第3話 囲われ王女、帝国での新たな生活(1)
数日をかけて大海の波に揺られ移動する船旅は、快適とはほど遠く。
ひどい船酔いを経験し、ようやく陸地に降り立ったとき。
(……生きてたどり着けて、よかったわ……)
固い地面の安心感に、祖国を離れた悲しみとか不安とか、淡い失恋の痛みとか――表にあった上澄みみたいな感情は、一瞬だけ頭の外に吹き飛ばされたように消えていた。
それでも空恐ろしい気持ちはすぐに立ち戻ってきて落ち着かない。見知らぬ土地を警戒し、あたりを見回していると、
「シャムールの王女、フラン様でしょうか?」
「あっ! は、はい!」
首を竦めながら、慌てて声の主のほうを向く。
「ようこそ、我がヴォルカノ帝国へ。城へお連れいたします」
迎えに現れた使いの者が、馬車へと案内してくれた。乗車を促されたのは帝国の紋章である剣の模様が刻まれた、重厚な造りの馬車だ。
一緒に船に積んできた金品などの貢ぎ物は、別の荷馬車で運んでいくらしい。
(私のことも、いきなり物として扱ったりはしないのね……)
戦利品のような立場でも、一応は王女として見てくれているようだと少し安心する。だがそれも「今のところ」であって、油断するにはまだ早い……。
近年になってめきめきと勢力を拡大しているというヴォルカノ帝国。
その海の玄関口ともいえる船着き場は、小さな島国であるシャムール王国など比べ物にならないほど賑わっていた。港には軍人ばかりでなく多くの商人や客が行き交っており、思っていたほど殺伐とした雰囲気は感じられない。
乗り込んだ馬車の窓から、初めて見る大陸の景色を夢中で眺める。
――カタンコトン……カタンコトン……。
車輪の音も静かな、平らで幅広の道路。
両脇にはびっしりと並んだレンガ造りの建物。
大きな商店に、荘厳な教会、噴水のある広場には色とりどりの花が生けられて。
街道はすべて石畳で舗装されており、土の地面などは見当たらない。川ではなく人工の水路が引かれ、機能的かつ美観も損ねず、完璧に整えられている。
歩いている人々も、誰もかれもがおしゃれに見えて、美しく優雅だ。自然を活かし、素朴な生活をしていた祖国とは、なにもかもが違う……。
窓から顔を引っ込めたフランは、自分の装いを見直して、急に不安になった。
手持ちのドレス、アクセサリーの中から、いちばん新しいものを選んで身に着けて、きれいにしてきたつもりだけれど――はっきり言って、地味だ。
そもそも、両親からたくさんの贈り物をもらっていた妹のマーガレットと違って、フランは装飾品のたぐいを、あまり持っていなかった。
国を出るとき、父王から言われた言葉を思い出す。
『よいか、フラン。我が国の命運は、おまえの肩にかかっている。もしも、万が一、奇想天外な奇跡でも起こって皇帝の寵愛を得られれば、我が国の権威は高まり、再独立も不可能ではない。だが逆に、皇帝の不興を買うことがあれば――おまえの首が飛ぶだけでなく、この国は滅ぼされ、この地には草一本、残らぬものと思え』
――皇帝の寵愛だなんて。マーガレットならいざ知らず、私には無理です、お父様……。
あのとき飲み込んだ言葉が、今になってますます真に迫ってくる。
気に入られるどころか、こんな出来損ないの王女を寄こして帝国をなめているのかと逆鱗に触れてしまったらどうしよう。そうならないよう振る舞わねばならないが、自信はない。
ぷるぷると震えているうちに、馬車は目的地に到着し、外から声をかけられた。
「フランベルジュ城の城門に到着いたしました。エントランスまではまだ距離があります。ここからは別の小型馬車に乗り換えていただきます」
(フラン……ベルジュ城? 私の名前と響きが似ているわ)
少し興味が生まれて、馬車の外へと足を踏みだす。
「…………!」
タラップを降りると、目の前には雄大な大自然の代わりに無骨な城壁が、その向こうには天を突くほど高く、壮大で優美な城が堂々とそびえ立っていた。
*
「シャムール王国第一王女、フラン・ミア・シャムール。顔をお上げなさい」
そう高らかに告げたのは、皇帝の並びに着席している、皇太后陛下。
皇帝の母親であるその人は、年かさであるが凛として美しく、この場にいる女性の中で最も豪奢で、気品がある。
一方、中央の玉座にいる皇帝と思しき人物は、長い足を組み、不遜な態度で黙りこくったままだ。
――ヴォルカノ帝国第八代皇帝、ライズ・ド・ヴォルカノ。
残酷で横暴、怪物のように恐ろしい見た目をした、冷徹な独裁者。
そうした評判を聞いているフランは、謁見の間に通されてからもびくびくと下を向き、皇帝の顔をちらりとも直視できずにいた。噂のとおり、周囲に控えている臣下たちも、ピリピリとした雰囲気だ。
顔を上げるよう許しが出たからには、すぐにそうすべきなのだろう。だが緊張で強ばった体は言うことを聞かずに、固まったままだ。
臣下たちからの、早く命令に従えという鋭い視線が突き刺さった。
「フラン・ミア・シャムール?」
もう一度、皇太后から名を呼ばれた。これ以上、高貴な相手を待たせることはできない。
「シャむっ、……シャムール王国から参りました、第一王女の、フランと申します」
セリフを噛んでしまいながらも、懸命に自己紹介をする。覚悟を決め、ギ、ギ、ギ、と軋むような動きで、足元の絨毯から視線を引き剥がした。
まずは帝国の支配者たる皇帝と皇太后に挨拶をしなければと、正面の玉座を見上げる。
すると、視界に飛び込んできたのは「恐ろしく整った」美貌――神を象った彫像のごとく、強烈で輝かしい美丈夫の姿だった。
(――えっ……?)
