第14話 フランの秘密(3)
*
本城に戻ったライズは、側近のクリムトが待機している特別の執務室へと入った。
並びには皇帝専用の寝所も含めた私室が続いており、あらかじめ許可を与えられた者しか入れないプライベートなフロアだ。
秘密裏に連れ帰ったフランは獣化した姿のまま眠ってしまったので、長ソファに備えたクッションの上に、ひとまず寝かせてある。
どのくらいのタイミングで変身が解けるのか詳しくはないが、おそらく明日の朝には元どおり、人間の姿を取り戻しているのではないだろうか。
ある程度、事情を話してあるクリムトが、主君であるライズの前に眠気覚ましの飲み物を差し出しながら、感嘆のため息を漏らした。
「やはり、フラン王女が、獣人の能力を持つキーパーソンだったのですね」
「おまえ、会食の提案をしたときから、薄々、気づいていたんだろう」
「確信はありませんでしたが、王女からほんの少しだけ、マナの気を感じましたので」
クリムトは魔術師の末裔で、常人にはない感覚を持っている。
魔法の原動力となるマナが枯渇した現代では、もう大きな魔法を使うことはできないらしいが、魔力を閉じ込めた魔道具や、古代史の研究にも詳しく、クリムト自身も稀有な存在のひとりだ。
そんな部下を相談相手に、ライズは特等席の肘かけに頬杖をつき、考えの整理を始めた。
「肉体を鍛えるしかない我々人間からすれば、特異な力を持つ存在は、喉から手が出るほど欲しいものだ。それをみすみす差し出すとは……。シャムールでは能力を知られていなかったのか?」
「むしろ厄介だと思われていたのではないでしょうか。珍しい存在など、小国では国を攻められる理由にしかなりません」
たしかに、希少なものなら手に入れたいと思うのが、強者の性だ。ウェスタニアが目をつけたのも、先祖返りの出現を聞きつけてのことかもしれない。
絶滅に近いといわれ、自然の出生は見込めないといわれている獣人。これまで耳にしたことはあっても目にする機会はなかったが、貢ぎ物として差し出された王女が、まさかその能力の持ち主だったとは。
話題の的となっている小さな生き物に、ついっと視線を流す。
引き結んでいた己の唇が、ふいに緩んだ。
(やはり私は、運がいい――)
機運すらも掴み取る、強靭な精神と天賦の引き。それこそが王の資質だと思っている。
けれども、この王女との引き合わせは、偶然では片づけられないなにかを感じる気がするのだが、考えすぎだろうか。
見つめれば、腕に抱えていたときの感触がじわりと思い出されてきた。ほんのりと温かく柔らかい体がおとなしくこの腕に収まって、しっくりくるというか、なんというか――。
(なんなんだ、この生き物は……。反則じゃないのか……)
自分でもよくわからないが、心を鷲掴みにされた感は否めない。こんな気持ちになったのは生まれて初めてのことで、実は内面の大部分で戸惑っている。
そのまま吸い寄せられるように目を奪われていると、
「陛下?」
クリムトに声をかけられ、はたと意識を引き戻した。
平常心でいる振りが崩れていたかもしれない。
問題の本筋は、シャムール王家に生まれた先祖返り、フラン。そして怪しい動きを見せていた西の大国だ。そしてこの両者は、きっと無関係ではない。
そもそも、世界でも有数の巨大国であるウェスタニアが、ただの珍しい生き物を手に入れるためだけに動くとは考えにくい。背景にはもっと大きな秘密があるのかもしれない。
仕事の顔に戻ったライズは、命令を待つ部下に指示をした。
「獣人についての資料を集め、古文書の解読を早急に進めてくれ。それから――シャムールの王女、フランの生い立ちを探れ」
「かしこまりました。フラン王女は、このままおそばに留め置かれるのですか?」
「ああ……。監視するには、そのほうがいいだろう」
離宮の令嬢たちには手ひどく扱われているようだし……などと口には出さずに考えていると、表情を緩ませた側近が、含みを持たせた声で言う。
「陛下は昔から、小動物がお好きでしたね。それから、意外と口下手でいらっしゃる」
「……うるさい。もういいから、おまえも下がって休め」
「王女様をお部屋にお運びしておきましょうか?」
「あとで適当にやっておくから、構わなくていい」
「承知いたしました。それでは、おやすみなさいませ」
クリムトが去っていったあと、ライズはおもむろに席を立つと、フランのいる長ソファに向かい、傍らに腰を下ろした。
「…………」
すぅすぅと上下する温かい体に、そっと手を伸ばす。どうにも気にかかって仕方がなく、構わずにはいられないのだ。
背に触れた瞬間、三角の耳がぴくりと動いたが、それが目を覚ます気配はなかった。
(この感触、どうにも癖になる……)
湧き上がる多幸感とでもいうのだろうか。
鬼だ悪魔だと恐れられる自分が、このようなことを思い、こんなことをしていると知れたら、家臣たちは目をむいて卒倒するだろう。「可愛い」などとは口が裂けても言えないが、目の前の存在に強く興味を引かれていることは確かだ。
とにかく今夜はもう、仕事じまいにしようと心に決める。
熱源の増えた静かな夜は、いつもより時の流れが緩やかで、温度を上げている気がした。
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