第5話 囲われ王女、帝国での新たな生活(3)

 花離宮のエントランスロビーは上品かつ華やかで、随所に生花や絵画が飾られ、高級感に溢れていた。


 天井にはシャンデリアが煌めいて、吹き抜けのホールを明るく照らしている。磨き上げられた大理石の床には赤い絨毯が敷かれ、二階へ上がる螺旋階段へと動線を導いている。


「フラン様、こちらで少々お待ちください。入宮の手続きをしてまいりますので……」


 そう言って左手の通路へと消えていったサリーの戻りを待つ間、珍しい調度品を眺めながら過ごしていると、


「あら、新入りの方?」


 頭上のどこかから、高い声がかけられた。


 慌てて視線を上に向けると、二階の廊下の縁から鮮やかな貴婦人の集団が顔を覗かせている。人数は一、二、三……全部で五名ほどだろうか。


 赤、青、黄色と色とりどりのドレスを纏った彼女らは、先住の姫たちに違いない。

 エレガントな女性陣がぞろぞろと螺旋階段を下りてくるのを見て、フランはハッと我に返った。


(いけない! ご挨拶をしなければ……)


 相手が階段を下りきる前にそばに駆けつけ、膝を折って姿勢を低くする。


「ご挨拶が遅れて申し訳ありません。今日からお世話になります、フランと申します」


 令嬢たちは踊り場のあたりで足を止めると、フランを見下ろし、頭の先からつま先まで舐めるように眺めた。


「ふぅん……なんだかみすぼらしい格好ね。どちらのご出身かしら?」


 問いかけてきたのは、薔薇のような真紅のドレスを着こなした艶やかな女性。くっきりと引いた口紅と高く結い上げた金髪は、とてもゴージャスで迫力がある。


「東の海にある島の、シャムール王国という国から参りました」


 フランが素直に答えると、集団の中からクスクス、と笑い声が上がった。


「お聞きになりまして? カーネリア公爵令嬢様」

「きっととんでもないド田舎ですわ」


 カーネリアと呼ばれた令嬢は取り巻きの囁きを受け止めつつ、唇の端を上げて言う。


「シャムール……どこにあるのか知らないけれど、陛下が先日、支配下に置いた小さな島のことね。王国ということは、あなたは一応、王女かなにかなのかしら?」

「はい、一応……」


 するとカーネリアのそばにいた群青色のドレスを着た令嬢が、鋭い目つきを向けてきた。


「王女といっても……ねぇ。帝国の由緒ある家門の出であるカーネリア様や、このわたくし、ブルーネル侯爵家と同じレベルと思われては困りますわね」


 今度はその隣に立つ黄色いドレスの令嬢が、小悪魔的な笑みを浮かべて合の手を入れてくる。


「まぁまぁ、ブルーネル侯爵令嬢様。なにもわからないおのぼりさんのようですし……。新人さん、わたくしの出身はコーラル伯爵家よ。ここにいる皆様方は、お父君がこの国の重職についている立派なお家の出なの。くれぐれも敬意を忘れずに、ルールを守って過ごしましょうね?」


 あからさまな牽制。肌を刺すような圧にのまれ、こくこくと頷くのがやっとだ。


 嫌みを言われているのはわかったが、波風を立てるつもりはない。そもそもフランは人と争うのが苦手で、奪い合うくらいなら相手に譲るのが常だった。


(でも、本当に場違いなところに来てしまったのかも……)


