第40話 呪縛からの解放(5)

 当然ながら初めての、夢にまで見たプロポーズ……呼吸するのを忘れるくらい、驚きと感動で頭の中が真っ白になっていた。

 やっとのことで舞い上がりそうになる気持ちを抑え、震える声を絞り出す。


「ライズ様……本当に、わ、私で、よろしいのですか……?」

「おまえでなくてはダメだ。おまえしか、いらない」


 優しくまっすぐな瞳で覗き込まれ、求愛の言葉が真に迫ってくる。


(信じられない……でも、夢ならどうか覚めないで――)


 彼は、じっとこちらを見つめたまま、フランからの返事を待っている。頬を染め、胸をいっぱいにしながら、素直な気持ちを口にした。


「は、はい……。私も、ライズ様をお慕いしております……心から……」


 その答えを、ライズは輝くような笑顔で受け止めた。そして長身を屈め、フランの前に片膝をつく。


「フラン……受け取ってくれ」


 そう言ってフランの左手をすくい取ると、薬指にそっと指輪を差し込んだ。

 大ぶりな紫色の宝石の周りに無数のダイヤモンドをあしらった豪勢なリング。サイズはぴったりで、ずっしりとした重みが存在感を主張している。


「ライズ様の瞳の色と同じ……」

「世界でも希少な、深紫の色を持つダイヤだ。私だと思ってくれると嬉しい。この石にはわずかだがマナの力が宿されている。もしものときには盾となり、その身を守るだろう」


 そんな貴重なものが、自分の指にあるなんて。なによりライズから指輪を贈られたという事実がこの上なく幸せで、天にも昇る心地だ。けれども身に余る光栄のようにも思えて、頭の処理が追いつかない。

 そのうちに立ち上がったライズは、フランに会場にも目を向けるよう促した。おそるおそる広いフロアに視線をやると、大きな歓声と拍手が上がり、祝福が身を包む。


 中には、不満を持つ人もいるだろう。これから反対や苦情も寄せられるかもしれない。けれどそれは障害にはならない。認められるよう努力するだけだ。

 それでも慣れぬ注目に圧倒され動けずにいると、ライズが笑って肩を抱き寄せ、支えてくれた。慣れ親しんだ温もりをそばに感じて、じわりと実感が湧いてくる。


(ライズ様……本当に私を選んでくださった――)


 フランの表情は、いつしか花開くように愛らしくほころんで――それから堰を切ったように涙が零れ出した。お化粧が崩れてしまうと気を揉みつつも、盛り上がる感情の奔流を抑えることはできなかった。



 会場には引き続き宴を楽しむようお触れが出された。

 ステージを下りたふたりは、まずは皇太后とルークに挨拶をしに行った。当然ながら、ライズの家族である彼らはこのことを事前に知っていたようだ。


「あぁ、やっとライズがお嫁さんを決めてくれて、肩の荷が下りた気分よ」


 と、意外にも一番嬉しそうにしていたのは皇太后。


「皇太后様……。本当に私を認めてくださるのですか……?」

「もちろんよ。息子が真に愛する人を見つけ、心から幸せを分かち合える相手を選んだのなら、わたくしも心から祝福します。……というか、この朴念仁では一生見つからないのではと危惧していたけれど、本当によかった。これからが楽しみね。皇妃としての素養? そんなもの後づけでいいのよ。わたくしが手取り足取り教えてあげますからね」


