第2話

今日も今日とて人々の生活を支える炭鉱夫の一日は、宿舎のホールで一列に並べられて人格を否定される事から始まる。

「貴様らはウジ虫だ。糞に集る事でしか生きられず、人々から蔑まれる醜い下等生物だ」ぎょろ目の現場監督、鎌瀬犬太はそう言って唾を飛ばしながらホール内を闊歩していた。

 全国の女性が羨む細長い足に際限まで見開かれた力強い瞳。緩やかなフェイスラインは何段にも折り重なり、あどけなさを残した腹周りはさながら浮き輪の如く。チャーミングな見た目とは裏腹に横暴な態度が特徴的だと評判であり、炭鉱夫には陰でウシガエルと呼ばれている。

「どうだ?罪を犯して労働奴隷となったお前等にはお似合いの名前だろう?」「「ありがとうございます!!」」鉱夫達は上司の叱咤激励を受けたら感謝をするというルールに従って声を張り上げた。自由意志を持って炭鉱夫となった人間にとっては完全にとばっちりであるが、実際に凶悪な犯罪者も混じっているので意思の統一は重要である。


 朝からみっちりと絞られた後は待ちに待った食事の時間だ。第七の鉱夫には無償で料理が提供される事になっており、志遠や倭文の様に借金を背負った人間が食事を目当てに炭鉱へ出稼ぎにやって来ることも珍しくは無い。その代わり鉱夫達は一日に二回だけ食堂へ集まり一斉に食べ物を掻き込む決まりになっていた。因みに本日のメニューは謎の合成肉と草の炒め物、隣には鳩のエサと塩水が置かれている。普段よりも少しだけ豪勢な料理だが、ここには内容物を気にする鉱夫など居なかった。

 食事が開始されてから丁度3分が経った時、食堂内にヒキガエルの鳴き声が響き渡る。「止め。全員食器を返して仕事場へ向かうんだ」炭鉱での仕事が長い者はその声に従って移動を開始したが、今日赴任して来たばかりの新入りは半分も手を付けていない食事を前に狼狽した様子である。現場監督はゆっくりと新入りの元へ歩いて行き、その頭を掴んでテーブルに叩き付けた。

「止めろと言ったんだ聞こえなかったか?それとも聞こえた上で無視したのか?どちらでも構わんが次は油脂行きだ」油脂行きというのは地下の世界で手に入りづらい油を人間の体から抽出する為の施設だ。脂肪吸引と言えば聞こえは良いが麻酔は高価な為に使用してもらえず、吸引するパイプも軽くふき取った後は使い回すので破傷風を始めとした感染症には罹り放題である。

 しかし新入りはめげなかった。顔面の半分を朝食に密着させられつつも、のしかかる男を鋭く睨む。「ユシだぁ?朝から黙って聞いてりゃ好き勝手言いやがって卵野郎が。いいか?俺は……」彼がそう言いながら体を起こそうとテーブルに手をついた瞬間、鎌瀬の部下等が新入りを取り囲んだ。

「外での肩書きが何だったかは知らんが、ここでのお前は唯の蛆虫だ。汚れた顔がよく似合っているぞ?」鎌瀬は部下連中に連れて行けとだけ言い残し現場へと向かっていった。こういった惨劇を間近で見せられた他の新人等は恐らくこう思った事だろう。上司に逆らってはいけない。そして、食事は早く済ませるに限る。


 後日、件の新人は仕事中の事故死として処理された。勿論死体が遺族に返される事は無いだろう。



 昨日砂漠で遭難をしていた志遠と倭文は旧鳥取の地下に築かれた『隔離街』と呼ばれる地下都市の内、第七の名を冠した街の近くへと帰って来ていた。目印となるのは砂漠の中心にポツンと佇むレンガ造りの風車塔。左程大きく無いが高さだけは有り、天井には傘の様な屋根が乗っかっている。