 引きつった笑顔を浮かべて困り果てていると、左手のほうから喉を絞ったような悲鳴が聞こえてくる。


「ひっ! フ、フラン王女様……?」


 手続きに行っていたサリーが戻ってきたのだ。早くも令嬢たちに取り囲まれているフランを見て心底驚いたのだろう。真っ青になって立ち尽くしている。


 だがその登場が、空気を変えるきっかけとなったようだ。令嬢たちは目配せをし、なにやら余裕の生まれた表情で頷き合っている。


「まぁ、このくらいでいいでしょう。毒にも薬にもならなそうだし……。新人さん、くれぐれも皇帝陛下や皇太后様のお気に障るような行動は慎んでちょうだいね」


 カーネリアたちは優越感を浮かべた笑顔を残し、その場を去っていった。



「フラン様のお部屋はこちらになります」


 サリーに案内された部屋は、花離宮の中では少し使いにくい場所にある一室らしいが、フランにとっては十分すぎるものだった。


「まぁ……! とってもステキね!」


 白を基調とした壁紙に、統一されたデザインの可愛らしい高級家具。窓には繊細なレースと薄紅色をしたカーテンがかけられて、女性らしい雰囲気が漂っている。


 猫足のソファは使いやすそうで、おしゃれなアクセントだ。天蓋つきのベッドも豪華で、ふわふわの羽根布団は手触りがよいし、マットレスには弾力があり、心地いい。


 シャムールにいたときにも王女としての部屋は与えられていたが、ここまで贅沢ではなかった。風土の違いもあるし、それに妹のマーガレットと比べ、フランはあまり王族として手をかけられていなかったというのもある。

 ここでなら快適な暮らしが送れそうだと、安心感が湧いてきた。


 続きの部屋はドレスルームになっていて、目移りするほどのドレスにアクセサリー、何種類もの香水やお化粧品が収納されている。

 日々の支度は、基本的にはサリーがそばについて手伝ってくれるという。


「よかった。国からは、あまり衣装を持ってこられなかったから……こんなにたくさんのドレスを用意してくださったなんて、ありがたいわ」


 手放しで喜んだフランだが、クローゼットの一角で目を丸くすることになった。


 妙に存在感のあるピンク色の一着を手に取ってみると、それは派手なネグリジェだった。

 袖を通して胸元の一か所をリボンで留めるだけのデザイン。ふんだんにレースがあしらわれているが、布地の面積は少なく、おまけに透け透けだ。これでは隠すというより、むしろ逆効果……。


「こっ……これは、なに……?」

「あぁ、そちらは皇帝陛下からお声がかかった際に着用する、夜用の勝負服ですね」

「勝負服……?」

「はい! 閨に呼ばれたとき、雰囲気を盛り立てるようおしゃれをするのです。そうなればお妃様に選ばれる大チャンスです。陛下の寵愛を得られるよう、腕に寄りをかけて準備のお手伝いをさせていただきますので」


 熱弁するサリーの声は、まるで耳に入らなくなってしまった。

 こんないかがわしい服を着て人前に出るようなことがあれば、恥ずかしくて死んでしまう。意味が分からないし、自分には絶対に無理だ。


 ヴォルカノ帝国へ捧げられる貢ぎ物の役目を自分が引き受けると母に報告したとき、餞別として言われた言葉が脳裏によみがえった。


『いいこと? フラン。もしも皇帝の寝所に呼ばれることがあれば、ただ黙って従うのよ。逆らってはダメ、どんなにひどいことをされてもね……。あなたが自分で選んだことなのだから、できるわよね?』


 言い聞かせるように諭してきた母は、なにを思っていたのだろう。


 フランには時折、母の考えがよくわからないことがあった。わざと怖がらせるようなことを言って心の準備をさせるつもりだったのかもしれないが、まるでそうなってほしいと望んでいるかのようにも見えた。


(そんなわけ……ないわよね……)


 みるみる曇ってしまったフランの表情を見て、サリーは慌ててネグリジェを掴むと、見えないところに押し込めた。


「フラン様は、望んでここへ来られたわけではないのですよね……。申し訳ありませんでした」

「あ、いいえ、ありがとう。でも、そうね。こういうのは好みではないから……着るものはなるべくシンプルなものがいいわ」

「かしこまりました。それでは早速、午後にお召しになるドレスを選びましょうか」


 ゆっくりと疲れを取る暇もなく、準備へと入った。

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