第4話 囲われ王女、帝国での新たな生活(2)

 侍女によって別室に通されたフランは、これから住まうことになる「花離宮」についての説明を受けた。


 だが、心の中では動揺が収まらず、すぐに上の空になってしまう。

 不意打ちで頬を叩かれたかのようなショックを、いまだ引きずっていた。


 冷遇されることは最初から予想していたけれど……思うよりも平和に暮らせたらという、前向きな気持ちもあったから。


 フランが努力することで双方の国にとって豊かな未来に繋がるのなら、皇帝と呼ばれる人がどんな人でも、精一杯お仕えしよう――そんな風にも考えていたのだ。


 相手の性格が悪くても、悪鬼のような見た目だったとしても、気にしないつもりだった。けれど実際は、眩しいほどハンサムな人で……ほんの少しだけ、高揚するものを感じてしまったのに。


(それなのに、あんなに冷たい目で見られるなんて……)


 初対面で脅かされ、拒絶されて傷つかないわけがない。

 短時間のうちにひどく消耗させられ、なんだか心が擦り切れた気がする。


 気持ちが弱るのとはまた違うから、衆人環視の前で変身してしまうようなことにはならなかったが……。

 もし、あの場で獣の耳や尻尾を出してしまっていたら、どうなっていただろう。

 紛い物を差し出したと激怒しただろうか。それとも、希少となった獣人を珍しがって見世物にでもしただろうか。


 どちらにせよ、皇帝の凍るような視線を思い出すと全身が震え上がってしまう。

 脳裏に焼きついた恐怖の欠片を振り払おうとしていると、


「あの……王女様。ご体調が優れませんか?」


 編んでまとめた焦げ茶色の髪、頬にそばかすのある侍女が、心配げにこちらを覗き込んでいる。


「あっ、ごめんなさい。ちょっと混乱していて……」

「長旅でお疲れでいらっしゃいますよね。それでは早速、花離宮のお部屋にご案内いたします」

「はい、よろしくお願いします」


 ぺこりと頭を下げると、侍女は慌てたような仕草をした。


「あの、敬語はどうかご勘弁ください。私、侍女としてはまだ経験が浅く、ご迷惑をおかけするかもしれませんが、精一杯がんばりますので……」


 明るく素朴な表情に好感を覚えて、フランは問いかけた。


「あなたのお名前は、なんというのですか?」

「サリーと申します」

「サリー。私はフランといいます。よろしくお願いします」

「はい! あの、ですから私に敬語は……あ、頭をお上げください……!」


 仕える相手と近い目線で話したりしたら処罰されてしまうと訴える彼女に、自分は田舎から来た王女であること、気軽に話しかけてくれたほうが嬉しいということを伝える。

 するとサリーは恐縮しながらも、


「フラン様は、風変りな王女様でいらっしゃいますね」


 と言って、人好きのする笑顔を見せた。


(そういえば私、ここでは「先祖返り」だと、気持ち悪がられることもないのだわ……)


 この国で暮らすのは、悲惨なことばかりではないのかもしれない。

 親しみやすい侍女のおかげで、フランは数日ぶりに笑うことができたのだった。


       *


 草花一本すらも乱れなく整えられた、美しい庭園の奥深く――。

 そこには皇太后の命により、贅の限りを尽くして建てられた白亜の宮殿「花離宮」がある。


 皇帝の花嫁候補たちが集められた、艶やかな女の園。

 彼女たちは日夜ここで美しさやマナーを磨き、教養を高めながら、ヴォルカノ帝国の皇妃に選ばれる日を夢見て、たゆまぬ努力を続けている。


 候補者の出自は、国内の有力貴族の令嬢や、友好国から呼び寄せた姫君、フランのように属国から強制的に連れてこられた領主の娘など、事情はさまざま。


 皇帝自身があのとおり花嫁選びにちっとも関心を示さないので、諦めて実家に帰ってしまった者もいるというが、欠員ができれば皇太后が補充の手を回すし、我こそはと名乗り出る入宮希望者も後を絶たない。

 現在でも十数名の令嬢たちが、家名と親の期待を背負ってこちらに留まっているらしい。


「年の近い女性たちがいるなら、お友達もできるかしら……」


 などとフランが抱いた甘い考えは、斜めうしろをついてきている侍女によって即座に否定された。


「それはやめたほうがいいです。言うなれば、皆様はライバル同士。もちろん、事を荒立てないよう立ち振る舞う必要もあるかもしれませんが、高貴な方々はとにかくプライドが高いので……」

「そ、そうなの……?」

「すぐにおわかりになると思います。以前、外国から来られていたお姫様が、本国出身の力のあるご令嬢様から目をつけられ、ひどくいじめられて、この池に身を投げたという噂もあるんですよ……」


 睡蓮が浮かぶ池にかかる橋を渡りながら、サリーが声を潜めて言う。

 花離宮の中には序列があり、中でもこの帝国で実権を持つ国内貴族の娘たちが権勢を振るっているらしい。


 なんだか思ったより気を遣う環境のようだ。たしかに母の口からも、花離宮は恐ろしい場所だと聞いてはいたが、それとは根本的に意味が異なる気がする。

 目と鼻の先に見えている華麗な宮殿が、途端に禍々しいものに見えてきた。


「とにかく、あまり目立つことはしないほうが、御身のためかと存じます……。花離宮に勤めている同僚からは、いい噂は聞かないので」

「わかったわ。気をつけるようにする」


 フランにしても、目立つつもりは毛頭なかった。先ほど皇帝本人も、「おとなしくしていろ」という意味の言葉をぶつけてきたではないか。


 フランには、思うところがあった。

 皇帝の寵愛を得るのは無理でも、彼の不興を買いさえしなければ、フランの首が飛ばされることもないし、国が滅ぼされることもない。今よりも状況が悪くなることはないのではないかと。


 こちらも衣食住は保証されて、ひとまずは安泰のようだし。


(あっ、でも、このまま年を取ったらどうなるのかしら。皇帝陛下の気が変わって、どなたかお妃様をお決めになったなら? 用済みになれば、国に帰してもらえるの……?)


 国に戻れたとしても、そこに自分の居場所があるかどうかは疑問だが――。


 それでも、身寄りのないこの国でひとり寂しく年を重ねるよりは、家族の元に帰りたいとの願望はあった。

 だが、ひとまず先のことは頭の隅に追いやることにする。今から逃げ道を探していては、果たせるはずの使命も果たせない。


 そうこうしているうちに目的地に近づいて、精緻な装飾で彩られたアーチ型のポーチへとたどり着いた。

 両開きの扉の向こうが、今日からフランの居場所となるのだ。


(お父様、お母様……フランは波風を立てないよう、努力したいと思います。皇帝陛下やご令嬢様方のお邪魔にならないよう、なるべく表に立たず、壁のように空気のように……)


 おかしな決意を固めながら、甘い香りが漏れてくる扉をくぐった。

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