第5話

突如現れたモンスターに地上を譲り渡した人類だったが、20年程も人の手が入らなかった事による変化は様々な所で見る事が出来る。手始めとして植物は爆発的に増えて建築物を飲み込み、街は野生動物と脱出したペットで溢れかえった。

特に都心では人間の居なくなった影響が大きく、地下鉄等の排水機構を電力で賄っていた場所は勿論。それ以外の場所でも側溝に植物やゴミが詰まってしまった事に加えて地面が水を吸収しないコンクリートであった為にヴェネツィアの如く水の都と化した地域もある。

都会とかけ離れた鳥取は水にこそ沈まなかったものの、それまで政府が必死に行って来た緑地化作業が中断された事により5平方kmの砂丘は1年足らずで県を丸ごと飲み込む砂漠と化した。勢いを付けた鳥取は、かつて犬猿の仲であった島根を一夜にして砂で飲み込み、元から存在するかも怪しい山口と岡山への浸食も既に終わりを迎えようとしている。

有名球団のある広島と野球の聖地甲子園が存在する兵庫は眩し過ぎたのか、砂漠化こそ困難を極めているものの影響下から逃げる事は出来ず、少しずつではあるが両県もサバンナ気候へと歪められつつあるらしい。



志遠と倭文の二人は、風車塔へ近づくに連れて微かな疑問を抱く様になっていた。言葉にする事は難しいのだが、どうやら検問所の扉はぴたりと閉まっており、蟻達はその無機質な鉄の塊を前にして及び腰の姿​​勢で立ち尽くしているらしい。襲うでもない、包囲するでもない、ただ茫然と扉を見上げるのだ。

奴等もリザードに跨ってゆっくりと近付いてくる二人の気配には気が付いているらしく時折後ろを向いては触覚を動かしているものの、警戒や恐れというよりは、この困った状況をどうにかして欲しいと言った風の印象を受けてしまう。彼らにそういった事を思考出来る程の脳味噌があるかは別として。「どないする?こいつら近づいても動かへんやん」倭文はそう言って蟻の頭に向けて蹴りを放ったが、足は届かず宙を裂くに留まった。「何に困っているのだね?無抵抗なモンスターなんて殺して仕舞えばよろしい。なんなら僕が華麗なアサシンキルのお手本を見せてあげようか?」「倫理観終わってるやん」

どうやら彼女の魂には高尚な武士道とやらが宿っているらしい。情が厚いのも道徳があるのも結構だが、志遠に言わせればそれらは商人にとって不要な物。純度を下げる夾雑物である。という訳で混じり気の無い志遠は特に何も考えず、後方で怠けていた蟻ん子の頭を蹴っ飛ばした。

しかし​そう​見えたのも一瞬。蟻は刹那の間に頭を捻り志遠の蹴りを避けると、交差の際に大きな顎で彼の足に噛みついた。「し、志遠んんん!!」倭文は笑みを隠す事もなく友人の名を叫んだ。蟻は役割によって同じ種類の中でも体の構造が変わってくる。奴ら働き蟻の役目は獲物を捉えて巣に持ち帰る事、そして巣を襲わんとする敵を追い払う事だ。どちらにせよ志遠の足にはパラライズアントの代名詞とも呼べる、相手の体を麻痺させる神経毒がたっぷりと注入されているのだろう。

暫くして気が付いたデザートリザードにより引き剥がされるまで、間抜けは必死に足を動かしてくっ付いた蟻を振り落とそうとしていたが、一度噛みついた蟻の咬合力は目を見張るものがあった。奴らの持つ毒が直接死に至らせる様な代物ではなく、対象への嫌がらせ程度であったのは幸いである。

とはいえ毒は毒。志遠はリザードの背で傷口から血液を吸い出しながら今後の計画について話し始めた。「僕は最初から調査なんて反対だったんだ。ここから先は倭文1人でやって欲しいね」「拗ねんでや。それにこっちから手を出さんかったら攻撃​されへん事も分かったんやし、速い所検問所に入ってしまうで」

そう言って2人が前哨​基地​を見やると、唐突に開いた風車塔の中へ近くの蟻が吸い込まれた。「なんやあれ、新手の蟻地獄か?」「一瞬だけ人っぽい手が見えた気がするけど?」「じゃああれが髭の言っていた知り合いなんやろ」倭文は短く唸りを上げて結論づけると、バイキング状態であったリザードの綱を引いた。

