第33話 はかなき皇弟ルーク(3)

 ライズと似たパーツを持ってはいても、印象のだいぶ異なる謎の青年は、フランを自分のいるベッドの上へと招いた。

 肩まで伸びた白に近い金髪。薄紫色の瞳は優しい色合いで、病魔に侵され痩せてはいたが、その顔立ちは美しい。

 動けないわけではないが起き上がるのも一苦労なのだという彼は、緩慢な動作で上半身を起こすと、そんな自分が恥ずかしいとばかりに自嘲を浮かべた。


 しばらく距離をとって様子を見ながら過ごしたところ、悪い人ではないと思えたので、警戒を解いて自己紹介を交わすことにする。

 先に披露された彼の名は、ルーク・ジ・ヴォルカノ。

 ライズより五つ年下の実の弟、いわゆる皇弟殿下と呼ばれる存在だった。

 通った鼻筋や顎のライン、微笑んだときの目元が、見れば見るほど兄弟で似通っている。男性にしては女性的な顔立ちは、皇太后の面影にも重なった。


「私はフラン・ミア・シャムールと申します。皇弟殿下」

「皇弟殿下はやめてくれるかな。ルークでいい。それから私は見てのとおり軟弱な身体だけれど、移る病気などではないから、安心してほしい」


 彼はこの小さな宮殿に住んでおり、従者はいない。時折、往診の医務官と、世話人としてクリムトが日に何度か訪れるのだという。


「こちらで療養をされているのですか……?」


 尋ねると、曖昧な頷きとともに寂しげな微笑みが返ってきた。

 そもそも皇帝の弟である彼が、従者もつけられずにこんな場所に入るだろうか。

 なにか事情があるのだと考えていると、ライラックの花の色をした瞳が、こちらに向けられていることに気づく。フランの話をもっと聞きたいと言われて、出身地や帝国に来ることになった経緯を語った。


「そうか、兄上の妃候補として連れて来られたんだね。だけど、それは運命かもしれない」


 高揚した表情のルークは、枕元に重ねてあった本の中から一冊を抜き出して、とあるページを開いた。

 表紙はぼろぼろで紙面も黄ばみ、だいぶ年季の入った書物。それは、帝国の祖となった人物、デリック・ヴォルカノの自叙伝だった。

 皇妃の部屋に備えられていた帝国史が思い浮かんだが、こちらは建国以前の時代に焦点が当てられているらしい。ルークが読み聞かせるように説明をしてくれる。


 冒険家として海を渡り歩いていた主人公のデリックは、海賊が遺した財宝や秘境の発掘を進め、将来国を興すための財を蓄えた。その頃、渡り歩いた島々の中で、とある獣人族の娘に出会ったという。

 愛らしい獣の姿で人語を話すかと思えば、変身し、精霊のごとき美しい女性の姿にもなれる奇跡の種族、セイントマリア。


 木炭の筆記具でデリック本人が描いたと思われる挿画には、大きな三角の耳、つんと立つ小鼻に、ふっさりとした尻尾――フランそっくりの動物の姿が絵描かれていた。


「これって……」


 驚きに言葉をなくしていると、


「そう、君に瓜ふたつだろう? すぐにわかったよ。獣人族の中でもセイントマリアは特に希少で、その後、絶滅してしまったと伝えられている。今では伝説として、夢物語みたいに思っていたけれど……まさかこうして本物に会えるなんて」


 ヴォルカノ帝国の先祖が、フランの先祖と出会っていた。ルークが言った「運命」という言葉がしっくりくるような、なんとも奇妙な縁だ。

 ルークはまだ感慨深そうに浸っていたが、悠長に待ってはいられない。

 短い手でページをめくろうとしたが、その続きのページは破れ、失われてしまっていた。


「そんな……」

「私が開いたときには、もうこの状態になっていたんだ」


 肩を落としていると、そっと頭に手を置かれた。


「千切れた部分がどこかに挟まっているかもしれない。探してみるから元気を出して?」


 顔を上げて頷くと、ふと窓から差し込む光が橙色に染まりつつあることに気づく。

 長く時間を過ごしてしまった。そろそろ花離宮に戻らねば、侍女が心配するだろう。


「ルーク殿下。またお邪魔してもよろしいでしょうか?」

「もちろん。明日も来てくれると嬉しいよ」


 そう約束をして、今日は別れることにする。

 扉ではないところからの出入りはもはや慣れたものだ。窓辺に飛び乗って、外に出る前に一度振り返る。

 ベッドに身を起こした姿勢でこちらに顔を向けたルークが、寂しげに微笑んでいた。


       *


 その日から毎日、フランは空いている時間にルークを見舞った。ただし人間の姿ではなく、終始、小動物の姿をとっての訪問だ。病人を気遣う以外の意図はなかったが、道義的に線を引く必要はあると理解していた。


