第28話 新たな皇妃候補(4)

       *


 シルビア姫の発言の意味を確かめる手段はなく、その日以降、ライズと関わる機会は途絶えてしまった。

 ひょんなことから拾い上げられ、一番近くにいられたのに、気づいたときには数合わせのように集められた寄せ花の一本に戻ってしまった……そんな状況だ。

 知らず深いため息が漏れてしまい、今はそばにサリーがいることを思い出して、しまったと後悔した。


「……フラン様。今日はお天気もいいですし、お庭を散歩でもなさいませんか?」


 と、優しい彼女がわざと明るく声をかけてくれる。晩餐会の日からしばらく塞ぎ込んでいたフランの異変を察しながらも、元気を取り戻させようと気を遣ってくれているのだ。


「そうね、今日の午後は予定もないし……外の空気を吸いに行こうかしら」


 気分転換になるかもしれないと、重い腰を上げた。



 サリーと連れ立ち離宮を出て、城の西側にある緑の庭園まで足を伸ばすことにする。

 散歩に適した西庭は、緑の絨毯に咲いた小花が季節ごとに表情を変え、いつ訪れても目を楽しませてくれる場所だ。

 ゆっくりと散策を進めていったが、どうにも景色を楽しむ気にはなれなかった。


 楔のように打ち込まれたショックはまだ癒えておらず、花は色あせて見えるし、木々の合間で遊ぶ鳥のさえずりさえも渇いたものに聞こえてくる。

 好きな人のそばにいたいのに、叶わない。この切なさはこれからもずっと続くのかと思うと、辛くてたまらない。じくじくとした不安は増していくばかりだった。


 やっぱりもう戻ろうと決めてサリーにその旨を伝えると、彼女はそれ以上は踏み込まずに「わかりました」と頷いてくれた。

 来た道とは別の道を通って引き返しながら、ふと脇のほうを見上げると、丘の上に建つ小さな東屋が目に入った。

 自然に囲まれた休憩スペースはとても居心地がよさそうだが、日差し避けの屋根の下にいるふたりを見て、フランは呆然と立ち尽くした。


(ライズ様と、シルビア様……)


 うしろにいたサリーもそのことに気づき、慌てた様子で声をかけてくる。


「シルビア王女様はこの国にいらしたばかりですから、陛下が城内を案内して差し上げているだけだと思います!」


 必死の慰めにもろくに反応できずに、目を逸らしたい一心で足を動かし、その場を立ち去った。


 自室に戻ってからも、再び気落ちしてしまったフランの様子を見て、サリーは一生懸命に励ましてくれていた。だが自分ではどうしようもないほど心が打ちひしがれている。


(陛下は私のことを、どう思っていらっしゃるんだろう……)


 顔を見れず、声も聞けずにいることを寂しいと感じているのは自分だけなのかもしれないと思うと、悲しくて消えてしまいたくなる。

 晩餐会の夜、額にキスを与えられたときには一歩距離が近づいたように感じられたのに、今は倍ほども遠く離れた気がしていた。


 それからも、どれほど苦しくとも日課や勉強会への出席は怠らずにいたが、状況を覆せるようなチャンスは、そう簡単に巡ってくるものではない。

 代わり映えのしない、暗闇の中を手探りで進むような日が続く。

 そのうちに軍事国家たる国の側面から火種が上がり、国内は一時騒然となった。南側国境付近で起こった他民族との小競り合いが長引き、戦況が悪化したため、皇帝みずから指揮を執るべく、加勢の軍を連れて遠征に出ることになったのだ。


 兵を率いて出立していくライズにひとつの言葉もかけられず、見送りの人々に交じって遠くから見つめながら、フランは胸が引き裂かれる思いだった。

 総大将である皇帝の命は最優先で守られているとは思うが、なにが起こるかわからないのが戦争というもの。しかも此度の戦は、だいぶ手こずっているらしいと聞く。


(また戦だなんて……)


 まだ記憶に新しい、祖国での争いが思い起こされる。傷つけ合い、命を奪い合う無情な慣習に終わりはないのだろうか。

 はらはらと落ち着かない日々が続いた。


(陛下が、どうか無事でいられますように……)


 寝ても覚めても、彼の身が心配でたまらない。

 食事をしていても味を感じられないし、こうしている間にも彼は危険な目に遭っているのではと不安が募る。

 ひとりで部屋にいると彼の姿や声が頭に浮かんできて、眠れない夜が続いた。

 ついには目の下にひどいくまができてしまい、健康を害したのは自分の不手際のせいだと、ある日サリーに泣かれてしまった。


「フラン様、どうかお気持ちを強く持ってください。悪いことばかり考えていては、それが現実になってしまいます」

「悪い想像が、現実に……?」


 それが、気持ちを切り替える転機になった。

 マイナスの考えは胸の奥に封印して、顔を上げる。ライズを信じることが吉事に繋がると受け止め、待つことにしたのだ。


 祈りが通じ、見事に敵を退けた帝国軍が凱旋を果たしたとき、フランは城門のところまで一目散に駆けつけた。奥まった場所にある離宮から必死で走ってきたために、髪は乱れ、呼吸も整わない様相になっていたが、気にしてはいられない。


(ライズ様……!)


 門の内外に押し寄せるように集まった群衆のうしろから、身を乗り出して通りの様子を眺める。ちょうど帰着した兵士たちが跳ね橋を渡り、門をくぐって本城へと進んでいくところだった。

 先頭にいる隊を見て、思わず目を見開いた。

 ひときわ目立つ存在であるライズが颯爽と騎馬にまたがり、人々の声援に応えながらゆっくりと馬の足を進めていく。瞬きすら忘れ、その雄姿を目に焼きつける。


(あぁ……本当に、ご無事でよかった……)


 余裕の笑みさえ浮かべる彼は軍神のように頼もしく、心配は杞憂であったと胸を撫で下ろした。

 しかしよく見れば、遠目にも彼の鎧に激しい戦闘を行っていた形跡が刻まれているのがわかる。危険の中に身を投じていたということを目の当たりにさせられた。

 胸の前で震える手を組み合わせ、愛しい人の無事の帰還を天に感謝する。


『皇帝陛下、万歳!』


 国民の大歓声に迎えられたライズは毅然とした姿勢を保ったまま、城の中へと消えていった。

 フランは続いて帰城していく兵士らを見送りながら、ようやくの安堵を噛みしめた。

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