第2話 おばちゃんと家政婦扱いする同僚

「おばさん!これ、片付けておいて」


 いきなり湯飲みをドン!と私の机の上に置いて、横柄に見下ろし命令する男性社員がいる。


 モラハラパワハラ支店長ではなく。


 彼は支店長と同じ元某メーカーの社員だったそうだ。


 一時期は海外の支店の支社長まで任されたが、何年か前の大規模リストラで早期退職を促され退職。

 

 その後色々あり、今の支店長のコネでここに事務所で勤務することになったらしい。


 支店長と同じく、銀行が大嫌いで支店長と共によく嫌がらせをしてくる。


 見た目がスマートで、言動が丁寧なので人望がありそうに見えたのだが、とんだ曲者だった。言動の端々に毒を含んでいて、それに気づいて傷付く相手の様子を見てほくそ笑むタイプ。

 

 善人を装う陰険陰湿と言えば近いかもしれない。


 最初の頃は支店長にコテンパンにやられる私を庇う言動をし、周囲も同調すると、それがいつの間に支店長に筒抜けになってネチネチと叱れるパターンが続いた。


 途端に周囲は委縮し、誰が支店長にリークしているのかと事務所中が疑心暗鬼になりギクシャクした。


 が、おばちゃんは長年の勘で、こっそりと、目を細めて萎縮する社員を見回してにやついている彼に気づいてしまった。

 

 おばちゃんは同時進行してやらないといけない家事に育児をこなしていた為、周囲には敏感だ。

 特に育児は少しでも目を離すと突発的な命に関わる事故が起こりやすいので、体中に第三の目のようなセンサー付き状態になり、子供に何かあればすぐに駆け付けられるような体になっている。

 

 なので、仕事をしながらも体のどこかでは周囲をサーチしているような感じになるので、こういう反応も拾いやすい。


 嫌な物を見てしまった。

 彼は支店長と同じ穴のムジナなのね。


 途端に警戒警報が体に鳴り響く。

 彼は危険。

 君子危うきに近寄らずで、距離を保っていた方がいいと私は悟った。


 その彼が何かをきっかけに、突然猫を被るのをやめ、露骨に私に対して攻撃をしてくるようになった。

 支店長の指示か入れ知恵か?どのみちろくな話ではないだろう。


 私は茶渋だらけの古い湯呑みを見て嘆息する。


「◯さん。片付ける必要はありませんよ。うちの事務所は自分の物は自分でするルールです。私達女性社員には、昭和時代みたいな、お茶くみや掃除の義務はありません。一回すると増長します」


 △さんは目を三画にして、怒りあらわに湯呑みをつかむと、彼の机に戻した。


「何かあったんですか?」


 あまり怒らない△さんの怒りように首を傾げて聞くと、彼女は大きく頷いた。


「今朝、出社していきなり、私の前でワイシャツを脱いで、ボタンが取れかかってるから付け直しておいてって!言ったんです!」


「え?」


 流石のおばちゃんにも言っている事がわからなかった。


 同僚で、しかも女性に、さらに他人の奥様である方の目の前で、朝っぱらからシャツをいきなり脱いで渡す?!

 あり得ない!!流石におばちゃんでも気持ち悪い!!


 しかも今は汗ばむ時期で、Kさんは小太り気味なので汗かきである…。

 しかも毎晩飲みに行っている事を自慢している方なので、大変体臭が…臭い。

 そのシャツを家族でもない△さんに渡す??


「すみません、意味不明なんですけど。どういうことですか??」


「私もびっくりしましたよ!あれはセクハラです!あり得ない!!」


 それを見ていたらしい営業のTさん(女性)が物凄い勢いで憤慨し同調する。他の男子社員も苦笑した。


「男性の目から見てもぎょっとしましたよ。乱心したかと思いました」

「うんうん。襲うんじゃないかと、押さえつけようかとも思いましたよね」


 笑う男性社員達に、「笑いごとではないでしょう!」と△さんは目を吊り上げる。とばっちりを受けた男性社員達は、しゅんと身を小さくした。


「なんでも通勤途中で気づいて、自分は潔癖症だから外れかかってるのは気持ち悪いので付け直せと!

 自分は新しいワイシャツを買ってきたのでそれを着るから、帰りまでにしろって!信じられません!」


「まあ…。それで?付け直してあげたのですか?」


「まさか!つっ返しました!奥様にでもしていただいたら如何ですか!?って!」


 強い。私でしたら黙ってしてしまうかもしれません。そこが世代の差なんでしょうねえ。素直にちゃんと拒否できる彼女を尊敬します。


「そうしたら、なんて言ってきたと思います!?」

「いいから黙ってしろとか?」


「いいえ!こんな事は妻には頼めない。だから君にお願いしているんじゃないか!って!!意味不明です!私はKさんのお宅の家政婦でも便利屋でもありません!」


 私は額に手を当てて嘆息した。


 恐らくKさんは恐妻家なのでしょう。

 奥様が何かのお仕事をされているとお聞きしたことがあるので、恐らく退職後は立場が逆転し、奥様に頭が上がらない状態なのかもしれません。


 そして恐らく、△さんの方が御しやすいと迂闊に判断しての言動でしょうね。昔は何故か社の女の子には何をしてもいいと、勘違いしている方が結構いましたから。その名残でしょう。そういう時代でした。