近くに寄ると、やはり検問所の壁には大量の蟻が取り憑いている。時間が経った事で志遠の呂律が回らなくなり2人の間に次第と会話がなくなっていく間にも、扉は開いたり閉まったりを手早く繰り返して取り囲む蟻を殲滅している様だ。

倭文は筋肉が痙攣し始めた志遠をリザードに括り付け1人で扉の前へ立つと、おもむろにわざとらしい咳払いを一つ。「大丈夫?」中に居るであろう人物にそう問うた。

何拍か空いた後、僅かに掠れた声が返事を返す。「あっ……も、もしかして救命の方ですか!?パラライズアントに包囲されて困っているんです。助けてください!!」奥にいた男は慎重に扉を開けると、顔だけを出して辺りを見渡した。勿論アリに囲まれている状態に変わりはない。

だが何よりも彼が驚いたのは、目の前にいた人物が幼さの残る少女だったという事だ。この様な場で少女が一人とはあまりにも危険である。「ちょっと、なんて所にいるんですか!」男は隙間から手を伸ばして、先程までの蟻と同様に少女を検問所の中へと引きづり込んだ。傍から行く末を見守っていた志遠からしてみれば倭文も同様にアサシンキルをされたようにも見えたが、彼は現在体を痺れさせているので何をすることもできなかった。

「……痛っ」倭文が腕を摩りながら検問所の中を見渡すと、彼が昨日から蟻を倒し続けていたであろう事が分かった。電気の供給が止まったのか薄暗い部屋の中には頭と体が分かたれた蟻の死骸が山積みになっており、傷口から漏れ出した黄色い汁は地面全体を濡している。熱によって腐敗が進んだ肉の周囲にはハエが集り、空間全体に腐臭が満ち満ちていた。

しかし何よりも彼女を驚かしたのは、風車塔の中にいた人物が20才にも届かぬ青年であったことだ。しかも、肌は白く線も細い絵に描いたような中性的美青年である。倭文は思わず瓦礫の天を仰ぎ掌で額を叩いた。どうやら彼女はあの暑苦しい髭の知り合いだという情報から、同様に筋肉の化身が出てくると思っていたらしい。

「それで、助けがいるん?蟻ならウチ等の乗ってきたサンドリザードに驚いて固まっとるけど」倭文はほんの少しだけ赤くなった腕を男に見せながらそう言った。先程引っ張られた時に軽く擦りむいたのかもしれないが、既に色が戻りつつある。彼女的には傷を見せて話を有利に進めたいという思惑があったのだが、肝心の傷が余りにも些細過ぎたせいで青年には少女が突然妙なポーズを取った様にしか見えなかった。

「あぁ、いえ。​助けて欲しいのは街の中に居る生存者の方です」彼も負けじと倭文に前腕を見せつけながらそう返す。

「​……もう死んどるやろ」

「絶対に生きています!町長の屋敷には防護室がありますから」

「よう分からんねんけど、街の人間は防護室に入らなあかん様な状況やねんな?」   倭文がそういうと、扉の向こうの男は首がもげそうな程に頷いた。

「じゃあウチらに助けて欲しい、というより手伝って欲しいのは生存者の救出っていう訳や」

「助けてくださるのですか!?」

「救出の手伝い。つまりは依頼やわな」倭文が人差し指と親指を擦り合わせる様なジェスチャーを見せると、青年は少しのあいだ思巡らせ困り笑顔で少女に問う。「報酬は、お幾らくらい払えば良いですかね」少女と存在だけは仄めかされている連れの正体や行動原理、戦闘的な実力など他にも聞きたかった事は山とあるだろう。しかし青年は自分が選べる様な立場にない事を理解していた為、敢えて単刀直入にそう聞いた。

一見しては交渉を放棄した完全降伏。全ての条件を飲んでやるといった白旗宣言にも見て取れるが、寧ろ状況としてはその真逆。失礼を承知で相手の具合を探るべく懐へ突っ込むノーガード戦法とでも呼ぶべき一手であった。倭文はいつの間にか落とされた戦いの火蓋が自身の足元へ引火してから、ようやく交渉の席に座らされている事に気がついたようだ。

