第37話 呪縛からの解放(2)
あくる日には、フラン付きの侍女であるサリーも皇妃の部屋に呼び寄せられた。
まずは現状の報告、そしてライズと再び歩み寄れたことを伝えると、常に心強い味方でいてくれる彼女は飛び上がって喜んでくれる。
けれども和やかな気持ちでいられたのは束の間。すぐに顔から火が出る勢いで、羞恥に身を悶えさせることになった。
「フラン様、今日のお召し物は首元が隠れるものにしたほうがよろしいですよね。陛下の寵愛を周囲に知らしめたくも思いますが、少々目のやり場が……」
頬を赤らめたサリーが、妙な笑顔を浮かべながらチラチラとこちらを見ている。
慌てて鏡を見ると、首元に昨夜の触れ合いの名残がはっきりと残されていた。
「う、嘘……!?」
それがキス・マークだということは明白だった。
ということは、これを目にした相手は当然、ふたりの間になにがあったかを察し、想像したりもするわけで。
(昨日はあのあと、お医者様から診察を受けて、それからクリムトさんともお話を……)
彼らが痕に気づかなかったわけがない。思い起こせばふたりとも、なにやらぎこちない微笑みを浮かべていたような――。
ボッと顔を真っ赤に染めたフランは、その後しばらく行動不能に陥った。
*
それから数日が経ってもなお、恐縮してしまうほど丁重に扱われる日々が続いた。
忙しいはずのライズがわざわざ時間を空け、食事に誘ってくれる。顔を合わせれば笑いかけてくれるし、困っていることはないかと常に気を遣ってくれている。
信じられないほど平和で幸福な時間が続いて、このまま頬が緩んでしまったらどうしよう、太ってしまったらどうしようなどと変な心配をしてしまう。
体調も良好となってきたある日、フランはライズに呼ばれて城の一室へと向かっていた。皇太后がフランと話をしたいと望んでいるのだという。
緊張した面持ちで重厚な扉を開くと、豪華な皇族専用の談話スペースに、ライズと皇太后、そして穏やかな笑みを浮かべたルークの姿があった。
「ルーク殿下……! あっ、失礼をいたしました。皇帝陛下、皇太后様ならびに皇弟殿下にご挨拶を申し上げます」
「そんなにかしこまらなくていいわ。それより早くこちらにいらっしゃい」
ソファに腰かけた皇太后が、優雅な手つきで手招きをしている。
戸惑ってライズのほうに視線を向けると、大丈夫だという頷きが返ってきた。ひとまず気持ちを落ち着けたフランは、部屋の中ほどへと歩みを進める。
三人が座る席の近くまで行くと、皇太后が腰を上げて近寄ってきた。威厳のある彼女の前では、体を強ばらせずにはいられない。なにを言われるのだろうと不安になり、立ち止まって両手を体の前で重ね合わせる。
すると次の瞬間、皇太后に手を取られ、しっかりと握られていた。
「事情はすべてライズから聞きました。息子の……ルークの命を救ってくれたこと、心から感謝しています」
皇太后の顔を見上げれば、普段はきりりと引き上げられている眉尻が下がり、少し泣きそうな表情を浮かべている。ひとりの母親としての正直な気持ちが滲み出ていた。
話というのは、ルークを救ったことに対するお礼の言葉だったのだ。再び皇妃の部屋を使わせてもらっていることを反対されるのかもしれないと考えていたフランは肩の力を抜き、一転して喜びを噛みしめながら答えた。
「お力になれたのなら幸いです……。ルーク殿下のお身体の具合はいかがですか?」
見れば皇太后のうしろでは、ルークがライズの手を借りながら、ソファから立ち上がろうとしている。それに気づいたフランは、慌てて声をかけた。
「ルーク殿下……! まだご無理をされては……」
「大丈夫。動かすと全身に棘が刺さるように走っていた痛みが、今はきれいさっぱり消えたんだ」
見違えるように血色のよくなったルークが、晴れた空のような笑みを浮かべる。
それから彼は、ライズと皇太后に支えられながら慎重に歩みを進めると、フランの前に膝をついた。忠誠を誓う騎士のごとくフランの右手をすくい上げると、感慨深げに甲に口づけを落とす。