「Kさんがそんな人とは思わなかったわ!」


 △さんはぷりぷり怒りながらパソコンに向かい直した。そしてふと不思議そうな顔を私に向けて聞いてきた。

 

「〇さん、Kさんは、なんであんな気持ち悪い事したのかわかります?昭和時代はそういうことが当たり前だったんですか?」


 最近、「昭和時代は〇〇だったんですか?」と言うキーワードで聞かれることが多い。


 昭和世代のおじさん達の言動は、平成、令和世代の彼達からすると意味不明で謎ワードが多いらしいが、聞いて逆切れされても困るのでずっとためていたらしい。

  

 そこへ「昭和おばさん」が入ってきて、さらに聞きやすいらしく、こうして質問攻めになる事がある。

 

 私は苦笑して言う。

「昭和時代でもそんなことする人はいませんでしたよ」


 品性がありません。

 人間性の問題でしょう。

 ですがそんな事はここでは言えません。


 Kさんは地獄耳ですし、誰がKさんにリークするかわかりませんもの。


「ですよね!では、やはり嫌がらせ!?」


「うーん…。恐らく、Kさんはこちらに来る前は、海外支社の支社長をされていたとお聞きしていますから…秘書と勘違いをされているのではないでしょうか?」


「秘書と勘違いならいいじゃないですか」


 営業のMさんが地雷を踏んでしまいます。ぎっ!と△さんに睨まれ慌てて謝罪します。やれやれ。


「秘書って!汗だくシャツのボタンつけもするんですか?!そんな事するなら、私は秘書なんかなりたくありません!」


「秘書はそこまではしないと思いますよ。替えを買いに走るならわかりますけどね。もしくは用意しておくとか。100歩譲ってクリーニング出すはあるでしょうが…」


 目の前で脱ぎだすのはNGです。


「でも、そうですねえ…昔はそういう家政婦替わり的な事もしていた会社もあるかと思います。今でもあると思いますよ」


「ええええ!?」


「地域性とか社風とか伝統とか色々あるでしょう。

 私の友人も昭和時代、大手商社で秘書をしていましたが、上司が学生時代に食べた秋葉原だかどこかの有名な老舗カレーをランチに食べたいというので、品川から買いに行って褒められたと自慢しておりましたから。

 少し違いましが…そういう事の名残りなのでしょうねえ」


「はあ?カレーを買いに行かせた?」


「ええ。ビジネス的仕事をしていた話はあまり聞きませんでしたが、そういう手配等を沢山して褒められて、クリスマスの時に感謝の気持ちだと、テニスブレスレットをいただいたと見せてもらったことがあります」

 

「テニス・ブレスレットってなんですか?ミサンガみたいなものですか?」


「ふふふ。バブルの時代に流行ったブレスレットなの。ブレスレット一周全部にびっちりダイヤが連なっていてね。確か有名なテニス選手が着けていたので、それでテニスブレスレットと言われたんじゃないかしら?」

 一斉にキーで打ち込んで調べる音がする。そして直ぐに「へええ」とか「見た事ある!」とか「たっかーー!!」とか言う声があちこちから聞こえた。


「それ凄い値段しますよね!?それをポン!と秘書にあげれた時代だったのですか!?大手商社だからですか?バブルだからですか!?」


「そのどちらでもあり、時代でもあったのでしょうねえ。テニスブレスレットは凄い方ですけど、よくアクセサリーをいただいたという話は、当時はよく聞きました」


「〇さんもですか?」


「銀行ではそういうのはご法度です」


「残念ですね」


 面倒くさい事になるのが目に見えているので、そんなものはいりませんよ。


「バブル時代、羨ましいです。カレーを買いに行くのは嫌ですけど」


「でもその後のバブル崩壊後は悲惨じゃないか」


 そうですよと、私は営業のMさんの言葉に心の中で薄く笑い頷いた。

 夫はそれで「王道、T大卒、右肩上がり出世での大手支店支店長アガリコース」を完全抹消されたのだから。


 そこへ、てっきりどこかに長時間サボりに出たと思っていたKさんが戻ってきた。


「おー?なんだなんだ?カレーの話かあ?」


 △さんは目を吊り上げ厭味ったらしく言う。


「昭和時代の勘違いおじさんは、昔は秘書にカレーを買いにいかせていたという話をしていたんです。あり得ませんよね!」


「へ~いいじゃないかカレーかあ…。私も大学時代、四谷の老舗カレー店のカレーを毎週食べに行っていたんだよ、あそこのカレーは欧風カレーでねえ、欧風カレーわかる?今の子はわからないでしょう?そういうセンス磨かないから。

 お!丁度いいや、シャツにボタンもつけれない△さんはカレーでも買いに行ったらどうだ?お使いくらいはできるだろう?」

 

 空気を読まないKさんは見事に地雷を踏んで、△さんどころか、他の社員達からも凄まじい勢いで反撃されてたじたじとなり、慌てて「用事が…」と言いのこして、カバンを掴んで退社した。


 やれやれ。

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