第1話 魔王を拾ってしまった件



*****



僕が異世界に転移するに至った経緯については割愛させてもらおう。

どうせトラックに轢かれたとか、神の手違いで死んだとか、そんな事だろうと考えている諸君にまったくその通りだと1000字ほど書いて説明したところで時間の無駄であろう。


ただそんなテンプレ異世界転移と少しだけ違う点を挙げるとすれば、僕は前世の記憶だけでなくその時住んでいた四畳半の部屋を一緒に異世界に持っていく事ができたという点だ。

折角の一人暮らしを謳歌していた20歳の大人としてそれなりに愛着のあった四畳半であり、ダメ元で神に頼んでみた所すんなりと僕の願いは聞き届けられた。


異世界転移初日にモンスターに襲われるとか、森の中に置いてけぼりにされるとかはなく、気付けば僕はいつもの四畳半に寝転びながら異世界にやって来ていた。

至って普通の集合住宅の一室に突然僕の四畳半が現れたイメージをしていただくと分かりやすいだろうか。

剣と魔法の世界でチートやハーレムには恵まれなかったが、やって来た異世界で早速住まいを手に入れる事ができたのは大きかった。


心配していたのは冷蔵庫やテレビ、ゲームなどの電化製品であり、当然電気など通ってない異世界で役立つのかどうか心配していたのだが、なぜか知らないけれどコンセントにプラグを差し込めば電気は通り、流石にテレビは電波を受電する事がなかったもののその他諸々の電化製品は問題なく使用する事ができた。


恐らく僕が前世で死亡した時のままの四畳半を持ってきたのであろう、ある程度の食料は確保できたしその食料を食いつぶす前にはしっかりと現地でアルバイトで働き始めていた。

異世界もののテンプレのようにダンジョンという地下迷宮や冒険者という職業もあるにはあったのだが、チート能力もないのに当然死にたくはないので僕は近所で事務員の仕事に勤しむことにした。


堅実に堅実を重ねた理想的な生活を手に入れるためにそれなりの努力をした結果、仕事できつい事や現代日本との違いに戸惑う事はあっても、まさしく平凡かつ平穏な暮らしを僕は送っていた。

そう、あの日まで。




******




「…………」

「…………」



僕とそいつはおよそ10秒間見つめ合っていた。

玄関の扉を開けてすぐ、僕は眠気まなこを擦りながらそれを見つけた。


『拾ってください』と汚い字で書かれた紙が雑に貼られた木箱の中に、体育座りをした一人の幼女がひたすら無言でじーっと僕の方を睨んでいる。

冬の寒空の中、茜色の髪と深紅の瞳が印象的な美少女が、僕から目を逸らす事無くひたすら見つめてくる。

突然やって来た非日常に、どうすればいいのか思わず扉を開けたまま呆然とする僕を見兼ねてか幼女は片手を張り紙の方へ向けて指さす。



「ん」


「いや、拾ってくださいって突然言われても……」


「はぁ…」



冷静になった僕が拒絶の反応を示したためか、分かりやすく大きなため息をついた幼女はおもむろに立ち上がると、左手の掌を僕の方へ向ける。


すると突如として掌から巨大な水の玉が現れ、僕の目と鼻の先の位置までやって来て一瞬にして消えた。

異世界にやって来てからなんだかんだ魔法も見た事がなかったのだが、恐らく幼女の出したこれは魔法の中でも結構すごい魔法なのだろうという事はすぐに理解できた。

水飛沫を顔に受けながら目を丸くする僕に向かってドヤ顔を浮かべる幼女。



「ん」


「す、すごいね。……じゃ」


「なぜじゃ!?」



しかしすぐにそっと扉を閉じようとする僕を見てようやくまともな言葉を発したそいつは、箱から身を乗り出して僕へ叫んでいた。


「こんなただ者じゃない雰囲気を垂れ流す幼気な少女を放ってなぜ冷静にドアを閉じれるんじゃ!」


「ごめんなさい、保険の勧誘は間に合ってるので」


「どこをどう見てワシを保険屋だと思ったんじゃ!胡散臭い数珠を両手足首にもつけておらんし、クロロホルムを染み込ませたハンカチも持っておらぬわ!」


「保険屋に対する偏見が独特過ぎる!?」



え、もしかして異世界の保険屋って強盗殺人犯並みのイメージ持たれてるの?