「おい止まれ!!許可証を出して街へやって来た理由を言うんだ」見張り台も兼ねた建物から聞えて来た声に、二人は思わず立ち止まって頭上を見上げる。

「取引の品を買い付けに隣街へ行って来た帰りです。道中でサンドワームの特異個体に襲われてしまい商品と通行許可証は失ってしまいました」志遠がそう言うと、見張りの男は驚きつつも何か納得したように頷いた。「あの轟音はサンドワームの物だったか。鱗を見るに特異個体という事も嘘ではないらしいな。簡単な身体検査が済み次第通行を許可しよう」


 そうして二三言交わすと、塔の入り口が開いて中からつなぎに身を包んだ男女が現れた。熊の様な体躯をした髭面の男性は倭文が女性の検問官に連れられて控えの部屋に入ったことを確認すると、志遠へと詰め寄り身体検査を始める。


「それで、遭遇したというサンドワームはどんな様子だった?」ローブ越しでも伝わる大きな分厚い手で体をまさぐられながらも、志遠は慣れた様子で意にも返さず数時間前の光景を思い出した。「頭部の直径は30m程、詳しくは分かりませんが全長は200mを超えていたと思います。腹を空かしていたのか地平の彼方より匂いを嗅ぎつけてやって来ましたね」検問の男は低い声で唸りを上げると、立ち上がっての肩に手を置いた。「よく生き延びれたものだな、貴重な情報提供に感謝する。ささやかではあるが代金を持って来よう」

 髭面の男は奥の扉に志遠を誘導してから金を取りに隣の部屋へと消えて行った。検問所は街を守る防衛施設であるため常に周囲の警戒をしていなければならず、モンスターの目撃や出現情報はお金を出して買い取ることがあった。


「随分遅かったやんか。まさか、ケツの中まで調べられたんやないやろな?」倭文は周囲に人が居ないのを良い事にそう言って揶揄い、手振りによって己の友人を呼び寄せる。「扉は開いていたんだから知っているだろう?情報提供をしていただけだよ」志遠が癪に思いながらも扉へ足をかけると、途端に周囲がひんやりとした空気に変化した。

 目前にそびえるは無骨な鉄の篭。天井から太いワイヤーで吊るされる様子を見るに垂直式の業務用昇降機で間違いないだろう。上部では巨大な歯車が回転し、高温に加熱された真っ白い蒸気が噴出している。それぞれが意思を持ったかの如く正確に仕事を全うする様子は時計の中を開いて覗き込んでいる様だ。


「待たせてしまって悪いな、これが約束の代金だ。準備は出来ているから昇降機に乗っても良いぞ」誘導されるがままに鉄籠へ乗り込んだ途端、傍のパイプが交差して気圧を示すゲージの針が振り、複雑な歯車系のポンプが作動してエネルギーが送られる。「おっと、言い忘れていた」作業員の声に合わせて地面が大きく揺れると、昇降機は雑な動きで乱暴に下降し始めた。「こいつ、今日はご機嫌斜めみたいなんだ!!」「アホ!!髭!!先に言っとかんかい!!!」しかし倭文の怒鳴り声は迫り上がった地面に阻まれてしまい、見下げる作務衣の男には届かなかった。


「そんで、髭からは幾ら貰うたん?」地下へ降下、というか落下する最中。倭文はそう言って口火を切った。「二千円。これじゃ餓鬼の小遣いだよね」


 暫くは錆びた鉄のフレームで出来た壁しか見えなかったが地中深くへ移動するに従って鉄の壁は岩石へと移り変わり、20年前にモンスターと時を同じくして発見された「光苔」という生き物が現れ始めた。因みに名前には苔と付いているが生物学的には蠍や蜘蛛の属する鋏角亜門に位置しており、疑根という植物の根に似た機関から分泌される酸で岩石からカルシウムやリン、窒素といった栄養素を取り出して吸収している。発光の原理に関しては原生生物と似たり寄ったりで二つの化合物から生成されるルシフィリンという物質で酵素反応を起こし、何の面白みも無い筈の通路を黄緑色の淡い光によって幻想的な光景に変化させている。


