第30話 奇襲
崖の上から下の砂浜を見下ろすニャン吉。砂浜では、味噌汁やチバリンの処刑が行われていた。
爽やかな潮風とさざ波の音。翡翠色の海は優しく砂浜に波を打ち寄せる。磯の香も漂い、南の島を思わせる宮島の海辺。それを眺めながら処刑をしたいがために、鹿たちはここに処刑台を築いたのだ。
『うひょひょ、白いチワワちゃーん。この世の景色も見納めだよん』
口をすぼめて尻を振るこの処刑担当の鹿は、殺殺殺殺の部下の中ではやや狂っている程度。味噌汁の耳元でハアハアと息を荒くしている別の鹿の方が、より狂っている。
その光景を見下ろす猫がいた。それは、ニャン吉である。眼下に広がる処刑場を見て、戦慄もしたがそれに勝る怒りが沸々と湧き上がる。
『鹿も通れるんじゃけえ』とつぶやくと、処刑場へと続く崖に脚を出した。
断崖絶壁の僅かな足場を頼りに駆け下りるニャン吉。苔に覆われた粘土質の土に足を取られつつ、時折生えた木にしがみつき、とうとう処刑台まで後3メートルの高さまで降りてきた。
『高さは3メートル、直線距離でだいたい5メートルじゃけえ、三平方の定理から、ここから味噌汁の処刑台まで水平距離で4メートルじゃの』
ニャン吉の計算は正確で、まさにドンピシャの距離である。
鹿の数は全部で8頭。それを確認したニャン吉は、覚悟を決めて奇襲を仕掛けた。
音もなく砂浜へ降りるニャン吉。忍びの如く鹿たちに忍び寄る。そして、勢いよく飛び出すと処刑台の所の鼻息荒い鹿と処刑担当の鹿の前脚の膝を15回引っ掻く。
『ぐああ! なんじゃあ!』
ガクンと前脚を折って砂浜に崩れる2匹の鹿。周囲の鹿が異変に気づいて振り返るが、その時にはニャン吉の姿はそこにはない。
白い砂の上を白い猫が蛇のように駆け抜ける。近くの鹿は素通りし、海辺で鹿威しの如く定期的に頭を海にザブンとつける鹿2頭の膝の裏を引っ掻いて立てなくする。
海へと注意が向いた。しかし、そこにニャン吉はいない。
時の流れは恐ろしいものである。ニャン吉の体も成猫に近付いてくると、少々の動物では手に負えない。
その場にいた鹿たちは何が起きたのか理解できずに狼狽える。やがて、海上へと逃げる鹿も現れた。
それを確認すると、ニャン吉は味噌汁の縄を解いた。そして、厳島文化会の皆を連れて崖を登って行った。火事場のバカ力で崖をよじ登る文化会の連中。尻に菊の花が数本刺さったままのチバリンも、内股で登っていく。
全員が崖を登りきった時、鹿たちはやっと何が起こったのかに気が付いた。一の谷の戦いで義経が平家にしかけた鵯越の逆落としを模した奇襲は大成功。
一の谷では、平家の公達の内、義経のライバルと称された平重衡は源氏に捕らえ松の木に縛り付けられた。それを後の人は平重衡とらわれの松跡と呼んだ。この時の一撃は深刻であり、平家は一気に弱体化する。
同様に、快楽でギロチン処刑を繰り返した下衆の内、数匹がニャン吉に引っかかれた傷口のまま海に飛び込んだせいで、傷口が化膿して息を引き取ることになる。
『次回「鹿三位の死闘」』
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