第20話 ざわめく帝国と乙女心(1)

 城内は、フランの話題で持ち切りとなった。


「島国の出身のフラン王女が、皇妃に選ばれるのではないかという噂だ」

「先日来たばかりで? まさか、陛下のひと目惚れってこと……?」

「相当に入れ込んでおられて、皇妃の部屋に住まわせ、昼夜問わず一緒に過ごされているらしいぞ」


 噂に尾ひれがつき、純朴そうに見えて男を落とす悪女だとか、島国の怪しい呪術を使ったのではないか、などと邪推されたりもしているらしい。だがフランに変わった能力があることは、当たらずしも遠からずで――。


 フランの能力についてはクリムトが調査を進め、判明したことがいくつかあった。


 ――フランは、体内でマナを作り出すことができる。


 マナとは空気中に漂う魔力の素粒子で、魔法を使ったり獣人が変身したりする際のエネルギーとなるものだ。

 これは自然界だけが生み出す物質であり、人工で作り出すことは不可能。「あって当然」と思っていたものを浪費し続けた結果、今や枯渇してしまったマルスの天然資源である。


 原動力のない環境でありながら、フランが獣化できる理由――それは、マナを自給自足しているからにほかならない。これはまさに奇跡といっても過言ではない事象らしい。

 だが、実際に変身を披露し、ライズの膝の上に乗せられて、クリムトに手放しで褒められても、当のフランはまったくピンときていなかった。初めて耳にすることばかりで、戸惑いが先に立つ。


「あの~、陛下……そしてクリムトさん……」


 尖った鼻先をぴすぴすと動かし、城の談話室で一緒に和んでいるふたりの男性に疑問を投げかけた。

 フランは獣の姿でいるときも、実は問題なく言葉を発することができる。今までは警戒心もあり、なるべく相手を驚かせないよう黙っていただけなのだ。だが彼らにはもうばれているので、隠す必要はない。


「私は、ただの先祖返りに過ぎないと思うのですが……」


 クリムトが、柔和な笑顔で即座に答える。


「獣人の血が隔世遺伝したとしても、マナがなければ変身はできません。しかし古文書には、獣人族の中でも一部の希少な種において、それを可能としたと記されています。自然と同調し、活力を生み出す聖なる存在――人はそれを聖なる獣、『聖獣』と呼んだと」


(聖獣――私がそんな尊い響きの存在だなんて言われても、信じられないわ)


 獣毛の手触りを気に入っているらしいライズが、フランの耳から後頭部にかけてをゆっくりと撫でながら言った。


「大きな耳に、太陽を映したような金色の瞳。体の大きさは腕に収まるくらいだったというから、特徴的にも一致している。個体種名は、セイントマリアというらしい」


 猫とも狐ともつかない中途半端な格好だと思っていたが、個体種名があったとは。

 随分と大層な名前だなと思っていると、ふいに顎の下を指でくすぐられて、変な声が出た。


(はう……気持ちいい……。喉がゴロゴロ鳴っちゃう……)


 小動物を抱えたときの無意識の行動かもしれないが、集中できないからやめてほしいと本気で思う。今は真面目な話をしているというのに。


 そんな皇帝の挙動は、側近のクリムトにとっても珍しかったようで、見れば彼も目を丸くして、まじまじとこちらのやりとりを眺めているではないか。

 フランは気恥ずかしくなって、身をよじり振り返った。


「うん?」


 思ったよりも至近距離に見目麗しい顔がある。目と目が合って、ぎゅっと胸が締めつけられた。ライズは上機嫌にフランの体を抱え直し、視線を伏せて笑う。その仕草は、とても優雅でステキだ。


「おまえは甘い物が好きだったな。……ほら」


 お茶請けに用意してあったクッキーを指でつまんで、口の前に持ってきてくれる。

 思わず「あーん」と口を開け、はむっと頬張って、もぐもぐと味わった。小麦粉とお砂糖のハーモニー。美味しいし、幸せだ。


 口元についた食べ物のカスを、硬い指でくしくしと拭われる。こんなに可愛がられるのは生まれて初めてで、つい流されてしまう。

 嬉しいけれど、これに甘んじていてよいのだろうか。


(なんだか妹みたいに扱われているというか……いえ、むしろ愛玩動物?)


