第23話貴い人と呼ばれても


 その日は、俺はリピのベッドの隣にずっといた。


 俺が家にいることに対して、ユーザリは何も言わなかった。リピを「好きだ」と俺に言ってしまった事に対して、ユーザリなりに思うことがあるのかもしれない。


「んっ、ア……アゼリ様。僕は寝たんですか?」


 ベッドのなかで身動するリピは、眠気眼であっても俺を見つけた。リピが少しだけ安心した顔を見せたので、俺は幼子を見たときのような穏やかな気持ちになる。


 今までのささくれ立っていた気持ちが嘘のようだ。


「もう帰ってきたから、しっかり休んでいいぞ。今日は、よく頑張った」


 できるだけユーザリのことは考えないようにして、俺はリピを褒めた。


 俺の明るい声に、リピはきょとんとしている。褒められるなんて考えもしていなかったという顔だ。


「ああ……もう」


 まどろっこしくなって、俺はリピを抱きしめる。細い身体をぎゅっと抱きしめて、「偉い、頑張った」と何度も褒めた。


 一つのことを達成させるのは、好きなことであっても大変なことだ。


 ましてや、今回納期は厳しすぎた。倒れるまで働いたリピが褒められるのは、当然のことだ。


「皆が、お前のことを凄いって思っていたぞ。首飾りだって、スミル様の妹は喜んでいた。最高の仕事だった」


 パーティーのことを思い出したようで、リピは少しばかりの遠い目をする。修羅場を乗り切った時の目だ。


「頑張った……。僕は、頑張ったんですね」


 リピは、ふにゃりと蕩けた顔で笑った。


 この世で一番幸せで、まるで天国を見ているかのような顔だ。こんな表情は、どんな手管を持った男がリピを抱いても作り出す事ができない。


「楽しかったなぁ。また、作りたいです」


 三日三晩の徹夜という地獄を見た人間の言葉とは思えない。けれども、職人という人種らしい言葉でもあった。


 自分の腕を磨き、もっと良い物を作りたい。創るのが楽しい。挑戦したい。


 多くの職人と同じように、リピも同じ思いを抱いていた。こんなリピだからこそ、ユーザリは職人として信頼を置けるのだろう。


「そうだ、お洋服!立派なお洋服をいただいたのにシワになってしまいます!!」


 リピは、勢いよく起き上がった。パーティーに出席したままの姿でベッドに転がしていたので、リピは正装のままだ。ボタンに手をかけてジャケットを脱ごうしたリピに、俺は声をかけた。


