第16話 秘密のレッスン(2)
ライズが去ったあと、すぐに複数のメイドが現れて、フランのために立派なドレスと美味しい食事を用意してくれた。
楽にしていてよいが、指示があるまでは部屋から出ないようにしてほしいとのこと。
他に必要なものがあればなんなりとと尋ねられたので、サリーを呼んでほしいと伝えたところ、希望はすんなり聞き入れられた。
「フラン様!」
「サリー! 戻ってきてくれて嬉しいわ!」
側仕えに復帰したサリーが、喜びをあらわに駆け寄ってくる。
これからはまたフラン付きの侍女として、身の回りの世話を焼いてくれるらしい。不安だった心は、それだけで救われた気持ちになった。
通常なら上級侍女しか入れないという皇族専用の部屋を一緒に見て回りながら、積もる話に花を咲かせる。
今朝目覚めたときの話にもなり、サリーがきらきらとした視線を向けてきた。
「一夜をともにされたということは、その……フラン様と皇帝陛下は、そういうご関係に……?」
「ち、違うのよ! よく覚えていないのだけど、多分なにもなかったと思うの……」
赤面しながら、首を横に振って否定する。
「え? でも……どういうことでしょうか?」
経緯を尋ねられ、しどろもどろになりながらもおおよその事情を説明する。
獣人のことには触れずに、花離宮を訪ねてきたライズの前でフランが気を失ったため、心配した皇帝が連れ帰り、介抱してくれたのだということに落ち着かせた。
フランの体調が万全でなかったのは事実なので、サリーは疑う様子もなく頷いた。
「そうでしたか! 日頃厳しいイメージのある陛下ですが、いざとなればお優しいのですね……。でも少し残念です。てっきり私が思うより急展開で、特別な夜に発展されていたのかと……」
どんな想像をされたのか考えると、恥ずかしくてたまらない。
今後もなにか動きがあればサリーに相談していくべきなのだろうが、この手の話になると照れてしまうのは、慣れられそうもなかった。
それでも興奮冷めやらぬといった風で、サリーが続けた。
「それにしてもフラン様、すごすぎます! この貴賓室って、本来は皇妃様がお使いになられるお部屋ですよね? それを使うように言われたということは、陛下から見込みがあると判断されたのだと思います!」
「いえ……お、お部屋に関してはそのとおりなのだけれど……」
そう、この部屋は本来であれば皇帝の伴侶が使うもので、隣にはライズ本人が言ったとおり皇帝の私室があるらしい――すなわち、彼のプライベートが目と鼻の先にあるということだ。ゆえに信頼していなければ住まわせることなどありえないという理屈なのはわかるのだが……。
彼は、本当にそう思ってフランをここへ連れてきたのだろうか。
愛人などという悲しい扱われ方ではなく、フランに期待してくれているのなら、光栄に思うべきだが……。
及び腰のフランを尻目に、サリーはますますの意気込みを見せた。
「これからは、いつ閨に呼ばれてもいいように準備してまいりましょう」
「ねっ、閨……!?」
「フラン様、見てください、こちらの大理石のお風呂! すごいですよ、入浴剤も最高級のものが揃っていて磨き放題です。早速、今日から使わせていただきましょう」
めまいを覚えながらバスルームを後ずさろうとするフランに、退路はないのだった。
*
その日の午後、皇帝からの呼び出しに応じて案内役の侍女についていくと、そこはどことなく見覚えのある執務室だった。
家具や壁紙を見てすぐに思い至る。いつぞや獣に変身して紛れ込み、その姿で初めて皇帝にお目通りした場所だ。
「フラン、よく来たな」
明るい窓際に置かれた執務机の向こうから、ライズが声をかけてきた。
自然に呼び捨てにされて、ドキッと鼓動が跳ねた。けれど嫌な気はしない。距離が近づいたようで、なんだか嬉しく思えてくる。
「皇帝陛下にご挨拶を申し上げます」
緊張を緩めずに礼をすると、楽にするようにと言われ、どっしりとしたテーブルのある談話スペースに通された。
ライズが正面のソファに着くのを待ってから、フランも向かいの席に腰を下ろす。
すぐに侍従の男性が現れて、ふたりの前に飲み物を用意してくれる。
独特の雰囲気を持つ彼は侍従の中でも特別で、皇帝の側近の部下だと紹介された。
「クリムトと申します。以後お見知りおきください」
「は、はい……よろしくお願いします」
シルバーグレイの髪を上品にセットし、黒服をそつなく着こなした姿はとてもスマートで、頼りになりそうだ。
「それで、話というのは、おまえの能力のことなのだが」
第三者がいる中で出されたデリケートな話題に、フランは肩を震わせた。するとライズは一度言葉を切り、クリムトは信用できる相手だから安心するようにと言い添える。
確認するようにクリムトに目をやれば、柔和な笑顔が人物像を裏づける。
フランがこくりとうなずくと、ライズが本題に戻った。
「わかっているとは思うが、今やマナが枯渇したこの世界で、獣人化の力は珍しいものだ。クリムトは魔術師の末裔で、そういった方面にも詳しい。おまえの能力を明らかにするために、調査に協力してほしいのだ」
マナ――大地の恵みの力が満ちていた頃は、魔法の使い手も珍しくはなかった。エネルギーとしてのマナは、獣人の変身の原動力にもなっていたといわれている。
(明らかにといっても……私はただの先祖返りなんですが……)
協力することは簡単だが、調べるとはいったいどのようなことをされるのだろう。
不安を隠せずにいると、横から穏やかな声がかけられる。
「大丈夫ですよ、痛いことはしませんから。少し、気を見させていただくだけです」
クリムトはフランの傍らに来て膝をつくと、低いところから柔らかく見つめてきた。
落ち着いた瞳の色と声音に安心を覚え、小さくうなずくと、にっこりとした微笑みが返ってきた。
「それでは早速、失礼いたします。少しの間、額に手をかざしますね」
フランを驚かせないよう、ゆっくりと説明しながら事を進めてくれるようだ。
クリムトの手がフランの額の前で静止し、瞼の上に影を作った。
フランはなんとなく目を瞑り、じっと動かずに様子を見る。
やがて瞼の裏が淡く発光したような感覚にとらわれ、なにか温かいものが体の中に湧き上がってくるのを感じた。体に染み渡るような、優しいエネルギーだ。
「どうだ?」
ライズの声がして、ぼうっとしていた意識が引き戻された。
目を開けると、クリムトはもう手を引っ込めていて、体の中に感じた温かな力も消えていた。どうやら調べ物は終わったらしい。
「やはり思ったとおり、彼女はマナを発しています……。体内でマナを作り出しているのでしょうか? 獣人にそんな力があるとは聞いたことがありません。信じられない……」
ぶつぶつと小声で呟きながら、夢中で思索にふけっている。横にライズがいることも忘れている様子だ。
クリムトの変貌ぶりに戸惑っていると、ライズが苦笑しながら言った。
「こうなると、私でも手に負えん。分析結果は、彼が落ち着くまで待つとしよう」
フランも一度部屋に戻るように言われ、その場を下がった。
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