 さて、そんな風景を眺める事にも飽きてきた頃。物静かな通路は突如として暖かな光に包まれた地下都市へと姿を変えた。昇降機から見える町並みは中世の城下町の様で、噴水広場を中心として波状に大きく広がっている。

 現在一万名近くの住民を収用する商業都市、第七隔離街の特徴は東西南北の地区が全て違った役割を持たされている事であり、北から時計回りに工業地区、商業地区、農業地区、居住区と言った風に分担されている。


 しかし西側の大部分は突如として地面から飛び出たかの様にも見える巨大な石灰岩と融合しており、肝心の家屋は屋根すら無いコンクリートで出来た四角い物ばかりだ。とは言え欠点ばかりという訳では無く、彼等の住まう第七隔離街の居住区は旧鳥取にある10のシェルターでも唯一の貿易都市という事で金持ちが多い為に比較的治安が良いとされている。


 そんな町に住む二人も、頭に少人数かつ無所属で個人経営という前提は隠れているが歴とした商人だ。しかし伝手も無ければ人手も足りないので仕入れから運送までの工程を全て自分達で行わなければならず、今回の様にモンスターから襲われれば対処も己が身一つで行っている。道中で損害が生じれば被害を被るのも責任を取るのも自分達であり、そんな事を続けていたキャラバンの経営状況はすっかり傾いてしまっていた。


「サンドワームの鱗、幾らで売れるかな?」「特異個体が最後に現れたのは8年も前やけど、当時ですら一枚百万円以上の値が付いたらしいで。今は地下生活も軌道に乗っているし、富裕層連中がコレクション用にでも買うてくれるんと違う?」


 彼らが今回の取引に際して支出した金額は諸々の雑費込みで100万円程度。それなりに良い葡萄酒を購入出来たとはいえ道中は脅威の少ない砂漠地帯が大部分を占めるという事もあり、純利益は良いとこ50万円前後が関の山だった。「という事はサンドワームの鱗が160万円以上で売れた場合、葡萄酒をえっちらおっちら運ぶよりも良い稼ぎになるという事だね!」「夕飯はステーキ!!豚のステーキがええわ!!」「はっはっは、今日は特別に豚肉じゃなくて牛にしよう。たんまりと食べたまえ!!」


 狸の皮算用で盛り上がる二人を他所に、油切れで揺れる昇降機は歯車を軋ませながらその速度を徐々に落とし始めた。



 人の往来が激しいメインストリート。東西南北を綺麗に分かつその道の中心には、十字の花が咲く樹木が描かれた看板を掲げる建物がある。それは幾多の店舗や工房を傘下に持つ『金木犀』という大手商業組合であり、人と物と金と情報を一挙に集める第七隔離街の最高権力企業でもあった。

 内装は豪華絢爛なホテルの様な雰囲気で、床は高級感のあるピカピカの大理石。壁際には西洋建築で度々見られる彫刻の施された乳白色の柱が並んでいる。


「さ、三百万!!??」そんな街の顔とも呼べる組合の建物からは、今日も今日とて元気な少女の叫び声が聞こえて来た。彼女は隣に居る青年に促されて再び椅子に腰を下ろす。「達の悪い冗談や無いやろうな」

 

 受付の若い女性は依頼の完了を意味する判子をカウンターの上に置いて2人に微笑みかけた。依頼書とは特定の素材が市に存在し無い場合や在庫が少なくなって来た時に表の依頼板へ張り出される紙の事で、素材を納品した者には記載されただけの金額が支払われるというシステムの事である。


「まず表面の外観に関して申し上げますと大変良好な状態です。八年前に流れて来た素材と比べればその違いは一目瞭然、まるで別物の様に美しくありませんか?」「そうですね」「言われてみれば」


