第十七話  ミーシャ・フィンドラルの愚行 ① 

 ミーシャ・フィンドラルことわたしは、ゆっくりと目蓋を開けた。


 ずっと両目を閉じていたため、照明が消えていた部屋の中でも何となくモノは見えている。


 わたしは静かに上半身だけを起こす。


 現在、わたしは天蓋付きのベッドの中にいた。


 けれど、ここはわたしの部屋ではない。


「ぐご~……ぐご~……」


 チッと舌打ちを堪えながら、わたしは顔を隣に向けた。


 わたしの隣には、わたしと同じ全裸のアントンが気持ちよさそうにいびきをかいて寝ている。


 そう、ここは宮殿内のアントン・カスケードの寝室だった。


 時刻は夜――。


 つい半刻(約1時間)ほど前まで、わたしとアントンはこのベッドの中で性交セックスしていたのである。


 ……本当に気持ち悪い


 私は我慢できずに小さく舌打ちしてしまった。


 アントンにとっては気持ちのよい性交だろうが、アントンに対して微塵も愛を持ち合わせていないわたしにとっては強姦レイプと一緒だ。


 おかげで情事の前はいつも大変だった。


 何せまったく濡れないのだから、布海苔ふのりを煮て溶かした疑似愛液ローションで陰部を濡らしたあとに、アントンの小さくて汚らしいモノを受け入れなくてはならない。


 アントンには自分はそういう体質だからと誤魔化していたが、秘部が濡れない理由は単純だった。


 わたしが真に愛する男性は、アントン・カスケードではないのだから。


「ぐご~……ぐご~……ぎりりりり」


 わたしはあらためてアントンに視線を巡らせる。


 正直なところ、わたしの隣で寝ている男は人語を話す豚である。


 国王という立派な肩書と身分があるから身体を許しているだけで、もしもそうでなければ身体に油を塗って巨大な窯で丸焼きにしたいぐらいだ。


 しかし、このアントンは紛うことなきカスケード王国の若き国王。


 身の毛がよだつほど嫌だったが、わたしたちの計画を成功させるためには性交ぐらい我慢できる。


 わたしはベッドから出て衣服を着ると、そのまま入り口の扉へと歩を進めた。


 入り口の前で立ち止まり、アントンが完全に寝ているのを遠目で確認してから通路へと出る。


 すでに夜も遅いため、通路の中はしんと静まり返っていた。


 ここは宮殿内でも奥にあるため、警備の衛兵も宮殿の入り口にある詰め所にしかいない。


 そして衛兵たちの巡回する場所も時間も把握しているため、このまま目的の場所へ向かっても誰に気づかれることなく辿り着ける。


 わたしは高鳴る鼓動を抑えながら、目的の場所へと足早に急いだ。


 やがて宮殿内から中庭へ足を踏み入れると、月明かりを頼りに広大な中庭の一角にあったバラ園へと向かった。


 当然のことながら、時刻も時刻なのでバラ園は暗闇に包まれている。


 わたしは周囲を警戒しながらバラ園へ来ると、「ピュウ」と口笛を吹いた。


 するとバラ園の奥から同じく「ピュウ」と口笛が返ってくる。


 それだけでわたしの心臓が心地よく跳ねた。


 今、バラ園の奥にはあの人がいる。


 こうして口笛を返してくれるのは、このバラ園に自分がいるという合図だったからだ。


 わたしはバラ園の奥へと駆け足で進む。


 バラ園の奥には、1人の男性が佇んでいた。


 今宵は満月。


 そしてバラ園には天井がなかったため、夜空から降り注ぐ銀色の光によって男性の姿がはっきりと確認できた。


 180センチはある背丈に、軽くウェーブがかかった金髪。


 過剰な筋肉もないが、衣服の上からでも引き締まった身体をしている。


「やあ、ミーシャ」


 向こうも私に気づいたのか、男性はこちらを振り向いてニコリと笑う。


「アルベルト!」


 わたしは感極まり、この世でわたしが最も愛している男性――アルベルト・ウォーケンの胸に飛び込んだ。


 アルベルトはそんなわたしの身体を優しく受け止めてくれる。


「会いたかった……」


 わたしはアルベルトを強く抱きしめた。


「俺もだよ、ミーシャ」


 アルベルトはそう言うと、私にキスをしてきた。


 もちろん、わたしは拒んだりしない。


 このアルベルトになら何をされてもいい。


 それほどわたしはこの人を愛しているのだから。


 長いキスを終えたあと、わたしはアルベルトの顔を見上げた。


「アルベルト、わたしは聞きましたよ。魔力水晶石のメンテナンスのため、魔術技師の誰かが辺境の地域に赴くのでしょう?」


 こくりとアルベルトはうなずいた。


「だけど、まだまだ新米の俺には関係ないよ。選ばれるのはベテランの技師だろうから」


 アルベルトは魔術技師である。


 魔術技師とは、魔力灯を始めとした魔力で動く魔道具をメンテナンスする人間たちの総称だ。


