第22話 ざわめく帝国と乙女心(3)

 耳を澄ませば廊下のほうから、騒がしい声が聞こえてくる。

 ライズは厳しい表情に戻り、フランの横にあった椅子にどさりと腰かけた。クリムトがその傍らに立ち、騒々しい物音が近づいてくるのを皆で待つ。


 間もなく侍従が止めるのも聞かずに押しかけてきたのは、明らかに身分の高そうな貴族の男女が数名。

 一番前に立つのは、どっしりとした体を高そうな衣装で包み、たくさんの勲章を胸につけた四十代くらいの男性だ。そのうしろには似たような風格をした男性がふたり、付き従っている。

 さらにあとから入室してきたのは、赤、青、黄色のドレスが鮮やかな、顔をよく知る女性陣だった。カーネリア家、ブルーネル家、そしてコーラル家の令嬢たちである。


「陛下、ご無事でなによりでございました。公爵のレイモン・カーネリアでございます」


 中心の人物が一歩前に出て、上半身を折り、礼をする。続いてふたりの貴族もそれにならい、それぞれブルーネル侯爵、コーラル伯爵と名乗った。

 三人の男性貴族は、それぞれの令嬢の父親にあたる人物らしい。顔立ちも令嬢たちとよく似ている。三令嬢も、保護者がいるためか強気の表情を浮かべていた。


 カーネリア公爵は、皇帝への挨拶を済ませたあと、じろりと蔑むような視線をフランに向けてきた。自分の娘から、フランの噂はあらかた聞いているに違いない。

 帝国の重臣である彼らが来たからには、なにか重要な話があるのだろう。フランは退席しようと立ち上がりかけたが、ライズからそのままでいいと言われて、仕方なく腰を下ろす。

 ライズが、カーネリア公爵に発言を求めた。


「挨拶はいい。カーネリア公爵、用件はなんだ?」


 公爵は狐のような目を油断なく光らせながら、胸に手を当てて言った。


「この度の式典での騒ぎ、大変遺憾に思います。帝国の士気を高める伝統の場を汚す行為、誠に許しがたく……黙ってはいられず、こうして駆けつけた次第です」

「杯を運んだ侍女については、牢に入れ、調べを進めている」


 ライズが頬杖をついて応じる横で、フランも彼らの話に耳を傾けた。ライズも臣下の者たちも、すべてにおいて行動が迅速だ。ただただ感心していると、公爵は語気を強めた。


「あの侍女は、おそらくは雇われの身でございましょう。指示した者を見つけ出すことが重要です。それも証拠を隠滅される前に。……そこで我々が早急に動きました結果、実は痕跡と思われる物証を発見いたしました」


(ええっ? もう手がかりを突き止めたの!?)