思わず見惚れていると、皇帝の射貫くような視線をまともに受けた。
心拍数が跳ね上がり、呼吸が苦しくなる。冷静にならねば、気を失ってしまいそうだ。
彼の年頃は、おそらく二十代後半。フランより年上と見て間違いない。
少し襟足を遊ばせた艶やかな髪は、高貴さが漂うブロンド。見る者を鷲掴みにする瞳は、深い色合いの紫。神秘的でアメジストのごとく輝いている。
鼻筋はすっと通り、完璧な左右対称。顔立ちの美しさが先に立つが、たっぷりとしたマントを羽織り、威厳のある衣装を纏った身体は、軟弱ではない。胸の厚さ、肩幅の広さも男らしく、しっかりと鍛えていることがわかる。
(すごい迫力……)
まさにすべてを持ち合わせた、至高の存在。世界広しといえども、ここまで完璧な人は他にいないだろう。
ただひとつ言うなれば、彼が与える印象は決して柔らかくはなかった。皇帝の衣装の布地は黒を基調としており、軍服のようにかっちりとしていて、見る者に畏怖の情を抱かせる。玉座の脇には、不気味な大剣がすぐ手に取れる位置に立てかけられていた。
(やっぱり……怖いわ……)
なのに、目が離せない。
震えながらも注意を逸らせずにいると、皇帝の整った唇が、ふいに動いた。
「……フラン、だと?」
硬質でうっとりするような、深みのある美声だ。なにやら、じっと見つめられている気がする。
「我が城の名称、フランベルジュと響きが重なるわね。なにかのご縁かしら」
と、皇太后が相槌を打った。そうして品定めをするように、じっくりとフランの立ち姿を眺めてくる。
だが皇太后は形のよい眉をわずかにひそめて、残念そうな表情を浮かべた。
「なんだか貧……いえ、つつましいタイプの王女ね……。珍しい髪色をしているし、素材はまぁまぁかしら……」
すると皇帝は、そんなことは関係がないという風で、皇太后を横目に睨んで言った。
「母上……降伏勧告の書面に、勝手に条件をつけ加えましたね。いったい何人、穀潰しの姫たちを抱え込めば気が済むのですか」
「ライズ。あなたがいつまでも皇妃を選ばないから、選択肢を増やしてあげているのでしょう。わたくしは早く孫を抱いて安心したいのよ」
それを聞いた皇帝ライズは、あからさまに苛立ちをあらわにし、周囲の臣下たちの表情を凍らせる。
求められたのでないなら、自分はなぜここにいるんだろう……。
唖然としながらも、うっすらと状況を整理する。
フランがここに呼ばれたのは、どうやら皇帝の意志ではなく、皇太后の一存。
息子である皇帝が結婚適齢期になっても妃を決めないので、気を揉んだ皇太后が花嫁候補を集めてきて、よりどりみどりにしていると。
だが、皇帝自身は、それをよしとしてはいないらしい――。
「――おい、おまえ」
「は、はい……」
低い声が降ってきて、フランは飛び上がった。
「少しでも目障りな行動をすれば、斬り捨てる。肝に銘じておけ」
剣鞘を手に立ち上がり、高みから見下ろしてくる視線は、まさに冷徹、絶対零度。全身が凍りついたように動けなくなってしまう。
気難しい皇帝はこちらの返事を待つことなく、鋭い靴音を響かせて去っていった。
続いて皇太后が、呆れたような溜め息をついて席を立つ。臣下らを引き連れて退席していき、フランはその場にぽつんと残された。
案内役の侍女に声をかけられるまで、フランは呆然と立ち尽くすしかなかった。
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