「加えてサイズや発色も良く、鑑賞用としてはこれ以上のものはありません!!」

 受付の女性は話している内に徐々にヒートアップして、気が付けばその声を聴いた周囲の人物も何事かと集まり始めていた。

「組合も前回の出品からこの素材には目を付けていたのですが、中々現物が出回らない事に痺れを切らして何度も値段を釣り上げていたんですよ。実際に今まで四回も依頼の更新を行っていますからね」

 

 因みに、事前に依頼の受注報告をすれば最短でも三日間はその依頼を独占する事が出来るのだが別に報告の義務が有るという訳では無く、納品前かつ要項さえ満たしていればその時点での受注も可能であった。

 理由は単純で、受注報告をしてしまうと納品が出来なくなった時に違約金を支払う必要があるからだ。特に複数の依頼を受注する場合はイレギュラーが発生した時のリスクも大きいので、そういった処置も可能となっている。


「こちらが代金となります。今後ともご贔屓くださいね!」


 幾ら紙幣とはいえ300枚も集まればそれなりの重さになるというのは、多額の借金を抱える2人にとって初めて知る事の出来た情報である。

「……モンスター素材って滅茶苦茶に美味いんか?」「いいや、美味しいのは一部の素材だけだと思うよ。今回は特別だったみたいだしね」


 そうして彼等は腕にのしかかる確かな幸せの重さを感じながら商業組合の外へ出た。噴水前は商人や金持ちで賑わっており、居住区とはまるで違った雰囲気をしている。行き交う人々は大金を持ちアホ面で呆然と立ち尽くす2人組を訝しげに眺めていたが、続いて現れた受付嬢によって入り口前の依頼書が剥がされた瞬間。偶然にも素材を拾った幸運な者だという事を理解して、興味を失ったかの様に目の前を通り過ぎて行く。彼ら商人は「どういった経緯で金が動くか」という事について異常な程の興味を示す生き物であるが、それは後学や参考にする為であり、棚ボタによって金を手に入れた人間には価値を見出せないのだ。


「倭文は肉を買って先に焼肉の準備をしておいてくれるかい?」志遠はそう言って素直に頷いた相方の背中を見届けてから、大股で街を歩き始めた。彼が向かうのは居住区の端にある路地裏だ。絢爛な雰囲気の商業地区から一歩外れれば、そこにはネズミが地を這い据えた人間の臭いが充満するスラム街が広がっている。以前は多くの人間が住んでいたのだが食糧難によって人口が大幅に減少し、今となっては筋物が支配するアングラな地区と化していた。街の自警団もスラムの連中とは問題を起こしたくないらしく、商業地区で強請りをして捕まえられた人間が翌る日素知らぬ顔で店先に現れるといた現象も日常茶飯事である。


 志遠はそんな、薄暗く後ろ暗い場所を慣れた様子で突き進んでいた。汚い爺に唾を吐き、スリの青年に蹴りを入れ、転がる男を踏み付けて、やって来たのはスラムの最奥。何の変哲もない建物の前で立ち尽くす黒いスーツの男と共に、側のビルへと踏み入った。そこは所謂、ヤクザと呼ばれる荒くれ者の簡易拠点だ。三階に登り、引かれた戸をくぐれば、以外や以外。随分と綺麗に整頓された事務所が出迎えてくれた。しかし遊び心は無くせなかったのか白い壁と書架は赤いペイント弾で彩られ、全ての資料を詰め込んだ棚からは滝の様に紙束が流れ落ちている。


「お久しぶりです、榊原さん。今月の分を持ってきました」志遠は地面で血を吐く何かをよそに、正面奥のデスクに座った人物へ声をかけた。部屋全体に反響していた静かなペンの走る音が鳴り止んだ瞬間、一緒に歩いていた男性は志遠の手に握られた麻の袋を取り上げて奥のデスクへと運んでいく。受け取った人物はひぃふぅみぃと紙幣を数え、そしてゆっくりと椅子を一回転させる。「三百万近くもあるじゃあねぇか。よう頑張ったのう」

