第23話 ざわめく帝国と乙女心(4)

       *


「さぁ、今日もきれいにしてやろう」


 高貴な立場には似合わないブラシを片手に、機嫌のよさを声に乗せるライズ。

 今夜も意気揚々と皇妃の部屋にやってきた彼は、カウチにゆったりと背をもたれ、膝に獣化したフランを乗せてブラッシングを施していた。

 それはとても恐れ多くて、最初はフランも抵抗して派手に逃げ回っていたのだが、立場上、最後には従わざるを得ない。今ではもう諦めて、されるがままになっている。


 特訓の成果は出ており、フランは意識して変身ができるようになっていた。これまでは練習する機会がなかっただけで、コツを掴めば難しいことではなかったのだ。無理に能力を抑えず適度に発散することで、もう暴発することはなくなるかもしれない。

 こうまでしてくれたライズには、感謝というには足りないほどの思いがある。

 それに、多忙な彼が執務を早めに切り上げ、こうして会いにきてくれることも、フランにとって望外の喜びとなっていた。


 ブラシの毛先が優しく背中を撫でていく。足の先までマッサージのように毛並みを梳かれて、その気持ちよさに身も心もとろけそうになってしまう。

 尻尾も耳もふわふわになって多幸感と眠気に負けてしまう前に、フランは気になっていた疑問を尋ねなければと気を引き締めた。


「陛下……。昼間のことですが、臣下の方を三人も退けてしまって、支障はなかったのでしょうか」


 カーネリア公爵家、ブルーネル侯爵家、コーラル伯爵家は爵位はく奪の上、財産を没収という処分を下された。

 皇帝に毒を盛ったのであれば死罪になるはずだが、実は彼らも、侍女の振りをしていた刺客によって騙され、利用されていたようなのだ。


 刺客は、皇帝に近づく機会を得るため離宮の侍女に扮し、令嬢を通して公爵たちにも取り入っていたらしい。

 公爵らは、接触してきた侍女から犯行の詳細は聞かされておらず、ただフランを追い落とすのにいい機会だからと、薬瓶を仕込むように言われたのだと。

 少し式典を混乱させるだけで彼らが関与した証拠は残らないと唆されて、その話に飛びついたというわけだ。


 だが、騙されたとはいえ皇帝を巻き込んではかりごとを企てたのだから、報いは受けねばならない。令嬢たちも皇妃候補としての資格はなくなり、すでに花離宮を追い出されたと聞いている。


「御しやすい相手だから、あの程度の処分で済ませたのだ。命があるだけ儲けものだろう」


 増長していた彼らはほかにも問題行動を起こしていたらしいから、なるべくしてなった処分なのかもしれない。

 黒幕のほうの取り調べは継続中ではあるが、刺客の女はヴォルカノ帝国によって滅ぼされた国の残党を名乗っているらしい。復讐のため、皇帝に近づいたのだと。

 刺客の計画通りに事が進んでいれば、フランは皇帝を殺害した犯人として、スケープゴートにされるところだった。


「平和的に終結した戦争のほうが稀だ。作った敵の数はそれこそ星の数ほどある。……いずれ私の皇妃となる者も、一緒に命を狙われることになるだろう」


 ライズはブラッシングの手を止め、今度は大きな手の平で頬を包むようにして撫でてきた。

 その声や仕草に少しだけ寂しげなものを感じて、気になったフランは顔を上げた。


「……陛下はそのような思いをしてまで、なぜ戦争を続けるのですか?」


 回答が難しい質問をしてしまったかもしれない。はぐらかされても仕方がないと思えたが、ライズは少し考え込んで、そして答えた。


「時代の流れは止められない。強国による統一化が進むのなら負けるわけにはいかないし、私はこの帝国を守り、理想と思う国を作りたい。それに、どうせどこかの国の支配下に入るのなら……私の元がよいと思わないか?」

「はい、思います……」


 流れるように即答してしまった。ライズはちょっと驚いた様子で目を見開いている。

 すると、脇の下に手が入ってきて、彼の顔の前へと体を持ち上げられた。見目麗しい顔がみるみるうちに近づいて――鼻先に、ちゅ、と軽くキスされる。


(え……?)


 鼻だけど。獣スタイルだけど。キスを……されてしまった。


(きゃあ~~~~! キ、キスっ……、陛下の唇が触れてっ……。やわ、柔らかかっ……、そんな、陛下、気軽にそんなこと、よろしいのですか!?)


 でも当たったのは鼻のところだし、彼にとってはスキンシップか挨拶みたいなものかもしれない。だけど、でも――。

 頭がボンッと弾けた気がして、考えがまとまらない。

 口を開けたら心臓が飛び出しそうで声も発せずにいると、そのままぴったりと額と額をくっつけられて、極上の笑顔がとどめのように降ってきた。


「……フラン。今日は頑張ったな。褒美はなにがいい?」


 ご褒美。そんな耳に優しい言葉、祖国の誰からも言われたことはない。


(あぁ……陛下……)


 視界が潤む。どんぐり眼をこぼれるほど見開いて、心の中では快哉を叫んでいる。幸せがどんどん膨れあがって、風船のように破裂してしまいそうだ。


(陛下は私に、「初めて」をたくさん与えてくださっています……)


 属国から貢ぎ物として捧げられた自分だけれど、この運命に感謝せずにはいられない。

 降り積もった「好き」の感情は、もうとっくに振り切れて、溢れていた。

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