、サッカー・ファン以外の層からも好意的に見られていた。日本のFIFAランキングは四十三位だが、来年開催されるアメリカ・ワールド・カップのアジア地区予選を突破し、初出場する期待がかけられていた。

 同年十月にカタールの首都ドーハのアリ・スタジアムで行われた日本対イラク戦は、二対二で終了し、ワールド・カップ出場を逃した。第四戦終了時点で、日本はグループ一位となり本戦出場が有力視されていたので、日本対イラク戦の試合結果が――ドーハの悲劇――と、呼ばれる展開になった。

 悲劇と名付けられたものの、日本代表は強くなっていた。恭介は、今大会の経験が次につながる――と考えていた。翌々年、恭介の家族は現実の悲劇に見舞われた。

 一九九五年一月、阪神・淡路大震災が発生した。恭介は、早朝、テレビのニュースを通じて惨状を知り、身震いした。テレビには、見慣れた街並みが映されていた。実家の周辺が映されたときは、生きた心地がしなかった。気がつくと――家族や親戚が無事でいてくれますように――と、両手を合わせていた。神戸市の三宮付近の映像では、高速道路は横倒しにねじ曲がり、あちらこちらから炎が噴き出し、煙が立ち上っていた。ビルや家屋の倒壊も凄まじさを感じさせた。

 恭介は、暗がりにいて、長い時間沈黙の中に閉じ込められ、酷く孤独を感じていた。――これから、どうしよう――疑問と困惑が胸の中に広がると、いたたまれない気分に心の全体が支配されているのを意識した。恭介の脳裏には――仏様が説法する時には、瑞相として六種の振動が起こる――と記す、仏教の説話が思い浮かんだ。不謹慎にも、地震の発生が瑞相には思えなかった。しばらくすると、今度は――我思う、ゆえに我あり――の哲学者ルネ・デカルトの言葉を思い出していた。

 恭介は、確かにここに存在しているが、恭介を客体として眺めている意識する主体について、彼は漠然と印象した。神戸の実家には電話がつながらず、報道によると――しばらくは交通機関が正常に運行不可能な状況――が、分かった。両親や家屋がまったく無事だとは、思えなかったが、恭介にはなすすべもなかった。人生とは何だろう――、青臭い問いかけは、こうした椿事に遭遇した時に沸き起こる印象だった。人生は生きるか死ぬかの二者択一に見えて、実のところそういうものではなかった。 生と死の中間にあるものに価値を見出し、自分を見つめ直す必要があった。

 恭介は、長年貯めてきた貯金の大半を失い、仕事を失い、恋人を失っていた。恭介は絶望し、すべてが――水の泡になった――と、痛感した。恭介がこれまで取り組んできた自助努力も自己啓発も、大した意味を持たず、ただ不条理な闇が眼前に広がっていた。恭介は今まで、苦悩と言い表すほどの深い悩みを知らなかったが、今の心境がそれに近く思えた。さらに、人間は、どんな努力をしても不可抗力には太刀打ちできない存在だと思った。

 人間が何をしようと、自然の法則は冷徹なまでに人々を苦しめた。それは、自然に対する人間の敗北を意味しており――敗北感――こそが、重篤な二次被害とも言えた。結局のところ、何もしないのが一番だと考える、敗北感から来る意図的な惰性は、さらに自分たちを苦境へと追いやる魔物とも考えられた。

 大学時代の恭介は、自分が人から好かれるタイプの人間だと思い込んでいた。二十代で可愛らしくて、よく気が付く妻を持ち、実力が発揮できる仕事についている状態を当然のごとく考えていた。恭介は、他人にやさしく接して、善良に振る舞い、努力家でいる限りは、この世界が必ず、自分に報いてくれるものと信じていた。だが、震災はそうした夢と希望を破壊しつくしていた。

 恭介は、疲労感と異常なまでの興奮を感じていた。被災地に行って、現状をわが目で見て確認し、家族を助け出すために力を尽くす必要があった。両親とは相変わらず、連絡がとれなかったが、今の段階で最悪の事態は想像できなかった。

 各種の報道で、電鉄各社の鉄道の高架橋が壊滅的なダメージを受けているうえ、道路上に倒壊した建造物が点在しているので、交通網は寸断されており、被災地は陸の孤島の状態になっているのが判明した。道路の撤去作業が進むのを待って、実家に出向いた。