二、三歩遅れた滑り出しだが、代わりに理解した点もある。それは相手が凄まじい勢いで距離を詰めてくるインファイト型の交渉を行うという事。だがこれに関しては大した問題ではない。倭文は同じ土俵で暑くならず、相手のジャブが当たらない一定の距離を保って様子を見ていれば良いのだ。隙やボロといった好奇を見せたならば一転攻勢。鋭いカウンターをお見舞いする為にも、兎角話題を逸らす事が要求されている。

「そう慌てんなや。まずは検問官さん、アンタの事を教えてくれてもええんと違う?」その瞬間、青年の眉がぴくりと動いた。自分から金を要求するジェスチャーをしておきながら慌てるなとは随分酷い物言いだが、彼もこの場における倭文の立ち回り方に凡その検討がついた筈だ。

「これは失礼しました。ご存じの通り私は第三隔離街の検問官、京介と言います」

「その若さでその恰好。しかも戦闘まで強いなんて、とんでもない秀才なんやなぁ」倭文は京介の後ろに積まれた蟻の山を指さしながらそう言った。だがこれは単なるお世辞などではなく「それ程までの実力を持つ人間が助けを求めている」という状況を相手にも再認識してもらう為の言葉であった。

「じゃあ次はこっちの番やな、ウチは昨日の夕方に突然音信不通になった第三の調査にやって来た第七の倭文や。外で立たせてんのは志遠っていう部下やねんけど、覚える必要はあらへん」本来彼女はここで髭の知り合いだと開示するつもりであったのだが、京介の依頼を受ける事になるならばその情報は話さない方が恩を売れると思い意図的に関係を話さなかかった。

「わざわざ第七からですか。もしよろしければ私の知る範囲で昨夜の事をお話ししましょうか?」彼女の思惑が筒抜ける事は無いが、それでも京介による売り込みは止まらなかった。

だが彼女とて、数時間何も考えずに砂漠を移動していた訳ではない。憶測だがある程度の推論は立てていたのだ。「それには及ばへん。風車塔には生存者が居るみたいやから寄ったっていうだけで、調査事態はもう既に終わったも同然やねん」だからこの言葉には誇張こそ含まれてはいるものの嘘偽りは皆無である。嘘をつくだけなら簡単で誰にでもできるが、後先の事を考えればそれは愚策中の愚策。己の無知と無能と思慮の浅さをひけらかすに違わぬ行いなのだ。

「パラライズアントの侵入経路はご存じですか?」

「地下洞窟を辿って横穴から入ったんやろ?奴等は元来地中に巣穴を造る蟻さんや。金庫の扉はどうにもならんやろうけど、その隣にある岩壁なら時間をかければ掘れん事もないわな」倭文は余裕を持ってそう答えた。というか、検問所が無事な時点で侵入経路は洞窟しかないのだが。

「街の状況は?」

「自分が言うとったやん。住民は大分が死んどって、シェルターに少し残っとる位やろ」京介は先程の発言を悔やんだ。助けが来たからといって切り札となる情報をぺらぺらと開示するべきでは無かったのだ。

憲法も法律も無い現代で人の良心を期待して行動するとは何とも愚かである。あの手この手で出し抜こうとする人間を相手取るならば独占している情報は命と同義なのだから。

「奴等がよりにもよって第三隔離街を襲った目的はどうしてだと考えていますか?」一貫性の原理という心理学的な説がある。人間が無意識のうちに自己矛盾を嫌い、態度や行動を統一しようとする働きの事だ。京介はこの原理を利用して倭文との間に質問者と答案者の関係を作り出し、自分の知らない事柄でも一方的かつエゴイスティックな身侭に相手へ尋問する事を可能とした。

「十中八九食料やろ。サンドワームって見た事ある?普段は口内から出す腐匂で獲物を誘って食うとるけど、それでもあの巨体を維持するには砂漠中の生き物を食べまくらなあかん。近くのモンスターを食べきったら別の場所へ。食べきったら別の場所へ。そんな事を何十年も繰り返していた結果やろなぁ、鳥取砂漠からは随分野犬とゴキブリが減った。おかげで商売がやり易くてたまらんわ」

京介は普段の実体験から培われた経験だけでこの状況を意図的に作り出していた。大したコミュニケーション能力ではあるが、用語や定義の知識は持ち合わせていないので相手に拒否されてしまえばその後を詰める事は出来ない。対して倭文は商人として普段からビジネスやマーケティング座学の勉強を行っている。

