第38話 呪縛からの解放(3)

 祭事の準備に関する彼らの相談は続いていたが、フランはいつの間にか心ここにあらずの状態になっていた。


「ねぇ、フランさん」

「――は、はいっ?」


 唐突に声をかけられて、ハッとする。大事な話も、もしや聞き逃してしまったかもしれない。

 慌てて顔を上げたフランに、皇太后がにっこりと笑って話しかけた。


「話は変わるのだけど……今度わたくしにも、噂の聖獣とやらの姿を見せてくれないかしら」

「え……えぇっ!?」


 予想もしていなかった依頼に、椅子に腰かけた姿勢のまま仰け反った。


(こっ!? 皇太后様に、変身した姿を……!?)


「ね、いいでしょう? 小さくて温かくて、それはもう極上の手触りと愛らしさで――愛しくてたまらない、だなんてライズが自慢げに言うものだから……」


 急にライズがゴホンゴホンと咳をしだし、後半部分の音がかき消された。喉の調子でも悪いのだろうかと彼のことも気にかけつつ、皇太后に意識を戻す。


「あ、ええと、そのですね……」


 ねだるように見つめられ、フランは思いきり返事に詰まってしまった。

 別に出し惜しみするつもりはないが、物理的な問題で今は引き受けることができないのだ。体力は回復しても、まだマナの器は空っぽに近い状態だった。

 原動力となるマナが戻らないうちは、変身はできないし、癒やしの力も使えない。こんなことは初めてで、いつ元の状態に戻れるのか見通しも立っていなかった。


「も……申し訳ありません。実は、まだ力が回復しきっておらず……」

「あら、そうなの……? それなら仕方がないわね……」


 皇太后が残念そうな顔で首を傾げる。無理強いするつもりはないらしい。


「母上。フランを困らせないでください」


 ライズが席を立ち、フランのそばに来て手を差し伸べた。


「フラン、そろそろ部屋に戻ろう」


 周りをよく見ている彼は、紳士的で気遣いも細やかだ。ありがたくその手を取って、この場は失礼させてもらうことにする。

 そんなフランに、皇太后とルークは名残惜しそうな表情を見せた。


「あら、もう行ってしまうの?」

「フラン、またね」


 ぜひ次の機会にと笑顔を作り、ルークにも体を大事にしてほしいと伝え、部屋をあとにした。



 皇妃の部屋まで送ってもらい、扉の前でライズと言葉を交わした。

 彼はこのあと執務室に戻るという。建国祭やルークの恩赦の件など、これからさまざまな準備と根回しが必要となり、いつにもまして忙しくなるに違いない。


「ライズ様、貴重なお時間をありがとうございました」


 するとそっと抱き寄せられたので、甘えて彼の胸に頬を擦り寄せる。馴染んだ香りと温もりに包まれ、安らぎを感じた。


「気を遣わせてしまったな。母上も悪気はないのだが……」

「いえ、皇太后様とお話ができて、とても嬉しかったです」


 これは本心からの言葉だ。ルークの無事な姿が見られて嬉しかったし、皇太后との間にあった壁が取り払われた気がして、気持ちが軽くなった。


 だが正直なところ、皇太后が言っていた一大発表とやらの件については、ひどく気を取られてしまっている。

 思い切って尋ねてみればいいのだが、彼の口から語られる真実が、耐えがたいほどの苦痛と悲しみをもたらすかもしれないと思うと、どうしても勇気が出ない。

 『自分などが一番に選ばれるはずはない』のが大前提――根づいた劣等感は簡単に拭い去れるものではなかった。

 そんな心の内を知らないライズは、静かに微笑んで言った。


「おまえの身体が大事だ。今はゆっくり休んでくれ。それから、今夜も晩餐を一緒にとろう。あとで迎えをよこす」

「はい……お待ちしています」


 誘われると嬉しくなって、自然と笑顔が戻ってくる。頷いた彼が去っていくのを、姿が見えなくなるまで見送った。


(大丈夫……ライズ様は私を好きだとおっしゃってくださったんだもの……。それだけでも十分に光栄なことだわ……)


