第26話 新たな皇妃候補(2)
*
二週間後、皇太后の言葉どおり、シルビア姫が到着した。
護衛の兵士のほか専属の侍従が五人も付き添い、部屋に入りきれないほどの自前の服飾品、そして帝国への貢ぎ物を山ほど持参しての、華々しい来城だった。
それよりなにより人々の注目をさらったのは、シルビア姫のたぐいまれな美しさ。
年齢は、フランと同じくらいだろうか。ほっそりとした身体を包む、上品な薄紫色のドレス。発光しているかのように透明な肌に、月の女神を彷彿とさせるプラチナの髪。澄んだ泉のごとき青い瞳に、ほんのりと桃色に色づいた頬と口元は愛らしく、指の先までたおやかだ。
「帝国の偉大なる母、ヴィクトリア皇太后様。輝かしき天上の星、ライズ皇帝陛下。メディス王家第三王女、シルビアがご挨拶を申し上げます」
重臣や主たる帝国貴族らが集められた謁見の間で、臆することなく堂々と礼儀作法をこなす完璧な淑女の姿に、フランはただ見惚れるしかない。それはこの場にいるすべての傍観者に共通していたようで、各所から感嘆の吐息が聞こえてきた。
シルビア姫に顔を上げるよう促す皇太后の表情は、いつもより華やいでいる。
「シルビアさん、堅苦しいのはそれくらいにして、楽にしてください。我が帝国へよくぞ来てくれました」
「こちらこそお声をおかけくださり、ありがとうございます。皇太后様におかれては相変わらず気高く、お美しくて……。そしてライズお兄様。お会いできて嬉しゅうございます」
「ああ。久しぶりだな、シルビア王女。以前、お会いしてからもう十年以上になるか?」
ライズもまた親しげな口ぶりで、穏やかに声をかけた。
「はい……。お恥ずかしながら、近頃までわが国は内乱で長く混乱しておりましたため、聖王である父もわたくしも、国外に目を向ける余裕がなく……。せっかく築いてきた親交をおろそかにしてしまい、申し訳ありませんでした」
「自国のことで精一杯だったのは、我が国も同じだ。御身が無事でなによりだった。羽を伸ばすと思って、ゆっくりくつろいでくれ」
すると皇太后は満足そうに頷きながら、両手の平をぽんとひとつ打ち合わせた。
「若い者同士、積もる話もあるでしょう。場所を移してお茶を飲みながら語り合ってはどうかしら。それと、今夜は歓迎の宴を開きましょう」
家族のように親しげな雰囲気に、フランの胸は切なく締めつけられた。
解散が告げられたあとも、臣下の面々はすぐには立ち去らず、その場に残って立ち話に花を咲かせていた。
「シルビア姫、なんと美しい女性なのだろう……。あの若さで、あの品格。容姿も気立てのよさも、文句のつけどころがない」
「本場の聖女様が出てくるなんて……。皇妃選びはもう決まったようなものね」
出世の期待をかけて娘を離宮に送り込んでいた親世代の貴族だけでなく、ライバルである令嬢たちですら感心し、負けを認めたような表情を浮かべている。
(あんなステキな女性と比べたら……私なんて、とてもかなわないかもしれない……)
すっかり空気にのまれたフランはがっくりと肩を落とし、謁見の間をあとにした。
その晩、シルビア姫の歓迎会を兼ねた晩餐会は、城のホールで盛大に開かれた。
準備に時間がかかってしまったフランは、開始時刻から大幅な遅れをもって会場入りした。
おそるおそる広間に足を踏み入れれば、きらきらと眩しい世界が眼前に広がり、煌びやかな世界への憧れが胸を満たす。巨大なシャンデリアの下、用意された贅沢なお料理に、優雅な音楽。招待を受け集まった貴族の男女が杯を交わし歓談をしたり、ダンスを楽しんだりと賑わっている。
(わぁ、ステキな雰囲気……。とても楽しそうだわ)
黄金郷のごとき宴は、すでにたけなわとなっているようだ。
この場に侍女を伴うことはできないので、知り合いの少ないフランはすぐに手持ち無沙汰になってしまった。来場者と交流し親睦を深めたい気持ちはあるのだが、自分から声をかけるきっかけがなかなか掴めず、会場の隅に不安げにたたずむのが精一杯だ。
