第9話 氷の皇帝 ライズ・ド・ヴォルカノ(3)

       *


 ――一方、城の執務室にて。


 帝国の最高権力者である皇帝ライズ・ド・ヴォルカノは、フランとの会食のあと、山のように積まれた書類の処理に戻っていた。

 寄せられる陳情や諸問題は湯水のように降って沸いて、暇な時間など一秒とて存在しない。仕事に忙殺されるのは今に始まったことではなく、慣れたものだ。


 精力的に仕事を片づけて、区切りのいいところでひと息をつく。彫像のように整った目元には、かすかに疲れが滲んでいた。


 ライズは元から他人に仕事を任せるよりは、自らこなしたほうが早いし確実と考えるワンマンタイプである。またその能力も十分で、卓越した手腕も持ち合わせていた。


 だが、広大な帝国の頂点に君臨するのはたったひとりで、集まってくる案件は膨大。猛将のごとき辣腕を振るうにも限界がある。

 暴君と呼ばれた亡き父の代から続く諸問題や、皇妃不在であることから分担すべき内政業務も、ライズひとりの手に委ねられている状態だ。


 そういう意味もあって、早くパートナーを決めるよう急かしてくる皇太后の言い分も一理ある。だが正直、色事を面倒と感じて放置してしまうのは性分だった。


(皇妃を決めたら決めたで、新たな問題が持ち上がるに決まっている。女というものは鬱陶しくてかなわん)


 いずれは妃としてふさわしい人物を娶り、子孫を残し、国を存続させる務めを果たさねばならないことはわかっているが、まだそのときではない。


 幼い頃から懐柔しようと近づいてくる女性は後を絶たなかった。

 権力欲と媚びを滲ませた表情には虫唾が走る。色仕掛けで迫られたこともあったし、暗殺者が紛れていて自ら対処したこともしばしば。

 積み重なった黒歴史の数々――平たく言って、皇太后が用意した「この世の楽園」らしき花離宮の姫たちには、まるで興味を持てずにいる。


「失礼いたします。陛下、お気持ちの休まるお飲み物をお持ちいたしました」

「ああ、もらおう」


 執事であり補佐も兼ねている側近のクリムトが、柔らかな湯気を立てる紅茶を主人の前に差し出した。

 この白髪の交じるベテランの彼とは付き合いが長く、気の置けない腹心の部下だ。

 ライズは知らず強ばっていた眉間を指でほぐしながら、空いているほうの手をカップに伸ばし、鼻に抜けるハーブの香りを楽しんだ。


 クリムトが、タイミングを見計らって補佐としての業務に移る。


「今しがた、カーネリア公爵家ご当主から手紙をお預かりいたしました。陛下にすぐ目を通していただきたいとのことで」

「内容は?」

「おそらくは、先ほど陛下がフラン王女と過ごされたことを耳にし、次は自分の娘ともお願いしたい、というような内容かと」

「見せなくていい。捨てろ」

「かしこまりました」


 まったくどいつもこいつも――いまいましい思いで、荒い息をつく。議会の場ではのらりくらりと結論を先伸ばすのに、こういうときだけは地獄耳で動きが早い。

 シャムールの王女を同席させたのは、単なる情報収集のため。時間を有効に活用する、ただそれだけのことだというのに。


 会食を提案した張本人であるクリムトが、苦笑を浮かべながら話題をずらした。


「王女様とのご会食は、いかがでしたか?」

「どうもこうもない、時間の無駄だった。あれはとんだ阿呆か、張りぼての王女だな」

「期待した情報は得られなかったのでしょうか」

「ああ。聖獣の名称を出して確認したが、なにも知らないと」


 王女から裏を取りたかったのは、ライバル国である西の大国ウェスタニアの動きだ。

 ウェスタニアと我が国は、表向きには同盟を結んでいるが、隙を見せれば喉を噛まれ、丸飲みにされてしまうほどの相手。けして警戒を怠ることのできない存在だ。


 実はシャムールを併合するに至った事情も、西の動向を見てのことだった。

 あれは、小さな島国を攻める一カ月ほど前。某地に忍ばせた諜報兵から、ウェスタニアが次に狙うは、かの小王国かもしれないとの情報が入ったのだ。


 西の大陸から離れた海域にあるあの島に、理由もなく目をつけるとは考えにくい。

 シャムールは獣人が興した国だというが、今ではその血は薄れ、特殊能力を持つ者はほぼ絶滅したといわれている。のどかな隠れ里のようなものだと思っていたが、なにか秘密があるのだろうか。


「西の大国が欲しがる理由が、なにかある。そうお考えになられたのですよね」

「ああ……。希少となった獣人。中でも特異な能力を持っていたという、幻の聖獣に関するものではないかと思ったのだが……」


 その国出身の王女が手元にいるのだから、少しは役に立つかと思い、声をかけた。その結果は、思うような手ごたえは得られず、早々に場を切り上げることになってしまったが。


「西の国は奴隷制度が残り、悪い噂も聞きます。我が国が保護していなければ、どうなっていたことか……。そのことをお伝えすれば、王女様も協力的になられるのでは?」

「いや、協力云々というよりは、本当になにも知らない様子だった」

「怖がっていらっしゃったのかもしれませんよ」

「そうかもしれないがな……」


 ライズは先ほどの珍事を思い出し、視線を遠のかせた。

 妙に強烈な印象を刻みつけられた、あの場面。恐怖から逃れたいがための行動だったのだろうが、まさか布を頭から被るとは思わなかった。


 珍しい髪の色、くっきりとした目鼻立ちに、黄金色の瞳。媚びる様子もなく、初見ではそこまで不快に感じるものはなかったのだが……。

 蓋を開けてみれば、ライズが嫌う「美しいだけの花」だったということか。


 王女として生まれ、なに不自由なく甘やかされて育ってきたのだろう。おどおどして、気の毒になるくらい怯えていた。放っておけばそのうち音を上げて、祖国に帰りたいと泣きついてくるかもしれない。


 なんにせよ、臆病な王女を締め上げてまで情報を引き出す必要はない。ライズはすでに島ごと手中に収めてしまったのだから。

 気になる件については、ゆっくりと調べていけばいい。その意向と調査を命じると、有能な部下はしかと頷いて、それから少し残念そうに瞳を細めた。


「しかし、陛下が安らぎを得られるような女性は、現れないものでしょうか……」


 聞えよがしな呟きは聞き流し、机上の残務と向かい合う。

 クリムトが言うような「安らぎ」が訪れる日が来るとは思えなかったし、特に必要とも思わなかった。

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