第30話それが『好き』



 俺は、一人でリピの元に戻る。


 リピは店の裏で、せっせと魔石の仕分けをしていた。一人だけでの作業だから進みは遅いが、それでも山のように積まれた魔石を品質ごとに分けている。内職をしているような風景だ。


「アゼリ様、おかえりなさいませ。あの……ご主人様は?」


 俺に気がついてリピは立ち上がって出迎えてくれたが、側にユーザリがいないと分かると不安そうな顔になる。自分の主人に何かが起こったと考えたのだろう。


 その健気な様子に、俺の胸は締め付けられそうになる。


 俺の方を見て欲しい、と思ってしまう。


「あの奴隷は、魔石を盗んでなかった。テオルデが盗んで、それを奴隷は追っていたんだよ。テオルデが捕まったから、ユーザリは警察に行った。今頃は、色々と事情を聞かれるはずだ」


 リピは、大きく目を見開いて驚いていた。警察という言葉に、さらに不安をつのらせているのが分かる。警察のお世話になるような事など日常生活ではないからであろう。


「ユーザリのことは心配するな。事情を聞かれているだけだから、すぐに終わるって。それより、夕飯を多めに作ってくれ。あの奴隷と主たちと夕飯を食べたいって、ユーザリが言っているんだ」


 その言葉を聞いたリピは、とても嬉しそうに微笑んだ。奴隷たちと共に食事を取れることを俺の想像以上に喜んでいた。


「お客様としていらっしゃるんですよね。だったら、腕によりをかけて作ります。最近は忙しかったら、お客様が夕飯にいらっしゃるのも久々なんです」


 俺はかなりの頻度で食事をご馳走になっているのだが、リピのなかでは客として数えられていなかったらしい。あまりに頻繁に来ているものだから、身内扱いされてしまった。嬉しいとは言わない。絶対に言わない。


「本当に嬉しそうだな……」


 俺は、リピの様子を見ながら小さく呟く。それは自然に口から出たもので、呟いた瞬間にリピには聞こえていないことに安堵した。


 奴隷の中でリピだけを特別扱いしてしまう矛盾する俺の醜さが表れているようで、後ろめたかったのだ。ユーザリの考えは受け入れがたいが、少し羨ましい気もする。


 ユーザリの中身の方が、リピに対する気持ちと他の奴隷に対する扱いの矛盾がないような気がするのだ。矛盾がないことは美しい。美しいものは羨ましい。


 リピには、田舎の奴隷たちは自分と同じものだという意識がある。それはリピ本人の価値観からくるカテゴライズなので、外野の俺が何を言ったところで変わらないだろう。俺が、自分は平民であると強く意識している事と同じことだ。


 俺とリピの考えは、とても似ているのだ。


 だからこそ、俺とリピは平等ではない。


 俺がリピのことを奴隷だと思わず、一人の人間として扱ったところで彼の思考の前提条件には身分差というものが立ちふさがる。この場合は、俺の『リピだけは特別』という矛盾した考えが歪なのだ。


 ユーザリが、リピとの関係を現状維持にしている理由が分かった。


 奴隷である自分には、選択権などないとリピは思っている。だからこそ、どんな無理難題であっても答えは決まっている。主人の意向に従うことが、リピの答えなのだ。


 その思考回路は、これまでのリピの人生で培われてしまったものだ。今まで見てきたものや感じて来たものをひっくり返すような転換は、どんな人間だって難しい。


 平民の身分になったとしても、自分で選択するということが今のリピには無理なのだ。


 だからこそ、俺の告白はリピには響かない。


 全てが最初から決まっているからだ。


 そうだとしても、俺は伝え続けたい。ユーザリのように、リピの成長を待ってはいられないのだ。俺とユーザリは、そういうところが違う。ユーザリはもっと大人で、ゆっくりとリピの成長を待つだろう。待てるだけの土台を整えるであろう。


