第35話 はかなき皇弟ルーク(5)

       *


 帰城した当日、時間は遅かったが、情報の共有はいち早く済ませておきたい。当たり前に顔を見せたクリムトをともない、ライズは執務室へと向かっていた。

 外交会談は、まずまずの成功を収めた。相手国の大臣と顔見知りで親睦があるというシルビア姫を同行させたことも、交渉に有利に働いた。


 ライズの話のあとに、留守にしていた間の国内外の動き、政務の進捗についてクリムトから報告を受ける。

 そして、限られた者しか口にすることを許されない、弟の様子についても説明があった。


「気丈に振る舞っておられますが、いつ心臓が破れてもおかしくない状況です。おそらくは数日が山場かと……」

「……そうか」


 弟のルークとは幼い頃から共に育ち、関係も悪くはなかった。けれども先代皇帝の突然の崩御で、道を分かつことになってしまった。

 母の涙ながらの頼みもあり、命までは奪わずに幽閉を命じてから数年。ライズは一度も会いに行ってはいない。皇帝である自分は、情けをかけることはできないのだ。そうすれば、またルークは別の誰かに利用されることになる。


 弟の性格はよくわかっていて、信頼もしていたし、彼が無実であることも理解していた。

 ライズが皇帝として即位したのち、ルークは補佐官となり、そばで支えてくれる――そんな未来を想像したこともある。だが時代の流れが、最悪の結末を引き寄せてしまった。

 ルークは、ここまでよく持ったほうだと思う。体は病魔と毒に蝕まれ、息をするだけでも辛いはずだ。

 苦しみながら、人知れず森の奥で孤独な死を迎える。それが、政権闘争に破れたものに与えられた罰。

 だがこのタイミングで、まさかフランが接触してしまうとは思わなかった。


「フランが、ルークと会っていたようだ」


 なぜか苦い思いになりながらそう告げると、クリムトは目を見開いて「は」と驚いた声を漏らした。


「森に仕掛けた魔道具の効果により、普通の人間なら無意識に立ち入りを避けるはずなのですが……フラン様には効かなかったのでしょうか」


 原理はもうどうでもいい、とため息を漏らす。

 先ほどは仕事に手をつけるより前にフランに会いにいったのに、本人は不在。しかも、弟と会っていたとは想像もしなかった。

 心がざわめいて、フランの前で大人げない態度をとってしまったと思う。

 衝動のままに唇を奪うと、「どうしてこんなことをするのか」と、悲しげな瞳を向けてきた。拒否されるなどとは思わなかったので、少なからず動揺もした。


(私の行動の意味が、わからないだと……?)


 もやもやとした気持ちが膨らんでいく。自分が離れている間、フランとルークはどのようにして過ごし、どんな会話を交わしたのだろう。

 執務室の前にたどり着いて、考えがあらぬ方向へ逸れていたことに気づいた。

 どうもフランのことになると、いつもの自分ではいられない。


「フラン様に監視をつけますか?」

「いや……そこまですることはないだろう」


 気を落ち着け、冷静な判断を心がける。

 ルークの命の灯火は残り少ない。最期に天が導いたのかもしれない救いを取り上げるほど、無情にはなれなかった。

 ただひとつ、胸に覚えたちくりとした痛みは、妙な余韻を残している。だがそれも仕事に没頭するうちに紛れていった。

 その晩、ライズの執務室から明かりが消えることはなかった。


       *


 ライズの許可を取れなかったので、フランは小離宮に行くことにうしろめたさを覚え、見舞いを数日空けてしまった。

 けれども、ほんの短期間であっても親しく言葉を交わし、慰めを待っていた人を放っておくことはできない。

 城内で行われた夕礼に顔を出した帰り、気づけば足が花離宮とは逆の方向へと向かい、北東の森の入り口に立っていた。


 とはいえ今は獣に変身していないし、空が暗くなりかけたこんな時間に小離宮を訪れるのはさすがに非常識だ。

 よって明日また改めて訪れるつもりで、ただ木の陰から道の先を眺めていると、森の奥から手持ちのランプを揺らし、駆け出てくる人物がいる。見慣れたその人は、ライズの側近であるクリムトだ。

 普段は冷静な彼がとても慌てた様子で、フランが見ていることにも気づかず一目散に城を目指して走っていく。その姿を目で追ううち、不吉な予感が湧き上がってきた。


(まさか、ルーク殿下に、なにかあったの……?)


 血相を変えたフランは、クリムトと入れ違いに森の中へと入っていった。

 ドレスの裾が汚れようがヒールの高い靴が傷もうが、構っていられない。つまずきながらも暗い森を駆け抜けて、小離宮の前にたどり着く。

 施錠されていない扉を見たとき、ますます嫌な予感が膨れ上がった。

 建物の中に入り、奥の部屋に進むと、ルークはベッドの上で意識を失っていた。


「殿下……!」


 顔色は土気色で、呼吸が浅く細い。命の灯火が消えかけていることがわかる。やはり先ほどのクリムトの行動は、ルークの急変を知らせに走ったものだったのだ。


「しっかりしてください、ルーク殿下……!」


 駆け寄って声をかけると、彼は端正な顔を歪ませ身じろいだ。胸が苦しいのか、心臓のあたりを押さえて苦痛に耐えている様子だ。

 このまま死なせたくない。せめて最期に、兄と母に会いたいと言っていたルークの願いを叶えてあげたかった。

 知らせを受けたライズは来てくれるだろうか。けれどそれまで彼の命は持たないかもしれない。


 迷っている暇はなかった。ベッドの傍らに膝をつき、ルークの体に手をかざす。

 なんとか手助けができればと、その一心で癒やしの力を発動した。以前にこっそり試したときは事足りなかったが、今度こそはと力を振り絞る。


 彼の体が、発光するように輝きはじめた。フランの力が働いている証拠だ。

 昔、ウサギを助けたときとは比べものにならないほどの疲労感が襲ってきた。吸い取られるようにマナが失われ、強いめまいを覚えたが、奥歯を噛みしめて集中を保つ。

 外部の力が加わって抵抗を感じたのか、ルークが大きく呻いた。だが声を出せるだけの体力が残っていると考えれば、希望はある。


 それから長いのか短いのかわからない時間、夢中で力を放出し続けた。

 消耗し、目の前が白く染まってくる。対象が発する光も弱まり、焦りが生まれた。効果が出ているのか、それとももう手遅れなのか、自分では判断がつかない。


 やがてすべてを出し尽くし、その場に倒れ込みかけたとき、廊下のほうからバタバタと大きな足音が近づいてきた。まっすぐにこちらを目指し、誰かが駆け込んでくる。

 すぐに肩に手が置かれ、頼もしい声が耳に飛び込んできた。


「フラン……!」


 あぁ、やはり彼は、ライズは来てくれた。早くルークを起こさなければ。けれど意識がもうろうとして、姿勢を保っていられない。

 細く狭まる視界の中、ひどく焦った様子のライズの顔が見えた。強く抱きしめられて、糸が切れるように目を閉じた。

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