 銀行に出勤して、デスク作業をしていても安否が気になって仕方がなかった。人は窮状に陥っている相手に対する出方で、本質が分かると、恭介はつくづく思い知った。被災地周辺の情報は、報道だけでなく親類と連絡を取り合っていたので、行内の誰よりも詳しく知っていたが、如月は「呑気に銀行に出てくる場合じゃないだろ?  こんな状態だから、歩いてでも実家に行けよ。道路状況が悪くても、バイクなら行けるかもしれないだろ。なければ、バイクを買ってでも、借りてでも行くべきだ。僕なら這ってでも行く」と大きな声で指示すると、必ず言葉にした後で上席の座るデスクの周辺を見た。

 如月の言葉は有難い反面、無神経な毒を含んでいるかのごとく、恭介は胸の奥に痛みを感じていた。――そんな状況はすべて考えたうえで、ここに来てこの仕事をしようとしている――と、苛立ちを覚えながらも、唾を飲み込み、気持ちを抑えた。

「ありがとう。分かったよ。考えておく」恭介が心にもない感謝の言葉を並べると、如月は顎を上げて、愉快そうな表情をした。

 逆に、恭介が困惑しているのを目にして、次長は「大変だったな。周りの言うことは気にせずにいるといい。近いうちに、電話回線は今より、つながりやすくなるし、交通状況も改善される。心配だろうが、もう少しの辛抱だ」と告げると「何かの足しにしてくれ」と見舞金を手渡した。

 現実はテレビで目にして、恭介が想像していた光景よりもはるかに凄まじかった。休みをとり、被災地に着くと自然の威力に叩きのめされて、無残な姿の街並みが目に付いた。どの道も殺伐として美しくなかった。斜めに傾いたビルや、垂れ下がった電線や、乗り捨てられたクルマは、ゴミ捨て場のように雑然としていた。思い出の中の美しい街並みは、もはや頭の中にしか存在しなくなっていた。

 恭介が訪ねると、神戸市中央区の実家は全壊していた。二階が一階を手酷く圧し潰し、記憶の中にある原形を留めていなかった。破壊された外壁の隙間から、仏間のくしゃくしゃになった掛け軸や砕け散った花瓶の残骸、引き裂かれた座布団などが、視界に入ってきた。台所があったところは、皿や食器類が床に散乱し、テーブルは真ん中から半分に叩き折られていた。恭介が見たところでは、どれも役立ちそうになかった。

 恭介の視界に入る真冬の寒空は、物悲しく見えていた。路上の草木を枯らした暴力は、人の体温を容赦なく奪っていく。路上に立ち、壊れた実家の様子を見ている時でも、冷たい風が吹くと頬に痛みを感じ、両手の指がかじかんでいた。

 もし、天罰があるとしたら何故、恭介の両親や神戸市民や淡路市民を鞭打つのだか――と、彼は強く疑問に思った。艱難汝を玉にす――の言葉は、人間は困苦を乗り越えたときに初めて立派な者に成長するのを意味していた。が、両親は二人とも年老いていた。過酷な試練が必要な年齢とも思えず、震災が恭介に与えられた試練のように、彼は思わずにいられなかった。

 周囲を見回すと、実家の南にあった高架橋は地上に落下していて、視界を遮っていた場所から向こうの空が見えた。恭介は、ここに来て自分の存在をちっぽけに感じていた。周りを歩けば、街が瀕死の重傷で衰弱しているのを示す点が、次々と目に付いた。かつては、この地域の富のシンボルといえた豪邸は門扉が破壊され、二階が傾いて一階部分を圧し潰していた。江戸時代の中期に創建された寺は、跡形もなく瓦礫の山となっていた。被災地は日常の連続性を失い雑然としていたが、すべてが空虚な悲しみに包まれていた。

 幹線道路沿いの人通りの多い場所では、ボランティアが豚汁の炊き出しをしていて、長い列ができていた。励ましの言葉をかけるボランティアだけではなく、プラスチックの器を大事そうに、両掌で受け取る被災者の姿まで、神々しく見えていた。恭介が想像した以上に、被災者たちは逞しかった。恭介は歩道の上を歩くときも、唇をかたく結び、眉に力を入れて感情を抑えた。姿勢を正すのが、被災地の人々への礼儀のように思っていた。

 被災地の周辺をひたすら歩いていると、思考がどうにかなるのか、恭介の頭の中には、あれこれと、とりとめのない想念が浮かんでは消えて行った。しきりに震災前の光景が思い浮かび、街並みが甦ってきた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る