「夕飯はパスタにする予定だったんですけど、人数が増えるのならば変えた方がいいですよね。そんなにパスタの麺もありませんし。ポトフとかがいいかな」


 リピは、楽しい夕飯に想いをはせているようだ。


「なぁ、リピ。この間、好きだと言ったな。それは、身分とか、ユーザリの事とかを全部なかったことにして、平等な立場でリピが好きだってことなんだ」


 俺の突然の告白は、楽しげだったリピを困惑させた。


 俺の中に、少しの戸惑いが生まれる。


 俺の告白は、リピを間違いなく困らせるだろう。それでも好きだと伝えたいと思うのは、俺の我儘に過ぎない。つまり、俺は大人になりきれていないのだ。


 誰かの庇護者になれないのだ。


「――……つまり、リピが選んでいいんだ。俺が好きなのか、そうではないのか。俺がリピを好きって感情は俺のもので、リピが必ず従うべきものじゃない」


 俺が思った通り、リピは途方に暮れてしまった。


 泣きそうな顔をして、落ち着かずに視線をさまよわせている。どうして良いのかもわからずに、主人であるユーザリを探しているようにも見えた。


 まるで、迷子になった幼子のようだ。


「僕は……その、無理なんです」


 リピは、何度も深呼吸を繰り返す。


 落ち着こうとしているのに上手くいかなくて、段々とリピの呼吸が荒くなる。呼吸の仕方さえも忘れてしまっているようで、いつの間にかリピは過呼吸になっていた。


「リピ、悪かった!俺の真似をして、呼吸しろ!!」


 俺は、リピの背中を呼吸のリズムで叩く。隣でゆっくりと息をすったり吐いたりして、呼吸の見本を見せた。やがて、リピは落ち着いてくる。


 苦しいだけの呼吸は落ちゆっくりになって、身体から力が抜ける。酸欠の苦しさで潤んだ瞳は煽情的であったが、その光景も今は申しわけなさしか感じない。


「……自分で選ぶなんて、怖くて出来ません。ごめんなさい。……怖いんです。やり方も分からないんです。自分の気持ちも分からないんです。……ずっとご主人様たちにゆだねてきたから、分からなくなってしまったんです」


 ごめんなさい、とリピは繰り返す。


 ごめんなさい、ごめんなさい、と何度も繰り返す。


「お前は、悪くない。悪くないんだ。悪かったのは、俺なんだ……」


 リピが混乱するのを分かっていながら、自分勝手な告白してしまった。こんな事になるのならば、告白なんてしなければ良かった。あるいは、一度目のように睦事とも取れる曖昧な告白にするべきだったのだ。


「アゼリ様は『好きだ』と言ってくださいましたが……それはどのような意味なのですか?僕は『好きだ』という言葉は、ベッドの上でしか聞いたことがなくて……。それは、一夜の幻のようなものとしか思えないのです」


 リピは、申し訳なさそうな顔をする。


 それが、とても可愛そうだった。


「好きっていうのは、忘れられないってことだと思う。俺も上手く言えないかもしれないけど、リピは魔石の加工が出来なくてもやり方とかを忘れなかっただろ。そういうのが好き……なんだと思う」


 リピは、自分の掌を見つめる。


 魔石の加工を続けた事によって固くなった指先や細かい傷。美しいリピなのに、掌だけは職人のものだ。


「好きっていうのは届かないときですら、常に思い描くこと……。そういうことなんでしょうか?」


 リピは、俺のことをじっと見つめた。


 彼が何を考えているのかは、俺には分からなかった。リピの瞳は強い光を宿しているのに、それに伴う感情を俺は知らないのだ。


「……だとしたら、僕はご主人様とアゼリ様が好きです」


 リピは、はっきりと答えた。


 あまりにも迷いがない言葉だったので、俺は喜びよりも不安になった。リピは『好き』という言葉にまつわる感情を勘違いしていないかと思ったのだ。


「御二人のことは、常に頭にあります。これは、今まではなかったことです。もし、僕が他の御主人様の所にいっても御二人のことは忘れないと思います」


 それは、情熱的な告白ではなかった。


 算数の答え合わせのような告白だ。分からないところ一つずつ確認していき、答えにたどり着いたが故の告白だった。


 淡々とした告白は、本物のリピの感情であるかどうか疑わしくも感じる。けれども、それを踏み台にしなければリピの成長はないだろう。彼は、ようやく自分の考えの一片を掴み取ったのだ。


「……自分の気持ちが分かったな。なら、今度はもっと色々なことが分かるはずだ。感情は一つじゃない。数え切れない程あるんだ」


 リピならば、ゆっくりであっても自分の感情を理解できていくだろう。好きという感情だって、俺が手を差し出さなくとも自分で見つけられたはずだ。俺が行ったのは、いらない荒治療に他ならない。


「あの……ご主人様とユーザリ様の御二人が好きな場合って、どうすればいいのでしょうか。アゼリ様の御気持ちに答えたとしたら、他の方をお慕いできないですよね。普通は、そうですよね」


 純粋な疑問を投げかけるリピに、俺の顔は引きつっていた。


 俺とユーザリに関するリピの感情は、本人しか分からないからだ。


 これは、俺の手に負えるような案件ではないような気がした。リピの情緒面が、もう少し育ってから答えを出すような問題であるような気がする。


「それは……俺も良くわからない。だから、リピがいつか気づくことなんだと思う」


 俺の声は、自信がないせいで尻すぼみになっていく。俺自身が情けなくて、リピと顔を合わせられなくなった。俺は、やはり大人になれないらしい。


 そんなふうに自分を恥じていれば、小さな笑い声が聞こえてきた。顔をあげれば、リピが小さく笑っている。その顔が可愛くて、俺は見惚れてしまう。


 リピは、やっぱり笑っていた方がいい。


 過呼吸で苦しそうな姿などは、もう見たくなかった。



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