 心の中に、大きな引っかかりを覚えた。

 もっと違う形で、必要とされたい。ひとりの女性としても、好きになってほしい。

 釈然としないまま、もどかしさだけがむくむくと膨れ上がっていく。


 帝国の太陽たる人の心を掴むには、どうしたらいいのだろう――。


       *


「輝かしきヴォルカノ帝国に、栄光あれ!」

 きびきびとした帝国軍隊長のかけ声に合わせ、無数のブーツの踵が地面を打ち、タップのリズムを刻む。


 儀礼的に行われる軍事パレードは、帝国内外に権威を示し、軍人たちの士気を高める重要な行事だ。戦うことのできない住民や文官は、パレードを見守りながら感謝の気持ちを込めた拍手を送り、お祭り的な盛り上がりを楽しんでいる。


「うわぁ……すごいわね!」


 フランはサリーと一緒に、石造りのステージの端に用意された観覧席へと入った。

 城の関係者用の特等席にはすでに皇太后のほか、カーネリアやブルーネル、コーラルたちが目を光らせている。

 フランは彼女らから少し離れた席に落ち着くことにした。メインをうしろから眺める形で角度的にはよくないが、距離はそう遠くないから音はよく聞こえるし、扇形に広がる会場の全貌を見渡すことができる。


 前もって街頭パレードをこなした兵士たちは、続々と終着点であるステージ前の広場に集結していた。その動きは整然として、一分の乱れもない。

 肉体と精神を鍛える厳しい訓練の賜物であろうことは想像に難くなく、その規模もレベルも、フランが知るものとは格段に違っていた。

 シャムール島に攻め入られたときのことを思い出すと背筋が冷たくなったが、それよりも――屈強な軍を統率する唯一の人、荘厳な鎧を纏って一段高いところに立つ皇帝ライズは誰よりも輝いていて、吸い寄せられるように目を奪われてしまう。


(格好いい……)


 ライズは幼い頃から武人としての才に秀でていたらしいが、それに甘んじず、常に過酷な訓練を欠かさなかったという。

 そんな彼が皇帝でなかったら、この景色はまったく別のものになっていただろうと、気持ちの良い風に吹かれながら、フランは思いを馳せた。


 今でこそ安定と繁栄を見せるヴォルカノ帝国だったが、ほんの数年前には暗黒時代と呼ばれる動乱期もあったらしい。火種となったのは、ライズの父である先代皇帝が崩御した際に勃発した皇位継承争いだ。

 使用人から伝え聞いた話と、持ち前の想像力で補完したイメージによれば、皇位を狙う血縁者たちは文字どおり、血みどろの争いを繰り広げたようだ。

 正統な後継者であり、まだ若かったライズが、自分の命を守るために心を鬼にし、誰よりも強く厳しくある必要があったことは想像に難くない。


 遠く離れたシャムールまで、「怪物」だと偏った噂が届くほど、冷厳たる鎧で身を固めた当代皇帝。

 そんな彼は、今は全軍の敬礼を浴びながら、きりりと引き締まった横顔を見せている。


(陛下は厳しいけれど、公平で、上に立つにふさわしい方のように思える……)


 フランの目に映る豊かな国の景色は、ライズによって守られ、育まれたものなのだろうと思えた。


「フラン様、このあとは皇帝陛下が国の繁栄と戦の勝利を祈願し、掲げた杯を口にされ、式典は終了となります」


 小声で囁くサリーの解説のとおり、ステージの脇では乾杯の準備が進められている。

 黄金色に輝く杯に神酒が注がれ、盆に乗せられて運ばれていく様子をなにげなく眺めて――流れの変わった風向きの中、ふとした違和感に首を傾げた。

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