 高貴な一家の絆を取り持つことができたこと、フランは少しだけ自分を褒めてあげたい気持ちになっていた。

 ふと、自分の家族はどうしているだろうと、懐かしい記憶も浮かんでくる。

 正妃でなくとも側妃にでもなれれば、家族は喜んでくれるだろうか。もしライズが自分の居場所を残してくれるのなら、受け入れる道もあるのかもしれない。

 いつか慣れるはずだと自分を励まし、心を元気づけた。


       *


 あれよあれよという間に建国祭の当日となった。

 これ以上はないほど贅沢に飾りつけられた城の大ホールに、国内外から招待された最上級の賓客が集まって、盛大な式典が催されている。

 本日は特別な流れをとり、開幕にまず偉大な先祖を称え、帝国の繁栄を祝う儀式が執り行われる。国を支えた功労者へ褒賞が与えられ、続いて恩赦の儀へと移った。


 恩赦を与える対象としてルークの名が明かされると、ホールの壁に反響するほど大きなどよめきが上がった。初めは戸惑っていた貴族たちも、聖人のごとく復活したルークの姿を実際に目にすれば、その奇跡に感嘆するほかない。

 ルークの復権が公に宣言され叶った瞬間、会場は割れんばかりの拍手に包まれた。フランも手の平が赤くなるほど拍手をし、心からの祝福を送った。


 式を終えて、夜通し開かれる祝賀パーティーへと移る。荘厳だった雰囲気はがらりと変わり、上品な笑顔と陽気な笑い声に満ちた宴が始まった。

 美しき軍神のようなライズ、そして神の申し子と目されるルークは宴が開始されるやいなや大人気となってしまい、近寄ることは難しくなった。別の方向に目を向ければ、皇太后はシルビア姫とともに各国から来た重鎮の相手をしている。

 壁のような人垣を見つめて、フランはため息をついた。


(ライズ様にドレスのお礼を言いたかったけれど、今は無理よね……)


 今宵フランが身につけているドレスとアクセサリーは、すべてライズが新しくプレゼントしてくれた最高級の品だ。しばらく前からやたらと侍女が来て、隅から隅まで採寸されると思っていたら、突然に贅沢な品々が部屋に届けられて嬉しい驚きだった。

 今日は是が非でもこの姿をひと目見せ、お礼を言わなければと思っているのだが、それにはしばらく待たねばならないだろうと考えながら会場を見回す。すると、花離宮の令嬢たちがフランを見つけ、周囲に集まってきた。

 再び皇妃の部屋に迎えられたことを羨ましがられはしたが、今回が初めてのことではないせいか、向けられる嫉妬心は思ったよりも控えめだ。むしろ彼女たちはシルビア姫とその対抗馬であるフランの対決を、ゴシップネタのように楽しんでいる節があった。


「フランさんはいいわよねぇ。陛下の一番のお気に入りですもの」

「もしかしたら正妃に選ばれる可能性もなきにしもあらず……? でもシルビア様はどうなるのかしら……? 政治的に考えるとやはり……」

「わたくしは親しみやすいフラン様がいいと思うわ。応援していますわよ、フラン様」


 噂好きの令嬢たちが、思い思いに語り合い、情報を交換し合う。


「今日はこのあと、おめでたい知らせがあると父から聞き及んでおります。陛下がお相手を定められるとみて間違いないですわね」

「シルビア様も、いつもより気張ってご準備をされていましたわ。……はぁ、お飾りでもいいのでわたくしのことも側妃にしてくださらないかしら……」

「そんなことを言っていると行き遅れてしまいますわよ? 花離宮が解散されたら、わたくしはすぐにお見合いをするつもりですの」


 盛り上がる会話についていけず、いたたまれなくなったフランは、こっそりと輪を抜けて会場の隅へと避難した。

 やはり皇太后が言っていた一大発表というのは、婚約関連の話で間違いはなさそうだ。


(そのお相手は……私? それとも、シルビア様……?)


 胸がぎゅうっと締めつけられる。果たしてこのまま冷静でいられるのだろうかと思っていると、聞き覚えのある声が耳に届いた。


「……フラン? フランなのか?」

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