「ちょっとまて、脱ぐな!」


 リピは、首を傾げる。


 どうして、と言いたげであった。


 恥ずかしいわけではない。もはや、何度も肌を重ねた仲だ。眼の前での着替えは目の毒だが、今夜に限っては何もする気が起きない。俺も疲れていたのだ。


「リピは、俺のことが好きだ。お前は、どうなんだ?」


 いつもならしないような問いかけに、リピはさらに戸惑ってしまう。答えに困っているリピを見ながら、俺は自分の滑稽さを嘲笑った。


 俺は、ユーザリの言動で不安をつのらせているだけだ。疲れているリピ相手に困らせるような事を言って、安心を得ようとしている。


 自分でも情けなくなるほどの弱さだ。


「えっと……御主人様のご友人だから好きですよ」


 俺の顔色を伺いながら、リピは言った。怒られるかもしれないと考えているのだろう。


 叱咤を恐れてまで俺個人を好きだと言わないのは、ユーザリへの操立てだ。主は以上に好きな人間など、奴隷が作るはずがない。


 俺は、御主人様のオマケでしかないのだ。


「……僕個人の感情が許されるならば、アゼリ様は得難い恩人です」


 リピは、そのように俺を表現する。


 恩人だなんて言われた事もないので、戸惑ってしまった。


「ご主人様をお店に連れてきてくれて、魔石に触るチャンスを僕にくれました。そして……僕に安らぎまで与えて下さいます」


 リピは、俺の手を取った。


 小さな傷が多い手は、紛れもなく職人の手だ。この手から、美しい魔石たちは生み出される。


 そんな大事な掌で、リピは俺の手を包むのだ。


「御主人様が求めてくれず、不安な僕を慰めて下さったのはアゼリ様です」


 自分の肉体でユーザリを慰める事ができず、性奴隷として不甲斐なく思う日々が最初は続いていた。


 そんな日々のなかで、ユーザリに言われるがままに俺はリピを抱いた。


 自分が無価値ではない、と思えたのだとリピは言った。主の役にたっていると思えて嬉しかったのだと。


「全部が、ユーザリ関連だな」


 苦笑いを浮かべる俺に、リピはすがりついた。腕の中にすっぽりと収まるリピは、切なげな表情を浮かべている


「あまりに得難く尊い方なので、僕はアゼリ様を介してご主人様を見てしまうことが……とても心苦しいのです」


 俺は、震えることしか出来なかった。


 リピのなかの俺の存在感は、予想よりも大きい。ユーザリのオマケだと思って不貞腐れていたのに、リピは俺を個人として見ようとしてくれていた。


 主人に仕えることを教え込まれるのが、奴隷という生き物である。そんな奴隷が、俺を見てユーザリを思い出すことに申し訳なさを覚えていた。


 俺が思うよりも、俺はリピに大切にされていたのだ。


 リピの感情を簡単な言葉で表せば、どのようになるのだろう。俺の都合の良い言葉で考えてもいいのだろうか。


「でも……奴隷の僕が何かを選ぶだなんておこがましいんです。僕たち奴隷の全ては、ご主人様のもの。無論、人生の選択ですら」


 リピは、再び服をボタンに手をかける。


 主人のユーザリが作ってもらったジャケットを宝物のように丁寧に脱ぎ、白いシャツ一枚だけとなる。質の良いシャツは肌を透けさせる事はなく、布の向こう側の存在を隠していた。


 しかし 俺は知っているのだ。


 白い布の向こう側には、欲情をそそられる金の輪が二つあることを。


「今夜も、どうかお情けを……」


 するりとズボンが落ちて、そちらに俺の視線が移った。若鹿のような足が露わになり、嫌が奥にも視線が太腿にまで伸びてしまう。


 身体に合わせて作られているシャツは、太腿すら隠さない。下着とシャツを脱がせてしまえば、現れるは淫らな性奴隷のリピだろう。


「今日は……疲れているだろう」


 断腸の思いで、リピの下半身に布団をかける。魅惑の足が隠れることで、俺の欲望に火がつくことは避けられた。寝不足で倒れるような人間に襲い掛かる獣にはなりたくない。


 安堵する俺とはちがって、リピは不思議そうな顔をしている。疲れているから休ませたいという俺の気遣いが伝わってなさそうな顔だった。


「こういうことがお望みではないのですか?色恋の話をする方は、大抵の場合は関係を結ぶことを希望されるのですが……」


 俺は、がっくりと肩を落とした。


 性奴隷であったリピにとっては、好きだの嫌いだのという言葉はベッドのなかのお供でしかないらしい。頭が痛くなった。


「お前ってヤツは……」


 突然、こんなことを言い出してしまう自分も悪かったのかもしれない。今までユーザリの身代わりに甘んじていた罰なのだろう。


「何かを勘違いしたようで、申し訳ありません。でも、アゼリ様が尊いお方ということは代わりがありません」


 リピは、少しばかり照れたように微笑んだ。そして、俺の服の袖を引っ張る。


「我儘を言ってしまいますが、今日は添い寝をしてもよろしいでしょうか?寂しげなアゼリ様を御一人にする訳にはいきません」


 そんなに寂しそうな顔をしていたのか、と俺は自分の顎をなぞった。


 そんな顔をしているのならば、ユーザリの告白のせいだ。


 夕方にユーザリに言われたことは衝撃的すぎて、色々な事が受け入れられていない。確かなことは、近いうちにリピが三つの選択肢の中から一つを選ぶということ。


 ユーザリを選ぶのか。


 俺を選ぶのか。


 どちらも選ばないのか。


「ああ……そうか。俺は、この日常が終わるのが寂しいのか」


 俺はリピを巻き込んで、彼のベッドに横になった。腕に包んだリピの体温で、あの時の感情がゆっくりと溶けていく。


 ユーザリに裏切られたと思った。


 それと同時に、この少し歪んだ日常が終わるのではないかとも恐れたのだ。煮えきれない今の環境は、俺にとって都合が良すぎたのだ。



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