 しかし、魔術技師は誰にでもなれるような職業ではない。


 きちんとした国家資格者であり、しかも試験にも高額な費用がかかるため、貴族以外の一般人では豪商などの富裕市民しか試験を受けられなかった。


 そんな試験をアルベルトは去年、15歳という若さで首席で合格した。


 家柄はわたしと同じ男爵家だったが、アルベルトの神童さ※は貴族の間でも有名だったことで、試験に合格したアルベルトはすぐに王宮の魔術技師庁へと入庁した。(※さ名詞は形容詞や形容動詞を名詞化するものなので、神童などの名刺にさをつけることはできません。[アルベルトが神童なのは」「非凡さ」など他の表現に変えてみられてはいかがでしょうか)


 わたしはアルベルトの端正な顔をじっと見つめる。


 アントン・カスケードという豚とは比べ物にならないぐらいのイケメンだ。


 しかも性格も優しく、ほぼ特例に近い形で魔術技師庁へと入ったにもかかわらず、周囲からは疎まれるどころか将来を有望視されているという。


 おそらく、このままいけばアルベルトは魔術技師庁のトップにまで上り詰める。


 魔術技師庁のトップになれば、その発言権や待遇は宰相クラスと変わらない。


 いや、これからどんどん魔道具が普及していくと考えれば、魔術技師庁のトップは宰相どころか元老院すら一目置かれる存在になるに違いない。


 そんなアルベルトとわたしは密かな恋仲だ。


 最初の出会いはどこかの貴族の屋敷で開かれた晩餐会だった。


 そして話しかけてきたのはアルベルトのほうであり、話しているうちにわたしたちはあっという間に打ち解けたことは今でも鮮明に思い出せる。


 やがてわたしたちは密かに会うようになり、互いの将来を話し合った。


 当時のわたしはまだ防病魔法の才能に目覚めてなく、このままどこかの貴族と結婚して無難で退屈な人生を歩むのだとアルベルトに愚痴をこぼした。


 そんなわたしにアルベルトは言った。


 ――ミーシャ、君は誰よりも美しく才能を持った女性だ。きっとこれからは報われるよ。それこそ君のお姉さんよりもね


 このとき、わたしは何と答えただろうか。


 上手く思い出せないが、「そうだったらいいわね」ぐらいは言ったと思う。


 アルベルトには申し訳なかったが、すでに姉のアメリアは〈防国姫〉としての才能と実力を遺憾なく発揮していたので、何の才能も開花していないわたしはどう逆立ちしようと状況は覆らないと諦めていた。


 けれども、このアルベルトの言葉をきっかけに奇跡が起こった。


 それからしばらくして、わたしに〈防国姫〉の資格者たりえる防病魔法の才能が開花したのだ。


 以後、わたしの人生は文字通り一変した。


 魔術技師であったアルベルトが王宮魔導士の方々にわたしのことを推薦してくれたこともあり、〈防国姫〉の資格ありと判断されたわたしは、あの忌々しい姉を〈防国姫〉から蹴落として婚約破棄と追放処分を与えることに成功したのである。


 もちろん、それなりのリスクはあった。


 その1つは、あのアントンに取り入らなくてはならなかったことだ。


 本当は嫌で嫌でたまらなかった。


 抱かれている最中は必死に喘いでいる演技をしていたが、少しでも気を抜けば殺意があふれてきて適当な鈍器で殴り殺したくなるほどに。


 だが、わたしは必死に我慢した。


 今日もそうである。


 こうして人目を盗んでアルベルトに逢う日にも、わたしはアントンに怪しまれないように身体を開いた。


 すべてはこのアルベルトと結ばれるため。


 表向きはアントンの妻として王妃になろうとも、それはあくまでも絶対的な権力を得るために必要なことだからだ。


 そしてわたしが王妃になった暁には、絶対に周囲には気づかれないようにアントンを暗殺し、このアルベルトを魔術技師庁にトップに推薦する。


 これこそ、わたしとアルベルトが密かに計画していることであった。


 すべてはわたしたちが絶大な権力を手に入れるためだ。


 それに権力さえ手に入れてしまえば、わたしたちの関係など何とでもなる。


 ゆえに焦りは禁物だった。


 今は2人とも権力を得るために耐え忍ばなくてはならない。


 たとえわたしはアントンに好き放題に抱かれ、アルベルトは新米魔術技師として辛い日々を送ろうとも。


 わたしはアルベルトを強く抱きしめる。


「あなたらすぐに出世するわ。だから辺境なんか行く必要はないのよ」


「そうだな……じゃあ、今日はゆっくりと2人で楽しもう」


 眩しいほどの月明かりの下、わたしとアルベルトは屋外にもかかわらず感情に任せて肉体を重ね合わせた。


 アントンに抱かれているときとは違い、わたしの口から漏れる吐息は本物の熱を帯びていたのは言うまでもない。

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