第19話 秘密のレッスン(5)
*
フランの居所が城の上階に移されたことは、瞬く間に城中に知れ渡ることになった。
部屋から出ずにおとなしくしていても、長らく空室だった皇妃の部屋の扉が開いたことは大事であり、使用人の出入りもあることから隠し通すことは不可能だ。
「フラン様が離宮から姿を消して、ご令嬢様方はあろうことか夜逃げしたと思っていらっしゃったらしいんですよ。それがまさか、皇帝陛下がお持ち帰りされていたとわかって、卒倒する女性が続出だったらしいです」
サリーが同僚を通して得た情報を喜々として流してくれたが、フランにしてみれば気が気ではない。カーネリアたちと顔を合わせようものなら、視線と口撃でめった刺しにされるだろう。朝礼と夕礼に出なくてもいいことが、なによりの救いだった。
しかしそう安堵していると、皇太后からお茶会への招待が届いた。事実上の呼び出しである。
(なにを言われるのかしら……)
不安な気持ちを抱えながらも、フランは指定の場所へと急いだ。
皇太后の許しがなければ入れない皇室の庭園は、帝国屈指の庭師によって管理された薔薇の垣根を抜けた先にある。開けた場所には白いガーデンテーブルがいくつか設置され、集まった令嬢たちがお茶とお菓子、そして歓談を楽しんでいた。
一歩前に進めば、今まで小鳥の囀りのように響いていた笑い声が、嘘みたいに静まる。全員の目が一斉にフランへと向けられ、痛いほど突き刺さってきた。
見回さずとも、この会の主催者である女性の居場所はすぐにわかった。最も華やかで、存在感のある広場の中央――。こくんと喉を鳴らしながら、豪奢な椅子に腰かけて待つ皇太后の元へと挨拶に向かう。
「皇太后様にご挨拶申し上げます」
じっと値踏みするように見つめてくる、皇太后ヴィクトリアの視線は冷たい。
「フラン・ミア・シャムール。皇妃の部屋の使い心地は、どうかしら」
「わ、わたくしにはもったいないくらいで……」
「あら、そう。それならば、いつまでも居座っているのはどういうこと?」
声の調子からも、不快に思われていることがひしひしと伝わってくる。帝国の母たる人物の怒りを受け止める度胸はなく、顔を上げることができなかった。
「朝礼と夕礼にも顔を出していないようだけれど、この皇太后の命令を無視するなんて、わたくしも侮られたものね」
「ち、違います! それは……」
思わず「陛下が」と言いかけて、口ごもる。いくらライズの許可をとったこととはいえ、皇帝のせいにすることはできない。
「申し訳、ございません……」
弱々しい謝罪の言葉しか出てこず、うつむいてしまう。すると、切り裂くような甲高い声が横から投げられた。
「皇太后様! この者は陛下をたぶらかす悪女です。追放してくださいませ!」
鋭い目つきで睨みつけてくるのは、花離宮で権勢を振るっていたカーネリアとブルーネル、コーラルの三令嬢だ。
「この女は、離宮にいらした陛下の前で服を脱ぎ、誘惑したのです。王女どころか、令嬢としての品位の欠片もございません!」
「色仕掛けで近づくなど、なんてはしたないのかしら!」
口々に罵声を浴びせられる。
まさか獣化してドレスが脱げてしまったとは言えず、フランは言葉をなくした。
たじろぎ視線を泳がせるうちに、場の空気はどんどん悪いほうへと流れていった。
皇太后が、心底呆れたような溜め息を漏らす。
「ずいぶんと評判の悪いこと。……あの堅物の息子がようやく動いたと思ったのに、なんで、よりにもよってあなたなのかしら」
がっかりとした声が、重くのしかかった。故郷で何度も味わった虚しさが、胸に湧き上がってくる。
努力しても認めてもらえず、劣等感に苛まれた日々。帝国に来てもなお否定されるなんて、いっそ消えてしまいたくなる。
けれど自分のせいで、あの理知的なライズが乱心したと疑われてはたまらなかった。彼は突飛な行動に出るけれど、いつも確固とした意志を持って動いている。そしてその裏に垣間見える優しさも、きっと嘘ではない。
フランは顔を上げ、真っ直ぐに皇太后の目を見つめて言った。
「恐れながら、皇太后様。ライズ陛下は、色仕掛けに惑わされるようなお方ではありません。そして私も、恥ずべき行為はしておりません。取るに足りない私を評価してくださった陛下のため、望まれるのならば、お力になりたいと思っています」
「……あなた」
息をのんだ皇太后がなにか言いかけたとき、背後から凛とした声が響いた。
「――フラン。ここにいたのか」
振り向けば、庭園の出入り口に姿を見せたライズが、豪奢なマントをひらめかせ、存在感たっぷりに歩いてくる。
(陛下……)
フランの胸に、なぜか灯火のような温かい気持ちが宿った。
周囲に満ちていた敵意が弱まり、代わりに緊張感が場を占めたのを感じる。
「母上。フランになにかご用事ですか」
「見ればわかるでしょう。有望な皇妃候補たちと、懇親を深めていたところなのよ」
ライズの登場に驚いた表情を見せた皇太后だったが、すぐに悪びれない様子で答える。
ライズはにこりともせず、生垣のように並ぶ令嬢たちを一瞥した。
「それにしては空気が悪いようですが」
「……あなたが囲い込んだ王女に、悪い噂があったのよ。わたくしが城に招いたのだから、呼び出して人となりを確かめるのは当然のことでしょう」
「ほう……? その悪い噂とは?」
皇太后が取り巻きのほうへ視線を送ると、意気揚々とカーネリアが進み出た。
「陛下は、その女の色香に惑わされているのです! どうか目をお覚ましくださいませ。そんな気品も学もない、芋くさい王女など、帝国貴族であるわたくしたちに比べたら……」
勢い込んでまくし立てたが、最後まで語り終えることなく萎んでいった。水晶のような紫の視線が凄みを増し、黙らせたからだ。
誰もが震え上がるほど冷たい声で、ライズは言った。
「私の所有物を勝手に貶めたこと。皇帝への侮辱と受け止めるが?」
「そ、そんな……」
カーネリアは青ざめて、その場に座り込んだ。
小さくなった令嬢には目もくれず、ライズはフランのそばに歩み寄った。
「行くぞ。これから出かけるときは、私に声をかけてからにしろ」
「は、はい、陛下……」
手の平を差し出されたので、吸い寄せられるようにそっと指先を重ねる。
子飼いの令嬢を言い負かされて悔しい気持ちがあったのか、皇太后が椅子から立ち上がり、声を張り上げて言った。
「ライズ。あなた、どういうつもり? どうせ離宮の姫たちを解散させたくて、その娘を利用しているんでしょう!」
ライズはその問いには答えなかった。
フランは力強い手に引かれ、足を踏み出す。並んで歩きながら、高貴な横顔をちらりと見上げた。
(陛下……。また私を助けてくださった……)
ドキドキと胸が高鳴り、言葉にならない高揚感と、感謝の気持ちが溢れてくる。
たとえ利用されていても構わない。ならば彼の期待に応え、認められるように自分を磨いていきたい――。
生まれて初めて芽吹いた希望は、昨日までより、世界を明るく見せてくれた。
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