なまじ知識がある為に、戦略を駆使して交渉を進める相手の事を必要以上に過大評価するきらいがあった。よって京介との交渉でも不自然に話を中断する事で動揺を察知されることを嫌い、罠だとは確信しつつも敢えて踏み抜く様な真似をしたのである。

「では蟻の弱点はどうですか?私は一日中倒し続けていましたから分かりますよ?」

「それは分からん。でもウチ等はデザートリザードを飼っとるから蟻なんて……」

「それはおかしいですね」突如、ガラリと雰囲気の変わった京介は咎めるような視線で少女を睨む。「デザートリザードを飼っているのならば、端から砂漠を移動するうえで野犬とローチに困る事は無いのではありませんか?」倭文も先程の発言に自己矛盾が生じていた事には気がついたが、それは京介の指摘後。全ては後の祭りであった。

「言葉の綾やんか。そいつ等が減ると尚の事っていう意味で」

「商売がやり易くなる。先程はそう言いましたね。実は私、最初から貴女の事を少々おかしな人物だと思っていたんです。まず最初に疑問を覚えたのは扉の前に立っていた時でした。外に立っているのが一人だという事も不思議です。普通、モンスターに襲われた街の調査へ二人だけを寄越しますかね?次は救助を依頼だと言ったこと。本職が調査の方なら、いえ、仮に戦闘を生業としていたとしてもこの街へ入る事は拒否するでしょう。しかしあなたは私の話を聞いても驚かず、直ぐに建設的な意見を出し始めました。街の調査へ来たというのに最後まで前哨基地へ寄るつもりは無かったらしいですね。人が居るかもしれないし、重要な手がかりがあるかもしれないのに。だと言うのにも拘らず、私を助ける事に関しては前向きだと言うのもおかしな話です」

少女は腕を組んで短く零す。なるほど確かに自分が調査員だという前提ならば一貫して一貫性がない。

「第三の検問官だという私の自己紹介に対して、貴女は第七から調査をしに来たと返しました。当時は違和感を感じませんでしたが、貴女は最初から自分の正体について触れていません。「調査をしに来た」という貴女の正体は一体……いえ、答えて頂かなくて結構です。御手を煩わせるには及びませんから」

「私が疑問に思った点を整理しましょう。一つ、あなた方はたった二人でやって来た。二つ、普段から依頼を受けている。三つ、戦闘に慣れている。四つ、救助や街の手がかりに関しては興味がない。五つ、思わず出してしまったジェスチャーからお金にも困っている。これらを多角総合的に鑑みた貴女の目的は、ずばり」

出るわ出るわ証拠の数々。捲し立てて最後の審判を叩きつけようとする男の姿に倭文は生唾飲み込んだ。

「モンスター素材の、生産業者の方ですよね!!」間違ってはいない。間違ってはいないが、なんか違う想像をしていた。「大した想像力だよ検問官さん。小説家にでもなれるんじゃないか?……では問おう。シンプルに商人という線は考えなかったのか?」

「え?いやいや、商人はモンスターの数が減ったら同業者が増えるので仕事がやり易くなるとは言いませんよ?」

「それは生産業者も一緒やろ」

「個体数が減れば群れの規模​も​小さくなりますから、狩りは簡単になりますよね」

「素晴らしいね。流石の洞察力だ。感服したよ」

「やはりそうでしたか。モンスターの素材に関しては最近トレンドになっていますけど、フットワークの軽さは羨ましい限りです。よければ蟻の素材をお譲りしましょうか?」

倭文は昨日、志遠から榊原によって素材を持って来いと脅されている事を聞いていた。だが「えぇ!!ほんま!?」と飛びつくのは三流未満。彼女は来歴優等かつ由緒正しきド三流の商人なので、少しだけ目を輝かせただけである。

「それも含めて本題、依頼の詳細と報酬について話し合いましょうか。では始めに依頼の詳細についてからですね。ご存じの通り街の中はパラライズアントに占拠されており、生存はほどんど見込めない状況です。倭文さんに依頼したいのは、私と一緒に町長の屋敷へ赴きシェルター内の十人を救出するお手伝いです。目的は救助ですので戦闘に関しては最低限で結構です」

