第30話 癒やしの夜(2)
目を丸くしているライズの反応を見て、うまくいってよかったと肩の力を抜く。
幼い頃、怪我をして弱ったウサギを見つけて同じように働きかけたことがあり、今回も再現できるだろうという予想はあった。
しかしながら、癒やしの力は精神力を異常に消耗する。とても疲れてしまう上に、きっと人に知られたら余計に気味悪がられてしまうだろうと、この力のことはずっとひた隠しにしてきたのだ。
けれどもライズになら知られても構わないし、彼のためならば具合が悪くなることも厭わない、そう思っての行動だった。
本当は完全に傷が治るまで治療を続けたかったが、残念ながらこれ以上はこちらの体力が持ちそうにない。
「少しでもお力になれたなら、よかったです……」
フランの様子がおかしいことを感じ取ったライズが表情を引き締め、気遣わしげな視線を向けてくる。
「大丈夫なのか? 私のために、無理をしたんだな」
「平気です。少し休めば……」
ふらりと傾きかけた体を受け止めるように、胴に腕が回り支えられた。そのまま体を引き寄せられ、彼の膝に腰かけて胸に寄りかかるよう導かれる。
頬に片手が添えられた。手の平から伝わる体温が心地いい。
「……」
彼が無言で見つめてくるので、こちらも黙って見惚れてしまう。
この瞬間がとても好きだと、心が歓喜していた。ドキドキして、辛いことも悲しいこともすべて吹き飛んでしまう。ずっとこうしていたい。こうしていてほしい。
彼の腕の中で安心しきっていると、ふいに真剣な光を宿した瞳が、目の前に迫ってくる。
そして次の瞬間――互いの唇が合わさっていた。
(私……キス、してる……?)
まるで時が止まったよう。その直後、心の中で花火が幾重にも弾けた。心臓が高鳴り、鼓動が早くなる。
(嘘……これは、現実?)
労わるようなファースト・キス。長いようで短い、初めての感覚だった。
少し乾いているけれど、温かくて柔らかい不思議な触感。重ね合わせているだけで気持ちがよくて、しっくりと馴染んで、ずっと触れ合わせていたい――。
衝撃のあまり目を閉じることもできずにいると、彼がそっと唇を離した。
「――あ……」
名残惜しく感じて、吐息のような声が漏れてしまう。頭がぼうっとして、体に力が入らない。
至近距離にある瞳が、いつもは見せない熱を宿して、煌めいた。
「……褒美だ」
少し掠れた声で紡がれる、王者のセリフは身悶えするほど格好いい。泣きそうなほど幸せで、もっともっとと求めずにはいられなくなってしまう。
熱っぽくなっているであろう眼差しが、彼の口元に吸い寄せられた。
すると、視線を伏せた彼の顔が近づいて、再び唇が塞がれる。
今度は目を閉じて、与えられる幸福感を享受しようと集中した。
擦れ合う薄い皮膚を通して熱が伝わってくる。ちゅ、と口唇を吸われて、ピリピリとした甘い刺激に身を震わせる。
背に回されている腕の力強さも、首筋を撫でる手の平の熱さも、全部が好ましい。
頬に添えられた手が横髪をかき上げるように動いて、耳朶をくすぐった。ぞわぞわとした痺れが走り、彼の背中に手を回して必死でしがみつく。
「……おまえが可愛くてたまらない」
艶めいた声で囁かれて、体の芯が熱くなる。全身が痺れたみたいに打ち震えた。
ゆっくりと角度を変えて、何度も食まれるように口づけられる。触れては離れて、まるで啄まれているみたい。
溺れるようなキスを交わしながら、このまま溶けてしまいそうな感覚にとらわれた。夢中になるにつれ、酔ったときのように頭の中がおぼろになる。
意識が白く染まりかけたそのとき、彼が唇を離した。あっと思ったが、体が反射的に酸素を吸い込んでいた。どうやら酸欠になりかけていたところを、休ませてくれたらしい。
彼は上下するフランの肩を抱き寄せると、なだめるように髪を撫でながら言った。
「私を癒やし、疲れているところをすまなかった」
重い瞼を持ち上げ、彼の瞳を見つめる。冷たい水晶などではない、熟れたプラムみたいな深い紫が情熱の余韻を漂わせていた。
ずっと見ていたかったけれど、のぼせた上にすっかり体力も尽き、もう姿勢を保つのがやっとの状態になっていた。
察したライズはフランを抱き上げて、ベッドまで運んでいった。
フランを寝台に横たえた彼は、そのままベッドサイドに腰かけて、穏やかな口調で休息を取るよう命じる。
「今夜はもう休め」
限界まで疲れきった体に、張りのある低い声が催眠術のように染みこんでいく。
ライズはどうして、キスをしてくれたのだろう。シルビア姫という人が、いるはずなのに。
(なんで……)
すごく幸せだったのに、急に胸が苦しくなってきた。これ以上、彼を好きになってしまったらどうすればいいのだろう。頭の中がひどく混乱している。
涙が零れそうになり瞼を閉じれば、強烈な眠気が襲ってきた。
せめておやすみなさいと目の前の人に伝えたかったけれど、大きな手で前髪を梳かれ、額を撫でられるともう抗えない。吸い込まれるように眠りの淵に引き込まれてしまうのだった。
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