第33話奴隷身分の終わりとピアスのトラウマ



 魔石の選別が終了し、一週間が経った。


 俺の店とユーザリの店の休みが重なった日に、リピを役所に連れて行った。奴隷から平民になるには、主人が国に大金を納めなければならない。そんな大金はどこから沸いてきたのかと疑問に思ったが、スミル様の依頼の料金を全て使うとユーザリは答えてくれた。


 スミル様の気前の良さに、今は感謝である。あの無理難題のおかげで、リピは自由になれるのだから。


「三日でアクセサリーを作れだなんて注文だったから、早割りではなくて早増しですと言って追加料金はしっかり請求しておいた」


 ユーザリは、相変わらず商人としてはしっかりしている。いや、あれだけの仕事になったのならば請求するのは当たり前だろう。


 俺たち三人は役所の受付に事情を説明して、皮の袋に入れた金を渡した。金額を数えてくるといった受付嬢の背中を見送って、大金を持って歩いていたというストレスから解放される。


 店では高級品を売っているから他の人間よりは大金には扱いは慣れているが、外に出すとなると緊張感が違う。街行く人々の全てが敵に見えるというか――誰もがひったくりに見えて仕方がないのだ。これほどまでに性善説を信じられない時間はないほどだ。


 そんな俺たちとは逆に、リピは今になって緊張していた。ここに来る間は、緊張している俺たちを疑問の瞳で見ていたというのに。


 だが、それも仕方がないことであろう。


 今日から、リピの人生が劇的に変わるのだ。


 緊張するなということが無理なのだろう。


「あのな、リピ。お前が俺を選ばなくとも……俺はお前の友人として側にいてやる。お兄ちゃんの代わりでもいいぞ。だから、安心しろ。どう転んでも側にいるから」


 緊張するリピに、こんな事しか俺は言えなかった。


 ユーザリの二番煎じとなっているのが非常に恥ずかしいが、これも俺の偽らざる気持ちだ。俺は、どんなことがあってもリピの側にいる。困っていることがあれば助けるし、知らない事があったら教える。さみしい時があれば、寄り添う。


「アゼリ様、ありがとうございます。アゼリ様がお兄様代わりなのは、心強いです」


 そう言って笑って、リピは俺の手をぎゅっと握った。


「ユーザリ様も、僕にとっては一番大切なご主人様でした。色々なことに心を砕いていただいてありがとうございます」


 そう言って、リピはユーザリの手も握る。


「御二人に出会えたことが、僕の一番の幸福なのだと思います」


 幸せそうなリピは、やがて受付嬢に呼ばれていった。手の甲の奴隷紋を消す作業のために、別室に来て欲しいとのことである。


 俺たちも同席していいと事なので、心配しつつも好奇心もあったのでリピに付いて行く。ユーザリはそわそわとしていたので、純粋にリピが心配なのだろう。


 俺たちは、なにもない真っ白な部屋に通された。病院なども汚れが目立つという理由で白い壁を採用しているが、この部屋は物も何もないせいで息苦しいほどに真っ白だ。


 何もない恐怖と言うべきなのだろうか。


 この部屋には、そんな怖さがあった。


「あの……えっと」


 この部屋で何が起こるのか。何をすればいいのか。


 説明を受けていないリピも戸惑っていたし、俺たちも待つしかない。


「こちらの水晶に向かって、魔力を放出してください。全てを出し切るぐらいの気持ちでお願いします。魔力を全て出し切ったことで、一時的に無防備になった肉体から奴隷紋を外しますので」


 受付嬢が取り出したのは、サッカーボールほどの透きとおった石だった。


 俺は水晶だと思ったが、リピとユーザリは「魔石だ……」と呟く。俺の魔石を見る目のなさはともかく、ここまで巨大な魔石は初めて見た。


 とんでもない高価な品であることは間違いないであろう。この魔石一つで、家と別荘が建つかもしれない。


「魔力で色が変わってしまいますけど良いんですか?こんなにも巨大な魔石は初めて見ましたし、質も良いようです。我武者羅に魔力を注入するのは、もったいないというか……」