 などと言いながら、力強く手を握ってくれる。さらには、


「フラン……いや、義姉上。母上や兄上に対して困ったことがあれば、いつでも相談に乗るからね」


 と、杖なしでも歩けるようになったルークが、挨拶のハンドキスをするつもりで優雅に手の平を差し向けてくる。

 すると、それに応える前にがっしりとした手がフランの腰に回り、体を引き戻された。トンと背中が逞しい胸板にぶつかって、そのまま居場所を固定されてしまう。

 首を動かしてうしろを見れば、クールな瞳に独占欲を浮かべたライズが立っていた。どうやらルークへの挨拶はショートカットされてしまったようだ。

 そしてライズは、少し離れたところに遠慮がちに立っているシルビア姫に声をかけた。


「シルビア姫。ルークはまだ足元がふらつくようだ。世話を頼む」

「は、はい……!」


 慌てて駆け寄ってきたシルビア姫を見て、フランはハッとした。

 シルビア姫はライズの幼馴染、いわば恋のライバルだった相手だ。あれほど完璧な人なのに、将来結ばれる相手のためにと自分を磨く努力を絶やさなかった。個人的にはとても尊敬しているし憧れてもいる。


 ライズのことだけは譲ることはできないが、相手の立場に立って考えると胸が潰れそうになるほど辛い。周囲の誰もが彼女が選ばれると確信していたのに、このような結果となり、本人はきっと深く傷ついているはずだ。

 なんと声をかけたらよいかわからず、複雑な表情でシルビア姫を見つめるしかなかった。

 しかし、ライズに言われたとおりルークの補助についたシルビア姫が見せたのは、咲き誇る百合のように満ち足りた、清々しい笑顔だった。


「フランさん、ご婚約おめでとうございます。心から祝福いたします。……ルーク様、あちらで少し休みましょう」


 そう言ってシルビア姫はルークに寄り添い、仲睦まじい様子で去っていく。

 あっさりとした引き際に、わけがわからず目をしばたいて見つめていると、ライズが耳打ちしてきた。


「シルビア姫は、ルークのことが心配でこの国に来ていたんだ。彼女は幼い頃から、ルークのことが好きだった。内密に自国に引き取りたいとまで言ってくれたんだが、そういうわけにもいかず……。だが、おまえのおかげで、すべては丸く収まった」

「そう、だったのですか……」


 ついつい気の抜けた返事をしてしまう。

 なるほど、シルビア姫がライズと幼馴染ということは、ライズと一緒に育ったルークとも近い距離にいたはずだ。


(シルビア様は……ずっとルーク殿下と、この国のことを気にかけておられたのね……)


 ライズがふたりの背中を温かく見つめていることにも、安堵する。気がかりだった重石がひとつ取り払われて、フランは大きく息をついた。

 その後もフランはライズとともに会場を回り、婚約者として紹介されていった。


 

 ――宴の夜は、まだまだ先が長い。

 いつもよりヒールの高い靴を履いていたフランは、今のうちに少しだけ休憩させてもらうことにして、外の風に当たろうと大ホールに隣接する庭に出た。

 夜の庭園はしっとりとして、ライトアップされた木々が幻想的に見える。

 噴水の縁に腰かけて、サラサラと流れる水音と会場から漏れてくる音楽を聞きながら、幸福の余韻を噛みしめた。


 わずかな光すらも拾って輝く、ライズの色の石がはめ込まれた指輪を確認しては、これは夢ではないのだと胸を撫で下ろす。

 喜びを抑えきれず、世界でひとつしかない婚約指輪にうっとりと目を奪われていると、近くで草むらを踏みしめる音がした。

 気配のするほうに顔を向けると、建物の明かりを背にして、母のベラが立っている。


「フラン……探したわよ」

「お母様」


 笑顔で少し話をしようと誘われて、フランは気持ちが高揚するのを感じた。

 長らく合わないうちに気持ちがすれ違ってしまったが、こうしてフランは帝国の皇妃に選ばれることになったのだ。きっと母も喜んでくれているに違いない。


「本当によかったわね、フラン。……実は、護衛としてアルベールも連れてきているのよ。会場には入れないから外にいるのだけど、ひと目会いたいでしょう?」

「アルベールが!? まぁ、懐かしいわ……!」

「それじゃあ、案内するわね」


 にっこりと微笑んだベラのあとを、疑いもせずについていった。

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