第15話上流社会へのあこがれ
「どうしましたか?」
女性の大声を聞いたテオルデが、客間にやってくる。テオルデは、今日も貴族のような気取った格好をしていた。
金持ちのとは言えども、身分が平民ならば平時は楽な服装で過ごす。女性の客も素材こそ上質なものだが、楽なワンピース姿だ。
二人の服装の落差のせいで、女性が客だというのにテオルデの使用人のようにも見えてしまう。これこそ失礼ではないかとファナは思うのだ。案の定、女性は嫌そうな顔をしていた。気に入らないのであろう。
「この子のデザインが気に入らないのよ。代理案も平凡なもので、ため息が出てくるわ!」
怒りの度合いが上がっていて、八つ当たりをするかのようにファナが描いた設計図をテーブルに叩きつける。テオルデは自分の衣服によって、女性の怒りに触れているとは思っていないようである。
テオルデは、テーブルに散らばった図案に目を落とす。ファナの図案の良し悪しは、テオルデには分からない。そもそも婦人の装飾品に、テオルデは明るくないのだ。
装飾品が金になることは知っているが、それだけである。宝飾品だけではなく、商売として扱って高価な家具や絵画の審美眼も持っていなかった。
テオルデの実家は元男爵家だが、彼は家の没落後に生まれた。故に、芸術品の類に囲まれて育ったわけではない。
高価な品々はすでに売り払われており、花瓶一つとっても安物であった。住んでいた場所だって、一般的なアパルトメント。生活レベルに関しても中流階級ぐらいのものであった。
中級階級であっても学校に通って努力をすれば、弁護士や教師などという高給で待遇の良い職に就くことが出来る。
テオルデの父は教師であり、テオルデの教育には力を入れていた。その一方で、爵位を持っていた頃の裕福な暮らしを忘れられないでいたのだ。テオルデの父は息子に勉強を教えながら、絶えず自分たちがかつて所属していた上流階級の華やかさを語った。
貴族の中では、男爵家など下流の家柄だ。パーティーなどの出席こそ許されるが、よっぽどではない限り特段に裕福なわけではない。
中流階級よりは暮らしぶりは裕福だが、伯爵や公爵などとは比べるのもおこがましい。
それでも、テオルデの父は思い出を誇張した。それを聞いたテオルデが、子供の頃から貴族の暮らしに憧れを持つのは当然のことだった。
薔薇が咲き誇る庭と白亜の館。
数えきれないほどの使用人と忠実な執事。
夜は毎晩のように舞踏会に参加して、王に謁見する名誉をたわまる。
大人になれば、父の話がいかに出鱈目であったかが分かった。
男爵家の財力では、白亜の館も数えきれない使用人も得る事は出来ない。
王に謁見できるような功績を上げることがあれば、貴族としての地位を失うことだってなかったであろう。
なにより、今の貴族は落ち目である。商人たちの台頭や相続税の導入によって、一部の貴族以外は豊かな生活を失った。上流階級の優雅さは、もはや過去のことである。
けれども、そこに再び舞い戻りたい。子供の時の父から聞いた話は、現実を知った後であっても憧れのままだった。それと同時に、テオルデに歪んだ自意識に繋がる事になったのだ。
自身の家柄は元をたどれば貴族であり、そこらの平民とは違う。いつかは上の世界に戻る存在。テオルデの歪な自意識は、他者を見下す悪癖となったのである。
ユーザリからファナを奪った件について、テオルデは罪悪感を微塵も感じていない。ユーザリの店を開けないように嫌がらせをしたのは、彼がファナに未練を持っていたからだ。
テオルデは、ファナに恋愛感情を持っていない。魔石宝飾職人と性欲処理の二つの役割をこなせる相手で、顔が可愛らしいから選んだのだ。女の職人は数が少ないので、ファナの存在は都合が良かった。
それでも、自分のモノに男の視線が絡みついているのは不快だ。だから、テオルデに嫌がらせをして、ファナの未練を断ち切ってやったのだ。
自分の女を奪った男に嫌がらせを受けたとなれば、さぞかし悔しい思いをしたことだろう。もはや、ファナには関わりたくはないと考えるはずだ。
テオルデがユーザリに追い打ちをかけられたのは、平民が貴族になる自分を支えるのは当然のことだと考えているからだ。
ユーザリが自分の女を献上するのは当然で、ファナが女の身体で奉仕するのも当たり前。
それに不満を感じているユーザリは、罰せられるべき存在なのだ。
「デザインに問題があるのですか……。しかし、制作には最高級の魔石を使います。図案よりも素晴らしいものになりますよ」
テオルデは、にっこりと笑った。
アクセサリーは、あくまで女性の興味を引くためのエサである。そこから徐々に親しくなって、最終的にはアクセサリーよりも高価なものを売りつける。
本人が高級品を買ってくれなくても、彼女の家族や友人にテオルデを紹介してくれてもいい。知り合いの紹介というのは信頼を得る一番の近道だ。
高い買い物というのは、信頼が第一だ。
その信頼を素早く築くために、テオルデはファナのパトロンとなったのだ。