しかしそんな事を考えている隙に、幼女は閉じかけていた扉の隙間にその小さな足を挟んでくる。



「や、やめ…」


「はっはっはー!遅い!」



両手で扉を閉じようとしたところで幼女は片足を力いっぱいに回して力づくで扉をこじ開けてきた。

僕の両手の腕力が幼女の片足に劣っていた事実に、なんか虚しくなるがここは冷静に話を伺う事にした。



「分かったよ、話くらいなら聞くよ。30万で」


「金取るの!?だったら、こっちから遠慮するわ!」


「だろ?って事で、じゃ」


「『じゃ』じゃない!!どんだけ諦めが悪いんじゃ!」



頑なに開いた扉から手を離さない幼女の目に負けて、僕は両手を挙げる。



「冗談冗談。とりあえず君、名前は?」


「ふっはっは、よくぞ聞いてくれた!ワシは天下無双の名を古今東西に轟かせる最恐の大王、『西の魔王』じゃ!!」


「ふーん、『西野マオ』ね。随分日本人みたいな名前で親近感が湧いてきたよ。僕はリンタロー、よろしく」


「え?なんでこいつワシの正体を知って普通に会話しようとしておるんじゃ?もっと恐れ慄け!」


「分かった分かった…こほん。マオちゃん大王なんだー、すんごーい!よちよち」


「なんか腹立つ!!」



僕は幼稚園の頃一番うざかった先生を思い出しながら頭をくりくりと撫でてみたらなんかブチギレられたのでいったん距離を取る。


ここで改めてマオと名乗った幼女の姿を観察してみると、どこか高級感を漂わせる黒色のドレスのような服を着ているにも関わらずところどころが破けて全体的にもボロボロに汚れてしまっている。

しかしそれでいてマオの素肌には傷がついている様子はなく、健康体そのものに見える。

そんな中で際立つのはマオの腕に巻かれた金の腕輪、それだけが煌びやかに輝いてマオの美しさを際立てていた。



「親はどうしたんだ?」


「親などおらん、ついでに住む場所もない!だからこんなワシを拾ってくれるような心優しき平凡な顔をした青年で、この建物に住んでる名前の頭文字がリの奴がいないか探しておったんじゃ」


「へぇ、それならここから30キロくらい歩いたところにリンデルバーグさんっていう70代のくせに100メートル走を11秒で走る婆さんがいたはずだぜ」


「全然違うけど、むしろそのババアが気になってきたわ!」



マオは叫ぶが、別に僕だって面白がってこいつをいじめているわけではない。

この幼女からは、よく都会の道端に転がっているザ・酔っぱらいと同じような面倒くさい匂いがする。

ここは冷静に憲兵の人を呼んでこの子を保護してもらうのが最善だ。

適当にあしらいながら何とか憲兵の詰め所に向かわせよう。



「ところでなんで僕はお前に目をつけられたんだ?」


「前々から当てをつけていた、という訳ではないのじゃ。扉の前に無言で座って3分経っても誰も出てこなければ次の家に行かなくてはいけないというゲームをしておっての。1階の部屋の前でもチャレンジしたのじゃが当然出てこんかったのでの、ここまで12回続けて誰も出てこなくてそろそろ諦めようとしておったんじゃが」


「へぇ、大家さんのとこでもやってたんだな。じゃあ僕は何分で出てきたんだ?」


「お主は28秒じゃ」


「たった13軒目にしてこのゲーム最弱の雑魚キャラ現る!?は、28秒?惜しくなさ過ぎてお前を追い返そうとしてた過去の自分が恥ずかしくなってきた」



僕は顔を手で覆いながら、それでも依然体全部を使って部屋に入る事の出来る隙間を作らないように玄関を防いでいる。

たった28秒でまんまと部屋から出てきたクソ雑魚ではあるが、この部屋の中にだけは入れる事はできない。

中には僕の四畳半だけでなく、現代日本から持ってきた貴重な道具もいっぱい転がっているのだ。


むむむ、と唸るマオは突然深刻な顔をして僕の方へ駆けよって来る。



「……であるなら、トイレだけでも貸してくれないかのぉ。漏れそうなんじゃ」


「そうかそうか。安心しろ、お前のあだ名が『うんこまん』になる瞬間をしかと見届けてやるぜ!」


「なんでボケーっと見届けるつもりなんじゃ!そもそも大の方じゃない…というか素直にトイレを貸すんじゃ!」


「嫌だよ、お前トイレを借りるという口実で僕んち居座ろうとしてるだろ」


「ギクッ!」


「最初に会った時の硬派なお前はどこ行ったのかってくらい、たった1話でキャラ変し過ぎだぞお前」



マオは分かりやすい反応で肩をすくめると、今度は上目遣いで僕を見上げてくる。



「……腹が減っておるんじゃ。これだけは嘘じゃない」


「……まあ、食料くらいは恵んでやってもいいけど、ここで待って……」


「あああ、しまったぁ!さっき見栄を張ってあんな魔法を出してしまったせいで、体力が……ふにゃああ。たす、けて……」


「…………」



マオは僕の手を掴みながらがくりとその場に項垂れると、「ぐるぐるぐるー」と大きな腹の音がマオのお腹から聞こえてきた。

分かりやすく両手を仰ぎながらふにゃふにゃと倒れていく幼女。

なんとなく嘘くさいその仕草に一瞬見捨てようかと思ったが、その場に倒れてピクリとも動かないマオを放っておくわけにもいかない。

それにお腹が減っているのは本当の事なんだろう。



「……仕方ないか」



変な幼女に目をつけられてしまったのが運の尽き、ここで突き放してもどうせまた追ってくるし、さっきのどでかい魔法で家を破壊されでもしたら最悪だ。

食料だけ恵んであげてから憲兵に突き出す事にしよう。


こうして僕はぶっ倒れたふりをして動かないマオをお姫様抱っこで抱えると、ロリコン誘拐犯という屈辱的なあだ名をつけられる覚悟を決めて歩き出した。


この日、僕がこの小さな女の子を自分の家に連れ込んでしまった事、これが僕の堅実な異世界人生を根本から破壊してしまう事になるとはまだ知る由もなかった。


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