 立ち上がった厳ついおじ様は周囲の雰囲気と合わない明るい声でそう言った。顔中には生々しい傷跡が残り右目閉じられている。身に付けたスーツは内側から盛り上がる筋肉によって今にもはち切れてしまいそうだ。そう、この人物こそが今しがた地面を血の海に変えた元凶である。「えぇ、運が良かったらしく」「そりゃあ良い。商人にとっちゃぁ運も大事な素養じゃろ……それで、どうやって稼いだか教えて貰おうじゃあねぇか?」志遠は少しの逡巡もせずに事の顛末を話す事を決めた。彼がこの優男に借りている金は一千万円程もある。殆どは志遠の父親が作った借金だが半年前に死去してからはその返済義務が彼に移り、こうして毎月殆どの売上を返済に費やしているのだ。


「砂漠でサンドワームの鱗を拾ったんですよ。特異個体だった上に組合が何年も探していた素材だったらしくて随分と高い値段で買い取られました」「なるほどそいつぁあ運がいい。足跡も残らぬキメの細けぇ砂上に残された鱗が地面に露出してたとはなぁ。しかも砂漠の中では保護色になるソレを見つける事ができるとは、一体どれ程天文学的な確率なんじゃろうなぁ」そう言って榊原は大仰に手を叩いた。暗に何を隠しているかを聞かれた訳だが、それは彼にとって最も追求されたく無い事である。

 しかし志遠は目の前のギラギラとした眼光からは逃げることができず、やがて諦めた様にぽつりぽつりと意図的に隠していた情報を開示していく。「鱗を拾ったのは本当です。高くで売れたのも。ただし1点言い忘れていた箇所がありました」それを聞いた榊原は愉快げに笑う。彼にとって素人商人が考える程度の事は手に取るように分かるのだ。

「襲われたか。成程必死に隠す理由も判明した……つまりテメェは、俺が出資する時に条件付けたブツの引き渡しが出来なくなったと言いたいらしい」志遠は怯えて頭を下げたが、それは何も制裁が怖くて震えているわけでは無い。数少ない情報から、ものの数秒で真相を見つけ出してしまった男の思考速度に驚嘆していたのである。

「カヌレ」榊原があまりにも小さな声で呟やいたので、志遠は礼儀も忘れて聞き返す。「……あ?」「メゾンドガトーのカヌレ!!!」榊原はそう言って志遠に向かって襲いかかった。白毛混じりの短髪を振り乱し、机越しに震える志遠の首を両手で鷲掴みむ。たかが菓子一つで何をと思うかもしれないが、この荒廃した世界で甘味を食すことが出来るのは一部の富裕層のみである。

「返せ!俺のカヌレ!!」「 サンドワームに襲われて大変だったのに!!僕が悪いんですか!?」「謝ってて済むなら警察はいらねぇよぉ」あんたはブチ込まれる側でしょうという言葉を飲み込み、志遠は肩を落として観念した。

「……次はぁ、ねぇぞ」そう言い残すと榊原は一転、蛇の如く住処へと戻っていく。その様子が余りにももあっさりとしていたので、志遠は不気味に思いながらも胸を撫で下ろした。危うくカヌレが原因で命を落とすところであったらしい。

「今日んところは帰ぇれ、俺達にゃあソレを片付ける仕事があるからなぁ……おい、検問に金ぇ握らせて処分しとけよ」首から手が話されて自由になると、志遠はそこからふらふらと何歩か後退りをして咳き込んだ。「そうじゃ、今後はめぼしいモンスターを手に入れたら俺ん所に持ってきな」戸を引いて外へ出ようとした彼に榊原の声がかかった。「鑑賞用の素材でもお探しですか?」「すっとボケんじゃぁねぇよ。モンスターの血肉を加工せず長期的に摂取し続けていると肉体が活性化する。耳の早ぇ商人の中じゃ有名な話だろうが」

