第25話 新たな皇妃候補(1)
大慌てで駆け込んできたサリーが、皇太后の来訪を告げたときには、すでに一行は部屋の扉のすぐ近くにまで到達していたらしい。
「え? 皇太后様がどうされたの?」
そう呟いた直後、心の準備をする間もなく扉が開け放たれ、豪奢なドレスを纏ったヴィクトリアが、大勢の侍従を引き連れて姿を現す。
動転したフランは、跳ねるように席を立って皇太后を迎えた。
「こっ、皇太后様!? 本日はいかがされましたか?」
ひとまず椅子に腰かけてもらうよう勧めたが、皇太后は聞き流して部屋の中央に歩みを進めると、ぐるりと部屋を見回して言う。
「用事というより、お願いがあって来たのよ。実は早急にこの部屋を模様替えしたいと思っているの。何度も居所を移らせて申し訳ないけれど、出ていってもらえるかしら? あなたの部屋は、花離宮のほうにまだ残してありますからね」
「えっ? は、はい……。でも、それは……」
いくら皇太后の命令とはいえ、従う前にライズの意向も確認したほうがいいだろう。
答えを濁していると、ちょうど頭に思い浮かべていたその人が、開けっ放しになっていた出入り口から姿を見せた。
「母上。私が呼び寄せた令嬢に対し、急に部屋を移れとは、少し横暴ではありませんか」
「ライズ……あなたこそ、わたくしに断りもなく勝手にこの部屋を私物化して、わがままが過ぎるのではなくて? 今までは大目に見ていたけれど、本来ならば皇妃の部屋の管理も、離宮に住まわせている令嬢たちの処遇に関しても、権限は皇太后であるわたくしにあるのですよ」
「それは、そのとおりですが……」
眉を吊り上げている皇太后は、普段は思慮深く、子煩悩な人物だ。息子である皇帝の行動を尊重し、多少は我慢をしていたようだが、それも限界にきたのかもしれない。
「あの……かしこまりました。すぐに移る準備をいたします」
間に入ったフランがそう答えると、皇太后はひとまず留飲を下げたように頷いて、言葉を続けた。
「それからもうひとつ。神聖国メディスから、第三王女のシルビア姫を花離宮に迎えることにしました。急に空室がいくつもできて、寂しくなってしまいましたからね」
メディスとは、帝国と同じ大陸の続きにある同盟国である。
ライズが驚いた様子で、わずかに目を見張った。
「シルビア姫を……?」
「ええ。シルビア姫とは幼い頃に何度か交流を持ったこともありますし、あなたも懐かしいでしょう? 先方も年頃になり、品格も美しさも申し分のない淑女に成長していると思いますよ」
どうやらライズとシルビアは幼馴染で、互いに知った仲であるらしい。
それを聞いて、なぜだか胃のあたりがズンと重くなった気がした。下腹部をぎゅっと押されているようで、とても気持ちが悪い。
黙って立ちすくんでいると、皇太后はライズとフランへ順々に視線を移しながら、念を押すように言う。
「そういうわけだから、くれぐれも失礼のないようにしなければなりません。シルビア姫は、皇妃候補であると同時に大事な賓客でもあります。皇妃の部屋は、返してもらいます。公平ではない状態を見せるのはよくありませんから」
言い分としては、皇太后に理があると思う。結婚どころか婚約者でもないのに、皇妃の部屋を使わせてもらっていたこと自体、異例のことなのだ。
「フラン……大丈夫なのか」
ライズがフランのほうへ気遣うような視線を向けてきたので、懸命に口角を上げてみせた。心配をかけたくはないし、彼の立場を悪くするわけにはいかない。
すると彼は眉間に深く皺を寄せつつ、「おまえがそう言うのなら」と言って頷いた。
幸い離宮には、フランを目の敵にしていたカーネリアたちはもういない。獣人の能力に関する調査には求められたときに応じればいいし、大きな問題はないはずだと思い込もうとする。
だが、同じ城の敷地内とはいえ、改めてライズとの距離ができるのは、やはりどうしたって寂しい気持ちになった。近頃は公務が立て込んでいて、ふらりと彼が部屋に立ち寄る機会も減り、会える時間が減ってきていたというのに。
(皇太后様は、シルビア姫という人を、ライズ様のお妃にと決めていらっしゃるのかもしれない……)
サリーや数人の侍従に手伝ってもらいながら引っ越しの作業をする間、動揺を抑えることはできなかった。
花離宮に戻ってきたフランは、本来与えられていた居室の使い勝手を久方ぶりに確かめ、お気に入りだった出窓を開けて、部屋の空気と気持ちを入れ替えた。
皇妃の部屋より規模は小さくとも、身の丈に合っている気もするし不便は感じない。それに移動はサリーも一緒だから、その点では心強くもある。
「またこのお部屋に戻ってまいりましたね、フラン様」
「ごめんなさい。あなたにも迷惑をかけてしまって……」
「いえ、迷惑だなんて、そんなことはありません! どうかお気を落とさないでください。皇太后様のお考えがどうあろうとも、皇帝陛下のお気持ちが離れたわけではないと思います!」
「ええ、ありがとう……。これからはまた朝礼と夕礼にも出席して、こちらで学べることを学び、自分の価値を高めていこうと思うの。皇太后様にも認めていただけるよう、がんばらなくては」
離宮にいる身で皇帝に面会するには、申請をして許可を受けねばならない。そうそう気軽に近づくことはできなくなったということだ。
そもそも、それをすっとばして特別扱いされていた今までが奇跡のようなもの。落ち込んでいる暇があれば前向きに努力していこうと、気を取り直した。
帝国令嬢の一派が去り、頭数を減らした離宮では、今まで陰に隠れていた者たちが頭角を現すといった権力関係の変動もあったらしい。
そうして一時はやる気を見せた令嬢たちだったが、新しくシルビア姫が迎えられることを聞いて、再び意気消沈してしまった……というような事情も耳に入ってくる。
(シルビア姫……いったいどんな方なのかしら……)
友好的な同盟国という太い関係にあるだけでなく、幼い頃から面識があったなんて、許嫁と考えてもおかしくないほどのアドバンテージではないか。
戦々恐々とした心地で、ごくりと喉を鳴らした。
その後、令嬢の何人かが、ぱらぱらとフランの部屋まで挨拶に来てくれた。離宮に戻った経緯に興味津々の様子であったが、以前のように意地悪をされるようなこともなさそうだと安心する。カーネリアたちがいなくなって過ごしやすくなったと、皆フランに感謝しているのだ。
それからは、離宮で常時開催されている淑女教育の授業や、賢妻になるための学習会に参加したりしながら、自分磨きに専念していった。
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