第41話 呪縛からの解放(6)
城の壁沿いに庭を進んでいくうちに、会場から響いていた音楽も遠のいていく。
やがて各棟を繋ぐ外回廊が見えてきた。今は客も使用人もメインホールに集まっているから、通りかかる人影はほとんどない。
けれども前方に目をこらすと、太い柱の陰に男性がひとり立っているのがわかった。旅用の軽装備を身に着けたシャムールの騎士だ。
ベラとフランが近づいていくと、男が姿勢を正して頭を下げた。柔らかな茶色の髪と瞳をした幼馴染、アルベールだ。
「アルベール!」
「フラン様……ご無事だったのですね!」
駆け寄っていくと、顔を上げたアルベールはほっとしたような気まずいような複雑な表情を見せた。フランが帝国に捧げられることが決まったとき、力になることができなかったと気に病んでいるのかもしれない。
フランは晴れやかな笑顔を浮かべ、自分は幸せであると報告した。皇帝の妃になるのだと告げると、アルベールは信じられないという顔で「本当ですか」と尋ねてくる。
「本当よ! それにね、皇帝陛下はとてもステキな方で……」
すると、うしろから投げられた冷ややかな声に、会話を断ち切られた。
「あら、でも残念ね。あなたは皇妃にはなれないわ」
驚いて振り返ると、先ほどまでとは別人のように冷たい表情を浮かべた母が、腕を組んでこちらを見下すように立っている。
「フフッ。バカねぇ、フラン。あなたが嫁ぐのは帝国ではなく、西の国よ」
ざらりとした声音。肌が粟立ち、嫌な予感が胸に広がった。
「……どういう……ことですか?」
しかし、返ってきたのは嘲笑と、耳を疑うような命令だった。
「ウェスタニアのさる高貴なお方がね、先祖返りであるあなたを研究したいのですって。引き渡せば、わたくしたちを帝国の支配から解放し、もっと贅沢な暮らしをさせてくださるとおっしゃっているの。そんないい話、乗るしかないわよね? ……さぁアルベール、指示どおりにフランを捕まえてここを出るのよ」
「そんな……嫌です! 私は、西の国になんて……」
「あとのことは心配しなくて大丈夫よ。幼馴染の騎士と密会して逃げたことにしておくから。裏切った婚約者の代わりに、娘のマーガレットが慰めて差し上げれば、皇帝陛下もいっそう満足されることでしょう」
フランは息をのんだ。母の変貌ぶりと暴挙を前にひどく混乱している。
それでも身に迫る危険を感じ、城内に逃げ込もうとしたが、その前にアルベールに腕を掴まれてしまった。彼の顔には迷いが見られたが、王族の命令は絶対だ。
「アルベール……」
「フラン様。申し訳ありません……」
忠実な臣下を責めたところでどうにもならない。くじけそうになる心を叱咤し、生まれて初めて母を問い詰めるような視線を送った。
「お母様、なぜ……!」
「お母様とか呼ばないでちょうだい。あなたはわたくしの娘なんかじゃない。王が外で戯れに作った卑しい存在なのよ!」
「えっ……?」
「出産を終えて弱っていたわたくしの前に、ひとまわりも大きな赤子を連れてきて――密かに囲っていた妾がほんの少し前に出産し、亡くなった。残されたこの子は王の血を引いているから自分たちの子として育てようだなんて……そんなの許せるわけがない!」
声をからして叫ばれる怨嗟の言葉は、フランの喉からも水分を奪っていった。
「それは、どういう……私は、お父様とお母様の間に生まれた子ではないのですか? 私の本当の母親は、もう亡くなって……?」
「そうよ、そのせいで王が変に執着して引き取るはめになったんだから……。けれど、おまえが本当に王の子かどうかなんて、正直わからないわよね。死人に口なしだもの」
今まで家族だと信じて持ち続けていた絆のようななにかが、もろく崩れていくのを感じた。同時にずっと抱いていた違和感が解けていく。
「汚らわしい娘。おまけに先祖返りだなんて気味の悪い能力を持ったおまえが、わたくしやマーガレットより幸せになるなんて、あってはならないのよ! さぁアルベール、フランを黙らせて運び出しなさい。痛い目を見させてもいいわ。人が来る前に……早く!」
「嫌っ、放して! 誰か――」
叫ぼうとしたが背後から抱え込まれ、口を塞がれてしまった。片手でアルベールを押しのけようとしてもびくともしない。掴まれているほうの左手も、まるで動かせなかった。
このままでは簡単に連れ去られてしまう。せめて獣化の力が使えれば、彼らを翻弄して逃げられたかもしれないのに。
目尻に涙が浮かんだ。黒い革手袋をはめたアルベールの手が口と鼻を覆っており、声を出すどころか呼吸すらもままならない。酸欠で目の前が白くぼやけてきた。
(……あぁ、そんな……。ライズ様……助けて……助けて!)