 

 事の発端は数日前。食べ物に困った貧民が地上に出てモンスターの死骸に齧り付いていた時、突如として体が軽くなるという現象に見舞われた事に起因する。20年もの間情報が広まらなかった理由は、腐りかけの死骸を長期的に生で食す覚悟を持った人間が少なく、たとえ肉体の活性化現象に遭遇した人間がいたとしても吹聴せずに情報の独占を選択したからだ。故にこうして長年も秘匿され続けていた事が世間に浸透しつつあるのは、度重なる偶然が織りなした奇跡であった。

「眉唾じゃ無いんですか?」とは言え、志遠の様に情報が手に入っても訝しんで行動に移さなかった人間が多かったのも事実である。「嘘でも構やしねぇが、乗り遅れると大変じゃからのう」「分かりましたけど、そんなに都合よく何度も素材は拾いませんよ?」「とぼけた後は寝ぼけたふりか。テメェ俺に借りがある事を忘れた訳じゃぁあるめぇな?カヌレの件、忘れたとは言わせぇぞ」榊原はニッコリとした邪悪な笑顔でそう言った。

「……まさかモンスターを討伐して素材を剥ぎ取ってこいとは言いませんよね?」「何ぞ問題がある?どうせ並びやしねぇ相場に色も付けてやらぁ。代わりといっちゃあなんだが……大量に持って来い」語尾にハートマークでも付きそうな軽い口調だが、その実は殆ど殺害命令の様なものである。何度も言うが、彼から多額の借金をしている志遠に、その指令を拒否する権利などありはしなかった。



 西の居住区、第七に住まう約一万人が暮らす地域。20年前は街全体で2万人の人間が肩を寄せあって暮らしていたのだが、食糧難と衛生状況の悪さによって数を減らし、今ではその数も随分と減ってしまった。空き家が増えると不法滞在者の居場所も増える。幾ら貿易都市で治安が良いと言っても結局のところ比較対象は現存する他の県や都市と比べてであり、20年前まで栄えていた大阪はミナミの様に清く美しい街と比べてしまえば、流石に第7の治安が良いとは言えなかった。何せ太初の生物が現れて以来警察はおろか、折角3つに分けた権力全てが文字通り国土と一緒にチャブ台返しにあったのだ。司法が有罪としても、警察が捕まえたとしても、大人しく勾留されるならば、それはモンスターではなくコスプレした人間だ。総理が最も強い言葉で非難し、国会が自分達に都合の良いよう法律を変える。それで自己を顧みるならば政治家よりもよっぽど出来がいい。

 結局奴らは何も出来ずに散って行ったのだ。言うまでも無いが、今まで腐った政治をしてきた奴らは全て地下にて葬られた。面白い話だが、人類はシェルターへ潜る事により、過去数千年でも類を見ないほど、限りなく平等に近しくなった。成程、これでようやく全人類が友達だと肩を組めよう。我々は皆兄弟だと、手と手を取って円陣も組めよう。確かに街のトップは市長だが、余計な事をすれば即刻叛逆の狼煙をあげられる。何せ司法も行政も法律も憲法も無くなったのだ。殺し殺され、食い喰われ。一方的な搾取ではなく、全ての人間の威厳と尊厳と自由と安全が無に帰した結果生まれた混沌こそが、最も原始的で崇高な人間のあるべき姿なのだ。幾ら謳えど掴めぬ筈である。皆が担ぎ奉り崇める幸せな平等なんて、はなから存在しないのだから。


 

