第7話 氷の皇帝 ライズ・ド・ヴォルカノ(1)
皇族専用のティーサロンは、眩しいほどの高級感に包まれていた。
窓にはドレープの流れが美しいラグジュアリーなカーテン。壮麗な模様の壁紙に、輝くシャンデリア。中央にある縦長のテーブルの周りには、おしゃれな椅子が整然と並んでいる。
今着席しているのはフランと皇帝のふたりであるが、もしこの席が高貴な人々で埋まるようなことがあれば、緊張のあまり、たちまち息もできなくなってしまうだろう。
正面の席にいる皇帝ライズは、どうやら一緒に休憩を取りながら話をするつもりらしい。
案内された先が懇談の場で、ひとつ安心はした。
けれど今度は別の意味で緊張に襲われ、動揺を隠せない。
鎖国に近かった島国シャムールでは、他国の貴人を招いて交流する機会はめったになかった。客人があってもフランは隠されるようにして引っ込められていたため、こうした状況には慣れていないのだ。
給仕係のメイドが、皇帝とフラン、それぞれの前にティーカップと軽食を運んできた。
カップに飴色の液体が注がれ、香り高い湯気が立ち昇ってくる。
ケーキスタンドには焼き色の美しいキッシュやパイ、ゼリーやお菓子などの類が美しく盛りつけられ、目にも鮮やかだ。
だが、平時なら表情を輝かせるような場面でも、この状況では食欲を湧かせるのは難しい。なにか粗相をして不興を買ってしまったらと思うと、恐ろしくて手が出せない。
「悪いが時間はあまり取れない。食事を進めながら話そう」
そういうライズは品のある動きで、カップの飲み物にだけ手をつけている。
(陛下は私に、なにをお尋ねになるつもりなのかしら……)
座席の間隔は離れていたが、凛とした彼の声はよく通って聞こえてくる。けれど、こちらは少し喉に力を入れないと聞き取りづらく思われるかもしれない。
「……どうした? 遠慮せず手をつけてもらって構わないが」
「は、は、はい! いただきます……あっ!」
彼にならい紅茶に手を伸ばしたが、取っ手にかけた指の震えが思いのほか大きく、中身を受け皿に零してしまった。
食器が擦れあう耳障りな音まで響き渡り、さっと血の気が引いていく。
「も、申し訳ありません……!」
蒼白になり手元にあったナプキンで汚れを拭こうとしたが、先にメイドが素早くカップとソーサーを回収し、新しいものに取り替えて下がっていった。
(失敗してしまったわ……)
室内の雰囲気は、完全に冷え切っている。ライズは眉ひとつ動かさなかったが、快く思われていないことは確かだ。もう呆れられてしまったかも……。
ますます萎縮が進み、なにも考えられなくなってしまった。
必死に取り繕い、取りやすいチョコレートをつまんだが、喉がひりついたように渇いてうまく飲み込めない。味もなにも、わからなかった。
挙動の怪しい王女に、無言の皇帝。和やかなはずの場は、異様な空気に包まれている。
一緒にお茶を飲むことすらこなせない自分が恥ずかしく、心を締めつけた。
やがて、表情がより冷淡になったように見える皇帝が、口を開いた。
「……待っていては次の太陽が昇りそうなので、尋ねさせてもらおう。シャムール王国に伝わる聖獣伝承について、知っていることがあれば教えてほしい」
「聖獣……伝承……?」
二拍ほど遅れて、掠れた言葉を捻りだす。
聖獣というのは「聖なる獣」という意味であろうことはわかった。けれど、そのような存在は見たことも聞いたこともない。フランたちにとって、先祖の獣人はむしろ愚かな存在であり未進化の象徴だ。とても神聖視されるようなものではない。
答えが用意できずに視線をさまよわせていると、逃げることは許さないとばかりに、鋭い声が飛んできた。
「問いに答えてくれ。私は、時間がないと言ったはずだ」
びくりと顔を上げると、射るように向けられている紫の瞳と目が合った。
「も、申し訳ありません。伝承、というのは心当たりがなく……」
「どんな些細なことでもいい」
「ほ、本当に、知らないのです。その、あまり勉強をしてこなかったので……」
重苦しい沈黙が流れた。
皇帝はひとつため息をつくと、低い声を投げてよこす。
「……おまえは、本当に王家の人間なのか?」
その言葉は氷の刃となって、フランの心の中心にぐさりと突き刺さった。
細められた視線は、冷たく厳しい。この場で見限られてしまうのではないか――そう思うと冷や汗が背中を伝い、震えが止まらなくなってしまう。
(ど、どうしよう……)
心は限界まで張り詰めて、今にも崩れそうという、そのとき。
――モフッ。
おしりのあたりに違和感が生じた。このフサフサとした、柔らかなボリューム感は……。
(し、しっぽが……!)
とある臨界点を突破し、半獣化が始まってしまったのだ。
膨らみのあるスカートが目隠しをしてくれているが、急に増した下半身周りの圧迫感は、ふっさりとした尾が出現したことを意味している。
(う、嘘でしょう!?)
なぜ今なのか。頭の中は完全にパニック状態だ。
変身はしっぽだけで収まるはずはない。その兆しとして頭のてっぺんもむずむずと疼いている。
もうすぐ三角の大きな耳も髪の間から顔を出すだろう。見られれば、自分が珍しい獣人の先祖返りだということが知られてしまう。
「……どうやら、私は見くびられているようだな」
一段と低くなった声が、場の空気を凍らせた。
ライズは、黙ったままのフランの態度を反抗心によるものと誤解してしまったようだ。違うのにと思うが、唇が震えて言葉が出てこない。
だが頭の片隅では耳の対処を講じなければと、使えそうなものを探して目を走らせ――とっさに膝の上に広げていたナプキンを頭に被って、テーブルに顔を伏せた。
その瞬間、布の下でふたつの山がにょきっと盛り上がったのがわかる。ケモ耳が飛び出したのだ。
膨らみを手で押さえつけ、目立たないよう頭を低くするしかない。その姿は間違いなく滑稽であったろうが、それ以外に方法は思いつかなかった。
突然の奇行に、皇帝が絶句している気配が伝わってくる。これ以上嫌われたくないという思いからか、言い訳が口をついて出た。
「ち、違うんですっ……! ただ、その、こ、怖くて……。こんな私で申し訳ありません……!」
正気を疑われるような行動をしていることはわかっている。不敬だとこの場で捕らえられ、投獄されることも覚悟した。
だが少しの沈黙のあと、痛いほど感じていた視線は、ふいっと逸らされた。
「……話にならん」
静かな、けれど明らかな侮蔑の色を滲ませて、皇帝が席を立つ。
冷たい空気を纏わせた長い足が、早足に横を通り過ぎていく。
フランは、頭を抱えた格好のまま、しばらく立ち上がることができなかった。
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