頭の中で、繰り返し大切な人の名を呼ぶ。
すると、左手の薬指にある指輪が、妖しく煌めいた。
――ゴウッ……!
唸るような音を立て、指輪のセンターストーンから紫色の炎が勢いよく噴き上がる。
「うっ!?」
炎に煽られ、顔を歪めたアルベールがフランの手を離し、後ずさりした。
「なっ、なにごとなの!?」
ベラも突然の炎上に驚き、よろけるようにうしろに下がる。
驚いたのはフランも同じだ。危険な炎を少しでも体から遠ざけようと、指輪がはまっている左手を先へと伸ばして顔を背ける。だが色鮮やかな炎からは熱さを感じなかった。
おそるおそる指先を確認すると、生じている炎に触れてはいても、火傷もしないし痛みも感じない。けれどもアルベールのほうは服の袖が焦げて、炎によるダメージを少なからず負っている。
唖然としているうちに、炎は指輪に吸い込まれ、消えていった。あとには何事もなかったかのように、美しい石が煌めいている。
(そういえば……)
指輪を賜った際に、ライズから言われた言葉を思い出した。
この宝石はマナの力を宿した貴重なもので、もしも危険が迫ったとき、フランの身を守ってくれると――。
すると森の奥から、鋭い一声が届いた。
「加護の力は一度しか使えないのだが、まさか贈ったその日に役立つとは……」
その声に、ベラがハッとして振り返る。
三人が見つめる先から夜の闇を掻き分けるようにして現れたのは、静かな怒りを瞳にたぎらせたライズだった。
「ライズ様……!」
ベラの横を駆け抜け、飛びついてきたフランを、ライズが抱きとめる。力強い腕が背に回され、安心が身を包んだ。
「フラン、大丈夫か?」
「はい……ライズ様。ありがとうございます」
視線を交わしてフランの無事を確認したライズとともに、フランはシャムール王妃とその騎士に向き直った。
ライズの鋭い眼光を受けて、王妃らはびくりと肩を震わせる。その威圧感は、フランにもビシビシと伝わってきた。常に隙がなく厳しいところがある彼だが、ここまで怒っているのを見るのは初めてだ。
「私の妃を愚弄し、害そうとした罪は重い。どう贖ってもらおうか」
「な、なんのことでしょうか……。わたくしたちはただ、懐かしい再会を喜んでいただけですわ」
「言い逃れをしようとしても無駄だ。ウェスタニアの口車に乗り、フランを売り渡そうとしたな」
真相を言い当てられたベラは息をのむ。けれども彼女は諦めなかった。
「ち……違うのです。わたくしは帝国のためによかれと思って……その子は卑しい血を引く化け物なのですよ!? 騙されてはいけません。わたくしの娘のほうがよっぽど……」
「黙れ。それ以上発言するなら、この場でその首をはねてやる」
毅然として発せられた声には、息をのむほどの凄みと重みがあった。
「ちょ、ちょっと、アルベール! なんとかしなさい! あなた護衛でしょう」
「か、かしこまりました……」
忠実なアルベールは、主君の命令により腰に下げた剣を抜こうとした。けれどもその腕は、遠くから見てもわかるほどに震えている。ライズとの実力差を肌で察しているのだ。
「やめて、アルベール。皇帝に剣を向ければ、死罪になるわ。お願いよ……もうこれ以上、悲しい思いはしたくないの……」
「フラン様……」
アルベールはそのまま剣を抜かずに、がくりと膝を折った。
すぐに帝国兵が駆けつけて、ベラとアルベールを取り押さえた。彼らが連行されていく姿を、フランは目を逸らさずに見送った。
この日、フランは仮初めの母を失うとともに、その呪縛から解き放たれたのだ。
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