第42話 溺れるほどの愛(1)

 フランはライズとの婚礼の準備で、目が回るほど忙しくなった。

 出生の真実を知っても落ち込む隙もないくらいに、たくさんの人が祝いの挨拶に訪れて、さばききれないほどの贈り物を届けていく。

 エステとマッサージが毎日のスケジュールに盛り込まれ、サリーを筆頭とする侍女たちが張り切って腕を振るう。ときにはシルビア姫が顔を出し、ロイヤルな場での作法や立ち回り方をアドバイスしてくれた。


 今は部屋を丸ごとドレスルームにした一室で、三人の侍女に囲まれて衣装合わせをしている最中だ。

 ハンガーに吊された何十着ものドレスの中からウェディングドレスを選んでいるのだが、どれも最高級の出来栄えで目に眩しい。これらのすべてがフランのためだけにしつらえられているなんて、あまりの贅沢ぶりにめまいがしてしまう。

 当日はこの中から選び抜いた数着を使用するらしいが、皇太后がさまざまなパターンを見たいからと、フランに実際に身に着けさせては取り替える、その繰り返しだった。


「ん~、このデザインもまぁまぁだけれど……。フランさんはお肌が白くてきれいだから、もっとデコルテを広く見せたほうが……。次のドレスを持ってきてちょうだい」


(ま、まだ続くの……? さすがに足が……)


 気持ちはありがたいのだが、朝から呼び出されて拘束時間はかれこれ四時間以上にも及ぶ。着つけに時間のかかるウェディングドレスに何十回と袖を通させられて、足は棒のように痛いし全身がくたくただ。


 頭にふらつきを覚えたちょうどその頃、扉がノックされ、クリムトが姿を現した。

 彼はフランにも丁寧に会釈してから皇太后の近くに歩み寄ると、直属の上司からの先触れを伝える。


「皇太后様、皇帝陛下がこちらへ顔を出したいと」

「あら、こちらの様子が気になるようね」


 どうやらライズがこちらに来てくれるらしい。

 天の助けだと思っていると、予想していたよりも早く、乱暴に扉が開かれた。


「母上……! またフランを独占して」


 室内に踏み込んできたライズは、着飾ったフランの姿をひと目見て、時が止まったかのように静止した。大きく目を見開いて、穴が開くほどこちらを見つめている。


「ライズ様?」


 なにか変なところがあるのだろうかと慌てたが、次の瞬間、彼はふわりと破顔し、嬉しそうに目を細めた。


「とてもきれいだ……式の日が楽しみだよ」


 気持ちがこもっているのがすごく伝わってきて、頬が熱くなった。

 それから自信満々に自分の見立てだと胸を張る皇太后と、ライズの軽い言い合いが始まる。これはもう見慣れた風景だ。公の場では厳かで、住む世界が違うと思っていた人々は、プライベートとなれば親しみやすく、懐の広い人たちだった。

 慈しみ、信頼し、ときにはぶつかり合っても揺るがない。これが家族というものなのだと、フランは知った。そしてもうすぐ自分もその一員として迎えてもらえる。その日が待ち遠しくてたまらなかった。


 婚礼の式に呼ぶ予定の貴賓リストの中に、フランの家族の名前はない。そのことは当然のこととして受け止めていた。

 建国祭での事件のあと、事実は密やかに父王に伝えられ、お目こぼしにあずかった家族を連れて国に戻っていった。ベラが企んだことについては、悩んだライズが寛大な処置をしてくれたわけであるが、見逃すのは今回一度きりという条件つきだ。

 シャムールは王制を廃止し、帝国の指導を受けながら民主制に移行する見込みだという。祖国に新たな風が吹くチャンスをくれた彼には感謝の気持ちしかない。

 そして――もうこの先、故郷を振り返ることはないだろう。前だけを見て、歩いていけばいい。


「そろそろ食事にしよう。今日は天気がいいから、外でどうだ」

「はい、ぜひ!」


 ライズの提案で庭に設けた席に移動し、美しい自然の中でのランチとしゃれこんだ。

 ライズに皇太后、そしてルーク、さらにはシルビア姫も呼ばれて、頬が落ちそうなほど美味しい食事を堪能する。

 フランの周りは、温かな愛情と安らぎに満ちていた。


       *


 厳粛な雰囲気が漂う大聖堂にて、婚礼の儀式が行われている。

 祭壇の前の赤い絨毯の上に並び立つのは、純白のウェディングドレスに身を包んだ花嫁のフランと、輝ける新郎であるライズだ。

 皇族関係者が見守る中、ふたりは司祭の前で誓いの言葉を述べた。


「いついかなる時も、あなただけを愛し、守り、添い遂げると誓う」

「いついかなる時も、あなた様だけを愛し、敬い、添い遂げると誓います」


 向かい合い、大粒のダイヤモンドの指輪を交換したあと、身をかがめたフランの頭上にティアラが載せられた。

 ゆっくりと顔を上げると、夫となる男性の姿が目に飛び込んでくる。白と金を基調とした豪奢な衣装を身に纏った彼は、金髪紫眼も相まってこの世のものとは思えぬほど高貴で眩しい。

 まるで宗教画に描かれた全能の神のような彼が、一歩近づいてフランの肩に手を添えた。清らかな誓いのキスを、しっとりと目を閉じて受け止める。

 短くも鮮烈なその一瞬を心に焼きつけ、フランは決意を新たにした。

 眩しい帝国の太陽――自分を見つけ、導き、守ってくれた運命の人。この奇跡に感謝し、全身全霊をかけて応えていきたい。皇妃として、新たな国母として、愛する人に見合う自分でありたいと。


 そうして儀式を終えたふたりは、お披露目の場に向かって移動を始める。フランはライズの肘にそっと手を添え、ライズはフランに歩幅を合わせて大廊下を進んだ。

 ウェディングドレスに散りばめられた一万個にも及ぶクリスタルがきらきらと光を反射し、精巧な刺繍が施された裾広がりの長いトレーンが優雅にあとを引く。


 やがてふたりがバルコニーに出ると、そこには圧倒される光景が広がっていた。目下の広大なスペースを帝国の民が埋め尽くし、朗らかな笑顔をこちらに向けている。

 歴史に残るであろう盛大なロイヤルウェディング。国の象徴たる新郎新婦を、大きな拍手と歓声が包んだ。

 感激のあまり立ち尽くすフランをライズが抱き寄せ、音の洪水の中でも聞こえるよう、耳元に口を寄せて言う。


「フラン……愛している。我が帝国に来てくれて、ありがとう」


 祝福の白い鳩が、天高く飛び立った。

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