「奇跡の乙女フラン。君は私の命の恩人だ。聖獣の姿の君も愛らしかったけれど、ようやく真の姿を見ることができて嬉しいよ。想像していたとおり、なんて美しいんだろう」
美しいだなんてと照れていると、横からゴホンと低い咳払いがした。ライズが眉間に皺を寄せ、じろりと眺めている。ルークはなにやら苦笑しながら、握っていた手を離した。
それからそれぞれが元いた席に落ち着いて、フランも空いている席に座るように言われて従った。
ルークの今後について、ライズが丁寧に説明をしてくれる。フランにも聞く権利があると気を回してくれたのだろう。
話によれば、帝国ではもうすぐ恒例行事である「建国祭」が催され、大きなパーティーが開かれる。そこでライズは、ルークに恩赦を与えるつもりだという。ルークの身に起きた「奇跡」を利用し、彼を復権させることは天の意志だと知らしめるのだと。
力業ではあるが、一度下した裁決を覆し、そのことを信仰心の厚い国民に納得させるには、パフォーマンスが必要らしい。
その立役者であるフランの紹介はどうするのかと皇太后に聞かれて、ライズは首を横に振った。
「フランの力については、伏せておくつもりです。過去、獣人が絶滅寸前にまで追い込まれたのも、その希少性が外に漏れて乱獲に遭ったため……。先祖返りであるフランの存在が他国に知られれば、面倒なことになるでしょう」
ルークもまた、兄の言葉に同意を示す。
「そうですね。それにその過去の悲劇についても、もしかしたら我々の先祖が島を開拓したせいで招いた出来事だったのかもしれません」
ルークがテーブルに手を伸ばし、そこにあった黒塗りの盆を手に取った。そして中に収められている古い紙片をフランに見せるべく、器を軽く傾ける。
「フラン。あのとき中身が破れていて読めなかった本の続きの部分、探しておいたよ」
「初代皇帝であられるデリック陛下の自叙伝ですね……!」
頷いたルークは神妙な表情になり、知りたかった物語の続きを教えてくれた。
はるか昔、デリックが楽園の島で見つけ連れ帰ったセイントマリアは、外の不浄な空気に耐えられず早逝してしまった。そのことを彼は生涯悔いて過ごしたのだという。
その後、奇跡の種族は欲深い人間たちに狙われ続けた。国を興したデリックが彼らを庇護しようとしたときにはすでに遅く、はかない命を逆手に取るように、この世から姿を消していた――。
「そんな……」
思っていたよりも悲しい結末に、しばらく絶句してしまった。自らの先祖のことを思うと痛ましい気持ちになる。
ライズが話を引き取り、断固たる口調で言った。
「だからこそ、現代でも同じ失敗を繰り返し、フランを危険に晒すわけにはいかない」
それを聞いたフランは、心をじんと温めてライズを見つめた。
今さら遠い過去をどうこう言うつもりはない。目の前の人たちは、フランを見世物にしたり利用したりすることはないと、心から信じられる。
皇太后も、息子たちの意見に従うつもりのようだ。
「まぁいいでしょう。それは抜きにしても、外交で大きな功績のあったシルビアさんの褒賞がひとつ、加えて先に話したもうひとつの一大発表の件もあるし……今年の建国祭は盛大なものになりそうね。招待客リストを至急作らせて、関係者を広く呼び集めなくては!」
楽しみで仕方がないという風の皇太后を見て、フランは首を傾げた。
(シルビア様の褒賞……あの方はやっぱり、この国にとってとても大事な人なんだわ……。けれど、もうひとつの一大発表って……? いったいなにを発表されるのかしら?)
すると、ふいに浮かんだ答えに、激しく心を揺さぶられた。動揺し、膝元に置いた手を強く握り込んでしまう。
皇太后がこんなにも楽しみに計画することといえば、それは公の場でのライズの婚約宣言だ。もしかしたら、正妃とする女性を決めてしまったのかもしれない。そしてこの会話の流れからすると、お相手に選ばれるのは――。
ついに覚悟していたそのときが来るのだろうか。切なくライズのほうに目をやれば、彼は黙って視線を伏せている。
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