そして、いつかは高位の貴族とさえも縁を取り持つ。そこから、再び爵位を取り戻すのだ。テオルデは、そのような構想を抱いていた。
だというのに、ファナの作る作品は評判があまり良くない。目の肥えた人間を相手にさせると決まって「凡作」という評価が返ってくるのだ。
そのせいもあって、テオルデの当初の計画は崩れつつあった。ファナの作る宝飾品が自分の信用と名前を売るはずだったのに、このままでは効果が逆になる。
「高価な魔石を使っても、デザインの不味さは隠せないものよ。最高級の牛肉を使ったところで、焼き方に不備があったら台無しになるでしょう。最高の材料に、最高の料理人。その二つが合わさった最高の作品が欲しいのよ。それに、そっちの職人さんは無理と言ったからね。出来ないことを出来ないと言われたんだから、ならばここで頼む所以はないわ」
女性は、ふんと鼻を鳴らした。実に男らしい態度に、ファニもリーベルも呆気に取られてしまう。男性並みの働きをしている女性だとは聞いていたが、言動までが剛毅な男らしかった。女性らしいのは、着ているワンピースぐらいだ。
彼女は、本気で他の店に依頼を持っていくことを決めている。それに焦ったのは、テオルデである。ファナのほうを盗み見たが、彼女は無理だとばかりに首を振る。女性の望むものは、ファナでは作ることは出来なかった。彼女は、最高の職人ではない。
「ここの職人が彼女一人ならば、別の店に行かせてもらうわ。そうね……『霧の花』には、新しい職人が入ったと言うし、そっちに行ってみようかしら。面白いもの作るようで、お店を経営している女性たちに評判みたいなのよ」
女性に言葉に、テオルデは歯噛みする。桐の花はユーザリが経営する店であり、今頃はにっちもさっちも行かなくなっているはずだった。
だが、ユーザリの予想に反して店は盛り上がっている。新しい職人の評判も良くて、若い娘や少女たちすら彼の作品の虜になっていた。他の街から来たのかは知らないが、その容姿は秘密のベールに包まれている。
「じゃあ、これで失礼するわ」
客である女性を見送ったテオルデは、瞬間的に怒りを爆発させた。
なにも言わずに、ファナの頬を込めて叩いたのだ。力を込めた一撃は、純粋な暴力であった。女性に振るうにはあまりにも強すぎる力は、ファナを簡単に吹き飛ばす。
床に転がったファナは、笑いたくなった。テオルデの器量は本当に小さい。普通ならば貴族どころか平民だって、女性の顔を殴りつけることはしないであろう。躊躇もなく相手を殴りつけるテオルデの姿は、まるで獣のようですらあった。
ファナには、テオルデの怒りの原因が分かっていた。
全ては、ファナの実力不足からきた事だったから。そのせいで、テオルデは顧客になるかしれない人物を逃したのだ。それが気に入らなくて、テオルデはファナを叩いたのである。
「最高の魔石を用意すれば誰にも負けない、と言ったのは君だ。なのに、顧客のリクエストには答えられないだと。娼婦や性奴隷の真似事だけしていれば良いと思うな」
テオルデは、床を静かに見つめたままのファナに舌打ちする。彼女の力量不足に苛立つ気持ちが、テオルデが止められない。出来ることなら燃えたぎる怒りをファナにぶつけたいが、そこまでテオルデは暇ではなかった。
テオルデは、ポケットから懐中時計を取り出す。大事な商談の時間が近づいているのを確認し、客に出していた紅茶をファナの頭に浴びせかけた。
冷めていたお茶だから熱さはないであろう。呆然とするファナの瞳は、それなりに楽しかったが長居するわけにもいかない。これからも時間は詰まっているのだ。
「大事な用事の前に、よくもがっかりさせてくれたな」
捨て台詞だけを残して、テオルデは去っていく。彼の秘書である青年は、商談前のテオルデに笑顔を浮かべるように注意をする。なんとか柔和な雰囲気を取り戻したテオルデは、秘書の青年と共に遠くへと去っていった。
ファナは、目を瞑る。
彼女は、いつの間にか拳を握っていた。ここまでの屈辱と悔しさを覚えたのは初めてことだ。けれども、卑屈になってはいけないとファナは自分に言い聞かせる。これは、職人としての自分を育てるチャンスなのだ。
「ユーザリ……。あなたが、私の事を女として見なければ」
ユーザリは、ファナを婚約者として愛してくれた。そして、あらゆることからファナを庇おうとしてくれたのだ。ファナ自信からすらも守ろうとしてくれたユーザリは、本当に良い夫になったであろう。だが、それではダメなのだ。
彼の庇護の下では、ファナは一流の職人にはなれないだろう。ユーザリは、ファナが一人前にならなくても許してしまうはずだ。だから、テオルデの元に来たのだ。
あのままユーザリの元にいたら、ファナは職人としては停滞してしまったであろう。
「どんな手を使ってでも……。私は、自分を超えて見せる」
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