「ハッチの規模と貯蓄の食料は?」

「20人くらいなら頑張れば入れると思う。食料は節約しても三日が限度だろうね」「街への侵入方法は?」

「二択です。ハッチを開けるか、横穴から侵入するか。籠の昇降には風車を動かさなければなりませんので表の蟻を殲滅する必要があります。後者ならその必要はありませんが、洞窟内をスニーキングで移動する事は難しい上に、蟻を殺してしまえばコロニー全体の警戒度を上げてしまいます。帰宅時には同じルートを使用しなければならないのでリスクが高いですね」

「でもハッチが閉じとるっていう事は籠のロープは切れとるんやろ?前者の場合、行きはパラシュートでとびおりたらええとして、帰りはどないするんや?」

「行きにハッチを使用した場合、帰りはノーマークの洞窟を利用できます」

「この辺りは一度街に戻って綿密な計画を立てる必要がありますね。では次に、報酬に関してですが……この場と外に居る蟻の素材全てと現金30万円で如何でしょうか?」

さて、この検問官は報酬をワザと低く見積もった。この先にある落としどころを考えれば彼の3ヶ月分の給料は初期提案としては弱すぎるのである。だが、この吹っ掛けにより、倭文は反論せざるを得なくなった。

「この腐りかけの蟻と30万円で命を投げうてと?ウチ等の事をヒーローやとでも思うとるん?こっちは慈善事業や無くてビジネスしに来とんねん。成功報酬80に加えて準備金20くらいは用意して貰わんとあかんわ」

「別に命を掛けろとは言っていません。一時的な撤退も認めるますし、街の立地が頭に入った私が先導します。勿論戦闘の際には頼りにして頂いて構いません。しかし事前にお金が必要だという言には一理あるのも確かですね。成功報酬は据え置きで準備金に一人五万、合計十万までなら出しても良いと思っています」

「命をなんや思うとんねん。もっと高くせい」

「私の資金力じゃこれ以上は」

「無理ならええよ。こっから何十時間も掛けて別の街へ行って助けを求めたらええ。街に戻ってハッチを開けた時に何人生きとるかは分からんけどな。どうせハッチには子供が沢山詰められとるんやろ?餓死する子は可哀想になぁ」

「……分かりました。成功報酬40、前金は一人頭につき10でどうでしょう」

第七への情報提供と蟻の売却金額によっては彼女等に課せられた借金を現在のの半分くらい出来る可能性がある。ハッキリ言って命を掛ける程の価値までは無いが、逃走が可能であることを考えればかなりの金額である。なんなら、ある程度返済の目途が立てば、残りは給料の安い安全な仕事でも数年で借金を返しきる事だって出来るかもしれない。町のヒーロー検問官様様である。

「あんた検問官やんな。そもそもどうしてそうまでして住民の避難に金を出せるんや。業務外任務やろ。自腹やで?」

「実は私、鳥取県知事の息子でして、コネ入社なので県知事を批判されてしまうと仕事がなくなるのですよ」

「ほーん?お父さん思いやん。これはお父さん側もさぞかし息子思いなんやろうなぁ」

「とにかく、契約は成立ですよね」

「おおきに」

知事への批判軽減と息子の救助で恩を売って、父親からも搾り取ってやると邪悪な笑顔を浮かべてから彼女は気づいてしまった。「……まてまて、おかしいやん。だとしたら何で十数万円単位の交渉なんてしとったんや、ウチが損ねたらどないするつもり……」

そこまで言って彼女にもようやく理解が出来たらしい。そう、あれらは全て虚構、本筋から意識をそらすという目的以外に何の意味も持たない不毛なやり取りだったのだ。

安くで案件を受けさせたい京介と、高くで案件を取りたい倭文という構図に見えるが、京介の資金源は県知事の父親なので、仕事さえ受けさせれば勝ちである。

つまり、倭文の勝利条件は報酬を釣り上げる事ではなく、案件の難易度を正確に測り、一早くこの件から手を手を引く事だったのだ。

そう、この一件における両者の目指すべき点は最初から噛み合わなかったのである。受けるか受けないかではなく、どれ程まで金を釣り上げられるかという別の目的にすり替えられた時点で倭文の敗北は決定していたと言えよう。


「それではこれからよろしくお願いしますね?」契約内容を報告書の裏紙に纏めた京介の爽やかな笑みで、倭文は静かに肝を冷やした。

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