 地面から突き出る尖った巨岩と融合する様に建てられた一軒の簡易住宅。少し遅れて帰ってきた志遠は、10年来の我が家の扉を大きく開けた。

「ただいま、お肉は?」「買うとるで、それにしても随分と待たせてくれたやん」倭文はそう言って稲の葉に包まれたそれを志遠に渡した。「ヤクザハウスからの帰り道で襲われちゃったんだ。最近の人って怖いよね、ちょっと蹴りを入れただけで直ぐに怒髪天だよ……おや、この包装は良い所のじゃないか。随分と奮発したんだね」「最近は金が無くてひもじい生活しとったからなぁ、ここいらでエネルギー補給しとこ思うて……なぁ、鱗を回収出来たんはウチのお陰やし、この肉もウチの物になったりせえへん?」普段から事業が失敗続きなのも大体はお前の成果だが。志遠はそう思ったが声には出さず心に留めるだけに終え得た。なにせマッチポンプとはいえ数時間前に1度命を助けてもらっているのだ。これ以上の望みはあまりにも傲慢というものである。


「駄目駄目半分ずつだよ」志遠はそう言って受け取った包の紐をほどき始めた。「そういえば榊原さんから新しい仕事を任されてね」「もしかしなくても、最近需要が上がって来てるというモンスター関連の依頼やんな?」

「知ってたんだ。やっぱり有名な話だったんだね」「知らんかったら逸れる危険を冒してまで二日も砂漠を奔走せえへんて。その言い草から察するに、あんたは知らんかったみたいやけど」

「みたいと言うか実際に知らなかったんだよ?適当に話を合わせていたら脅されて仕方がなく受けて来たんだ。本当なら暫くの間は炭鉱に篭って穏やかな生活を送る筈だったのにさ」「知らん仕事は受けんなって普段から言うとるやん。せやけど今回に関しては上出来や。これはゴールドラッシュの匂いがするでぇ!!」


「地道に返そうよ。最近は炭鉱での地位も上がって来たんだしさ」「日給三千円の炭鉱で一千万を返そうとしたら10年かかるわ!!二人ならその半分で済むかもしれんけど、それでも5年も炭鉱に籠るのんは犯罪者だけや!!道中でガスが噴出すれば窒息死、温泉を掘り当てたら溺死、発破に巻き込まれたら爆死、落盤に関しては圧死に餓死に落下死、トリプルコンボの可能性だってある!!!死と隣り合わせやのにどないして穏やかな日々を過ごすつもりやったん!!??」「今のご時世、命が軽いのは何処でも同じ事だよ」

「リスクリターンが見合ってないって話や、声だけは大きな監督に睨まれながら食事は毎日もやし炒め。温泉は先輩の汗と垢まみれ。この間なんか腹が減りすぎてヒカリゴケを食うたら光源が足りないって苦情が来たし、トイレの中が光っとったからな!!??」「卑しい事するからだよ」

「机の上見てみ……ちょっと汚れた水しかあらへん。既にガスは止められてるし食料庫からはモヤシすら無くなっとった」「……ちょっと、この包みにはいっている物。ステーキ用の牛肉じゃなくてコロッケなんだけど」

「買えんかってん!!!農業都市の第三隔離街は音信不通、聞くところによれば腹を空かせたモンスターに襲われて壊滅したっていう話や。今は他県から仕入れた馬鹿高い肉を小出しにしているだけやから激安スーパーの冷凍鶏むね肉ですら100グラム単価8百円、牛肉に関しては5千円。寧ろ奮発して3千円のコロッケを買ってきてやった事に感謝せんかい!!!!」「感謝」

「選べ。最後の一瞬まで穏やかに日給3千円の掘削作業を続けて榊原の兄ちゃんに消されるんを待つか、もしくは一獲千金と人生の逆転目指してモンスター討伐しに行くか」志遠は面倒事が大嫌いだ。きつい労働をするくらいならばいっそ植物になってしまいたいとすら思っている。しかし生きるか死ぬかを提示された場合、巨大昆虫の生き血を啜ってでも生きていたいと答える程度には生への執着が強かった。「僕は分前を貰うだけじゃ駄目かな?」「ええ訳ないやろ借金ニート」そうして二人のモンスター討伐が始まった。

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