けれども今宵フランが身につけている光沢のある白と金色を基調としたドレスは、他の令嬢たちと比べても遜色のない、趣向を凝らした一着。幾重にもフリルを重ねたスカートには薔薇の花のモチーフがふんだんにあしらわれ、首元や耳には大粒のルビーが輝いて、フランの暖色の髪色を引き立ててくれている。
サリーが気合いを入れて仕上げてくれたかいがあってか、やがて数名の貴族が入れ代わり立ち代わり、フランの元へと挨拶に訪れた。
しかし、声をかけた先がフランだとわかると、相手は決まって気まずそうな顔をして逃げていってしまう。
「皇帝陛下に召し抱えられたのに、飽きられて捨てられた王女だ……。関わらないほうがいいな」
「お情けで離宮に置いてもらっているくせに、よくこの場に顔を出せたものね……」
人の姿のままでも普通の人間より聴力が優れているフランの耳には、そんな声も届いてくる。周囲にはそのように見られているのだとわかり、気持ちが萎んでいった。
そのとき、会場の一部でワッと歓声が上がり、なにごとかと顔を上げる。盛り上がっている集団の中心には、輝くように美しいシルビア姫が立っていた。
まるで大粒の宝石のような存在感に、フランは思わず目を奪われた。
「シルビア姫だ……!」
「ぜひとも、ご挨拶を……!」
人々は甘い蜜に群がる蝶のごとく、こぞってシルビア姫の周りに集まっていく。フランはただ圧倒され、立ち尽くすばかりだった。
こちらもできる限りおしゃれをしてきたつもりだが、外見の問題ではないと思い知らされる。溢れる気品、華やかなオーラ、どれをとっても彼女の足元にも及ばない。
自分が恥ずかしく感じられ、居ても立ってもいられなくなった。すぐにでもこの場を立ち去りたいと出口の大扉に足を向けたが、ふと思いとどまる。
(そうだ、ライズ様は……今どちらにいらっしゃるのかしら……)
せめて彼の姿をひと目見ておきたい。普段の彼もステキだけれど、かしこまった場で正装した彼はどんなに輝いているだろうと、楽しみにしていたのだ。
主役の姿を求めて人だかりのあるところを探せば、ホールの中央付近で、身分の高そうな貴族の相手をしている彼をすぐに見つけることができた。
遠目にも凛々しい立ち姿。金糸の刺繍に彩られた重厚な色合いの衣装に、肩にかけた豪奢なマント。きっちりとセットした金髪が聡明さを際立たせ、男らしい色気が溢れている。
ほぅ、と見惚れながら、吸い寄せられるように近づいていった。彼の視界に入れば、フランにも声をかけてくれるかもしれない――。
けれど賓客の相手を終えた彼は、フランではなくシルビア姫のいる方向へと進みだした。
あっと思っている間にふたりは合流し、和やかに視線を交わして談笑を始めてしまう。
(ライズ様……)
どうしてかショックを受け、その場から一歩も動けなくなってしまった。
これまで名のある令嬢にも期待を持たせず、一律冷淡にあしらっていたライズが、今この場ではシルビア姫を丁寧にエスコートし、笑顔すら見せている。
その恩恵に与るは、白磁のような頬を朱に染め、安心しきった様子でライズに寄り添うシルビア姫。ふたりはまるで仲睦まじい夫妻のごとく、息が合っているように見えた。
一時浮き立つようだった心は、もやもやとした雲に覆われていった。
お忍びで街を案内してもらった日のことが夢のように思い出され、苦しくなる。
あの日は一日中、ライズのエスコートを独占し、頼りがいのあるリードに甘えて、幸せに満ち足りていられたのに――。
(私だけのライズ様でいてほしかった……)
そんな狭量な考えまで浮かんできて、ますます惨めに思えてしまう。このままでは大切な思い出が、悲しい色に染まってしまいそうだ。
と、そのとき手前に立っていた貴族がライズに話しかけ、それに応えるべく彼がこちら側に顔を向けた。
うしろめたい思いになったフランはぱっと視線を伏せ、足早に出口へと向かった。
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