 それに小離宮は、暗黙の了解で近づくことを禁じられている場所だった。それは長く城にいる者ならば誰しも知っている常識であったらしい。

 出入りしていることが明るみになれば、警備が厳しくなるだろう。けれど小動物の姿であれば、目立たないよう行き来することはたやすかった。


 フランが顔を出すと、ルークは嬉しそうに顔をほころばせ、青白かった頬に少しの赤みを戻す。


「お身体の具合はいかがですか、殿下」

「だいぶいいよ。君に会うと調子がよくなる。ありがとう」


 そばに寄っていくと、彼は横たわったまま腕を持ち上げ、フランの頭にそっと手を置いて、優しく撫でてくれる。

 だが明るい答えとは裏腹に、今日は一段と体が辛いようだ。指先から生命力の弱まりを感じて、胸が苦しくなる。

 微笑みを絶やさない彼だが、一度胸を押さえて苦しそうにしている場面に出くわしたこともあった。全身に汗を滲ませ、苦悶の表情を浮かべて――いつまたあのような発作が起きるのかと、フランは気が気でない。


(殿下のことが心配だわ……)


 ルークの身の上については、サリーに頼んで調べてもらっていた。

 サリーはフランと同時期に城に入ったため、それ以前の事情には詳しくなかったが、すぐに使用人仲間の伝手を使って情報を集めてきてくれる。

 その話に寄れば、ルークの処遇は、薄々予感していたとおり、数年前に起こった帝国の内紛、皇位継承争いに端を発しているという。


 空位となった玉座を狙い、武力行使に出た者たちを、皇太子であったライズは力で抑え、粛正した。その厳格さに焦りを募らせた反ライズ派は、ついには弟皇子を担ぎ上げたのだ。


 実際のところ、ルークは名前だけを勝手に使われ、利用されたのだろう。学者肌で気の優しい彼が、謀反など起こすはずがない。

 けれども結果として旗印とされてしまったルークは凋落し、策謀の中で毒を含まされ、体を壊した。もともとの心臓の弱さも手伝い、いつ消えるともしれぬ命を、幽閉されて過ごすことになったのだ。


(殿下のご病気も、私が治して差し上げられたらいいのに……)


 一回試そうとはしたのだが、効果は見られなかった。生半可な力では及ばないほど、悪化しているのかもしれない。

 あるとき、フランは思い余って言った。


「明日にはライズ様が外交の用事から戻られる予定です。そうしたら謁見を願い出て、ルーク殿下がお城に戻れるよう、私からお願いしてみます」


 だが、ルークは口角を上げながらも、首を横に振る。


「本来なら、島流しにされ野垂れ死にしていたはずの身だよ。こんな出来損ないの身体だから、兄上は廃宮送りで済ませてくれたんだ。これ以上、望むことはない」


 それから遠くを見るように瞳を細め、ぽつりと呟く。


「ただ……この命が尽きる前に、母上と兄上にお会いしたかった……」


 もう諦めたようなセリフに、フランは言葉を失った。

 この部屋には読書が好きだという彼のため、書物が山のように積まれている。せめて好きなことをさせてあげようと、運び入れられたのだと思う。

 きっとライズは、弟である彼を死なせたくはないはずだ。それなのに、なぜ……。


「そういえば……君の人間になった姿を、見てみたいな。ダメかい?」


 驚いて、一瞬呼吸が止まる。少し考えてから、薄紫の瞳を見上げた。


「ライズ様が戻られてから……お返事させてください」


 わかったと頷く彼は朝方の星のようにはかなく見えて、その輝きを繋ぎ止めてあげたいと、切に願うのだった。

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