 それはすごいと驚いていると――カーネリア公爵と目が合った。


「杯に混ぜたと思われる液体の入った小瓶が、皇妃の部屋で発見されました。寝台の枕の下に隠してあったようだが、これはいったいどういうことかな? フラン王女よ」

「皇妃の部屋に……? そ、そんなことは……」


 自分が疑われているのだと察し、フランは目を見開いた。

 シーツや枕はサリーが毎日取り換えてくれているし、そのようなものを枕の下に入れた覚えはない。なにかの間違いだと否定したが、攻撃は止まらなかった。


「おまえは属国から貢ぎ物として送られてきた王女だというではないか。そのことを恨みに思い、陛下に牙を剥いたのではないか?」

「ち、違います。たしかに私の国は帝国の支配下に置かれましたが、温情をかけてくださった陛下を、恨んでなんていませんし……」


 そのとき、「フッ」とライズが声を漏らしたので、全員がそちらに注目した。

 ライズは満足そうに笑いながら、毅然とした口調で側近に命じた。


「クリムト。皇妃の部屋に出入りできる上級侍女を全員取り調べろ。手引きした者がいるはずだ。それから、侍女と公爵たちとの繋がりもな」

「かしこまりました」


 公爵は、しばらくぽかんと立ち尽くしたあと、血相を変えて叫んだ。


「へ、陛下! 我々をお疑いとは……長年仕えた我々よりも、そのどこの馬とも知れぬ小娘を信用されるのですか!?」

「当たり前だろう。おまえたちのことは、誰よりもよく知っている。おおかた娘の令嬢たちに頼まれて、フランを排除しようとしたのだろう?」

「んなっ!?」

「それにな。私は昨夜も皇妃の部屋に行き、朝までフランと一緒に過ごしたが、枕の下にそんなものはなかったと断言できる。日中においても同様、ひとときも離さず側に置いていたゆえ、毒物を仕込むような暇はなかった。わざわざ寝室に戻り薬瓶を隠すこともありえないし、意味もない」


 本当は互いに式典の準備で忙しく、別々の行動をとった時間もあるのだが、誇張して庇ってくれているようだ。皇帝が証人とあっては、これ以上どんな追及をできようか。


「そ、そんなバカな……話が違う。あの女、絶対にうまくいくと――」


 公爵の威勢はすっかり消え失せ、蒼白になって口元を震わせている。ほかの二爵、三令嬢も同様だ。彼らの悪だくみが暴かれるのは、時間の問題だろう。


 それにしても、朝まで一緒に過ごしたという表現はいかがなものかと思う。日課の特訓をして遊び、部屋に戻るのが面倒だと言う彼が、そのまま隣で眠ってしまった――ただそれだけのことなのに、あらぬ誤解を生んでいるような気がする。


「へ、陛下……あの……」


 顔を赤らめてうつむくフランの反応は、余計に場を煽ることになってしまった。驚愕の視線がいくつも突き刺さる。

 いたずらな微笑みを浮かべたライズが、唐突に遊び心を発揮した。


「なんだ、フラン。他人行儀だな……名前で呼べと言ったろう」


(い、言ってません、そんなこと……)


 ライズが席を立ち、目の前へと移動してくる。

 フランを椅子から立たせると、その場所にライズが先に腰を下ろし、それからフランを膝に乗せるように導いた。

 いったいなんのつもりだろう。小動物サイズのときは何度もお世話になったポジションだけど、今は人間の姿ですよ陛下、と心の中で叫ぶ。

 令嬢たちが掠れた悲鳴を上げた。


「嘘でしょう!? あの孤高の皇帝陛下が……御名呼びを許可ですって!?」

「まさか本当に……? フェイクではなかったの……!?」

「そんな、嫌よ……陛下……!」


 言葉に信ぴょう性を持たせるためにわざと仲睦まじい姿を見せつけるつもりかもしれないが、さすがにやりすぎではないか。これでは恥ずかしすぎて居たたまれない。

 黙ったままのクリムトに助けを求めて見上げると、彼もまた砂糖の塊を齧らされたような顔をしている。目が合ったが、「諦めてください」とばかりに首を横に振られてしまった。


 ハッと我に返った様子のカーネリア嬢が、必死の形相で訴えた。


「陛下、どうかお許しください……! 父がなにかしでかしていたとしても、わたくしはなにも聞かされておらず……!」


 そんな嘆願は耳に入らないかのように、ライズはフランから目を離さない。

 唇が耳に触れそうなほどの至近距離から、低く囁かれた。


「さぁフラン。呼ぶんだ――ライズと」


 ぞわぞわと背筋がわななく。

 これは、言わねば解放されない流れだ。甘い圧に流されて、意識が飛んでしまいそう。


「ラ……ライズ、様……?」


 極上の笑顔が視界を焼くように刻みつけられる。クール美形の破壊力たるや、すさまじいものがある。


「これでわかったな? 私とフランの関係の深さが……。おまえたちが入り込む隙間など元からないのだ」


 衝撃を受けたのはフランだけではない。全員が魂を奪われたようになり、あとはもう――ただ沙汰を待つことしかできないのだった。

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