 リピは、職人らしくて魔石の心配をしていた。


 値段のことを考えていた俺とは大違いであるが、ユーザリも目をそらしていた。恐らくだが、ユーザリは俺と同じことを考えていたに違いない。


「ご心配なく。こちらの魔石から、魔力を取り除き透明に戻せる職人がいます。あなたは、全力で魔力を注ぐことだけを考えてください」


 目の色を変えたリピとユーザリの考えが、俺には手に取るように分かった。この儀式が終わったら、魔石を透明に戻せる職人に会いに行きたいと考えていることであろう。


「全力で魔力を放出するのは苦手なんですけど……。えっと、頑張ります」


 リピの言葉と共に、バチッと静電気が発生したかのような音が響いた。


「もっと強く!」


 受付嬢の言葉と共に、リピの表情が険しくなる。


 静電気のような音は四方八方から聞こえてきて、リピの魔力が暴走していることが分かる。こんなにも多くの魔力は魔石の加工には使わないから、制御する方法が分からないのだろう。


「もっと体内に魔力があるはずです!全ての魔力を出し切ってください!!」


 受付嬢はそういうが、リピだって頑張っていた。しかし、受付嬢は「もっと!!」と叱咤する。空地中で発生する静電気は威力を増しており、俺とユーザリはちょっとした恐怖を覚えていた。


 この状態であっても、リピは魔力を出し切っていないらしい。


 エルフの子孫であるリピの魔力量が多すぎることは知っているが、予想外のことである。店にいた時には急所にピアスを付けた客に対して魔力を暴走させたと言うが、それ以外は魔力を制御していた。この制御が生まれつきの特技なのか教えられたものなのかは不明だが、ずっと閉じ込めていたものを解放しろというのは難しいであろう。


「……リピ、ここでは魔力を出し切らないといけない。お前が、魔力を暴走させたのは一度だけだ。このままだと俺たちは、お前が魔力を暴走させた状況を再現する方法がなくなる」


 俺の言葉に、「何を言っているのだ」とばかりにユーザリは首を傾げる。


「お前が、魔力を暴走させたのは店で急所にピアスを通されたときだ」


 俺の一言に、リピの一瞬にして顔色が真っ青になった。リピは涙ぐみながらも、静電気の威力は着実に上がっている。もはや、静電気だけで発火しそうである。


 リピが精神的に追い詰められていることは分かったが、俺は心を鬼にいた。ここを切り抜けられなければ、リピは平民になれないのだ。


「魔力を出し切れないなら、俺たちは断腸の思いでピアスを通す!もちろん、急所に!!」


 俺は、はっきりと告げた。


 受付嬢は、俺の言葉に引きつった顔をしていた。こいつは何を言っているのだろうと言葉なくとも伝わってくる。


「やあぁぁぁ!!」


 リピは、悲鳴を上げた。


 バチバチと間髪入れずに静電気の音が響き渡り、空中で雷が落ちるときのような光の筋さえ見えた。それが終われば、今度は音がした方向で火花が散ったり、燃え上がったりといった光景が繰り広げられる。


 これは、とても危険な状態ではないのだろうか。


「いやっ、助けてっ!!ぜったいにいやぁぁぁ!!」

 

 泣き叫ぶリピの声と共に、視界が真っ白になった。その強烈な光は、雷が近場に落ちたときと同じ状況ではないだろうかと俺は考える。


 死んだ。


 リピが自由になったところを見る前に、自由になるための儀式で俺は死んだと思った。


「よし、今です!!」


 受付嬢の声が聞こえ、徐々に視界が元に戻っていく。命の危機を覚えたのは俺だけではなかったらしく、ユーザリの受付嬢も息を荒くしていた。


「ごめんなさいっ。お願いします。なんでもしますから、ピアスだけは止めてください。本当にピアスだけは、止めてっ!なんでもしますから!!」


 リピは、受付嬢に縋りついて必死の懇願をしていた。


 魔力の全てを解放させるための嘘だったのだが、リピのトラウマを掘り返してしまう結果となった。俺は申し訳なくなったが腰が抜けているので、今は何も出来ない。ユーザリも同じような様子である。


「ピアスが何なのかは分かりませんが、そんなことはしません!落ち着いてください!!」


 受付嬢だけが、リピを宥めていた。


 リピは徐々に落ち着いて、俺たちと同じように座り込む。そして、子供のように声を出して泣きだした。


 大泣きだった。


 悪夢が現実にならなくてよかったという安堵の涙であり、恐怖を思い出してしまった涙でもあった。


「奴隷でなくなったことに喜びの涙を流す人は、たまに見るんですけどね……」


 恐怖心で泣き出す人は初めて見た、と受付嬢に言われた。

 


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