第34話 はかなき皇弟ルーク(4)
夕方にルークの元を離れたが、空はどんよりと曇っていて、今にも雨が降りだしそうだ。
ぴょんぴょんと飛び跳ねて、花離宮への道を急いだ。
大樹の元にたどり着いたときにはぽつりぽつりと雨水が落ちてきた。急いで幹を駆け登り、二階の窓から自分の部屋に飛び込む。
まずは絨毯の上で、体を振って水滴を払った。
明かりをつけていない部屋は薄暗い。文字どおり人並みの生活に戻るべく、人間の姿に変わろうとして――。
「――フラン」
突如、暗闇の中から声をかけられて心臓が跳ね上がった。
誰もいないはずの部屋に、人がいたなんて。パニックになりながらも、人型に戻り無防備となった体を隠そうと寝台の陰に逃げ込んだ。
しっかりとした足音が、近づいてくる。
「だ、誰……?」
震える喉を絞りながら、先ほど聞こえた声を頭の中で再生した。驚きはしたが、聞き覚えのある低い声だった気がする。
もしかしてと思い、そっと顔だけを出すと同時に目に飛び込んできたのは――。
一日でも早く帰ってきてほしいと願っていた帝国の太陽、ライズだった。
「ライズ様!?」
思わず身を乗り出そうとして、自分が裸だったことを思い出し、引っ込める。
目の前にあったベッドカバーを剥がして体に巻きつけると、彼の前へと飛び出した。
手前で裾を踏んでしまい、足がもつれて倒れ込みそうになったところを、ライズが手を伸ばし抱きとめる。
「フラン。ただいま」
「おかえりなさい……」
そのままぎゅっと抱きしめられて、逞しい胸に頬を押しつけた。彼の体温といい匂いに包まれて、深く息を吸う。
十分満喫してから身を離し、身なりを整えるまで待ってもらった。
服を身に着けてから応接スペースにいるライズの前に戻ると、彼のほうは外出着のままの格好で、外から戻ってすぐに会いにきてくれたのだとわかった。
戻りは明日だと聞いていたのだが、一日早まったらしい。小離宮にいたフランは先触れに気づかず、出迎えの機を逸してしまったのだ。
「お迎えに駆けつけられず、申し訳ありませんでした……」
「構わない。だが、今までどこへ行っていたんだ?」
「ええと……」
心の準備が整っておらず、視線が揺れてしまう。ライズが怪訝そうな顔をした。
慎重に進めなければいけない話だ。けれど、今を逃せば、またしばらくふたりきりで話せる機会はないかもしれない。
意を決し、ルークと偶然に知り合ったこと、そして今日も小離宮で会っていたことを、包み隠さず話した。
「そうか……。弟に……」
視線を伏せ、じっと話を聞いていたライズは小さく呟いた。
表情が変わらないので、どう考えているかはわからない。
「殿下のお身体の具合は、よくありません。ご自分のお立場を理解していらっしゃいましたが……ライズ様と皇太后様に会いたがっておられました」
できるなら小離宮から救い出し、城に迎えて手厚く看護してほしいと伝えたが、ライズは重々しい表情を浮かべ、首を横に振った。
「小離宮に身を置かせた意味がわからないわけではないだろう。本来なら処刑してしかるべき状況だった」
「ですが、殿下はきっと利用されただけで……ライズ様も、そのことはわかっていらっしゃるのではありませんか」
「わかっていようがいまいが、ルークが生きていれば私の敵に回る可能性がある。利用しようとする者は後を絶たないからな」
わずかに、彼の口調が厳しくなっていた。
それでもなお言い募ろうとしたが、ライズはそこで席を立った。扉のほうへ向かう前に、回り込んで引き留める。
「ライズ様、お待ち下さい。どうかお話を……っ」
手首を掴まれ、乱暴に腰を引き寄せられる。次の瞬間、言葉を封じるように、唇を塞がれていた。
驚いて身を離そうとしたが、がっちりと回された腕は堅牢でびくともしない。
(……!?)
噛みつくように荒々しいキス。体が急激に熱を持つ。吐息ごと飲み込まれて、息をするのも忘れてしまう。翻弄され、瞼の裏がチカチカしていた。
唇を重ねたまま、押されるがままに後ずさりをし、いつしか壁に背を押しつけられていた。
「んっ……う、ふうっ……」
体全体で押さえ込まれるような抱擁。苦しいほど密着していて逃げ場はない。全身が痺れて、頭の奥が溶けてしまいそうになる。
足に力が入らなくなり、かくりと膝が折れた。
彼が唇を離した。ゆっくりと拘束も解かれて、ずるずると壁を擦るようにしゃがみ込む。
「どうして……」
胸が痛くて、涙が零れてきた。その様子を見ているはずなのに、いつどんなときも守ってくれていた彼は、労わりの言葉をかけてはくれない。きっと怒っているからだ。
視線を合わせるのが怖くて、うつむいたまま慟哭することしかできない。
「なぜ……ライズ様は、私を苦しめるのですか」
「……苦しめる?」
――だって、シルビア姫がいるのに。
口に出せていたかどうかはわからない。混乱して、我を忘れていたと思う。
ルークのことで怒らせてしまったのはわかるが、このような懲らしめ方をするなんて、間違っている。こんなことをされたら……またも自分が好かれている、求められていると勘違いしそうになるではないか。
けれど醜い嫉妬でしかない心の内を、これ以上さらけ出したくはなかった。
なにも言えなくなってしまうと、相手からも重い沈黙が落ちてきて――やがて彼は黙ったまま、部屋を出ていった。
フランは涙に濡れた顔を覆い、いつまでも肩を震わせていた。
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