第22話今更になって好きとは言わないで



 結局、リピはパーティーの終了まで眠り続けた。


 パーティーが終わっても起きる気配はまったくなく、スミル様は「どれだけ無茶させたのよ」と笑っていた。


 なお、無理の原因はスミル様の注文であるが、俺たちは何も言わない事にする。世の中には、黙っていた方が良いことが多いのだ。


 眠ったリピをユーザリが担いで、俺たちは帰路についた。街は夕暮れに染まっていて、どこか物悲しい雰囲気がある。


 一日の終わりであるからだろうか。


 今日のうちに達成できなかった事が頭を過ぎって、苦しくなるからなのかもしれない。本日に限って言えば、俺の成果は上々だ。


 ファナは、未熟者の烙印を押されなかった。


 リピは、大勢に認められた。


 俺は、スミル様の父と紳士たちに新商品を売り込めた。


 これ以上充実した日は、なかなかないであろう。なのに、やり残した事があるかのように重々しい気持ちになる。


 もしかしたら、眼の前の光景が原因なのだろうか。俺の隣では、眠ったままで目覚めないリピを背負うユーザリがいる。


 ユーザリも疲れているので、背負うのを代わろうかとは声をかけたのだ。なのに、リピを背負う役目を俺に譲ることはない。


 触らせたくない、とでも言っているようだ。


 ユーザリが示した突如の独占欲に、俺は少し戸惑う。今までは、こんなふうではなかった。


 俺とリピを共有することを許していたし、むしろ推奨していた。自分が欲しいのは職人としてのリピだけだと言うばかりに、肉体的な触れ合いは俺にさせていたぐらいだ。


 それが、今は違う。


 リピの身体の重みを感じるユーザリの顔が、どことなく幸せそうなのだ。自分に全てを委ねてもらえていることが嬉しい、と言わんばかりの表情だった。


 ユーザリは、こんな執着はリピに対して見せなかった。こんなにも強い執着なんて――。


 もしかしたら、俺が恐れていたことが起きたのかもしれない。


「ファナを庇ったところ、格好よかっぞ……」


 現実を見たくなくて、俺はあえてリピの話題をしなかった。リピの寝顔も穏やかで、それを見ただけで敗北感がつのるのだ。


 それに、ユーザリを格好いいと思ったことは本当だ。一方的に婚約破棄をした女の窮地を救うなど、俺には一生出来ないだろう。


 リピのことも相まって、俺は自分の情けなさを心の中だけで嘲笑う。もう少しでいいから、男としての自分を強くしたい。


「……リピの一生懸命で楽しそうに仕事をする様子を見て、ようやく俺のところからファナが去った理由が分ったんだよ」


 夕焼けに染まる街を見ながら、ユーザリは語る。その声に悲しみはなく、淡々としていた。己の失敗には、もう決着をつけたと語っていた。


「俺はファナを女として愛し過ぎていて、職人としては見れなくなっていた」


 それは、どことなく俺も察していた。


 愛によって目が曇り、経営者としての判断を間違える。だが、それはファナがいなくなったことで改善された。


 ファナが去ったからこそ、ユーザリの目が覚めたとも取れる。ファナはユーザリのことを考えて、婚約者の元を去ったのだろう。


 いいや、もう考えても仕方がないことだ。だって、これは終わったこと。


「経営者として良いものを作れるように職人を叱咤激励できず、甘やかすだけになっていたんだよ。だから、ファナの腕が一流には届いてなくても見て見ぬふりをした」


 ユーザリは、自嘲する。


 なんで気が付かなかったのだろう、と言いたげであった。それに対して、俺はなにも言えない。盲目になるほどの恋なんて、俺だってしたことがなかった。


「ファナと共にいたら、一緒に駄目になっていたかもしれない。……こんな単純な事なんだから俺が気づいてやれたら、テオルデみたいな奴のところには行かせなかったのにな。もっとファナに相応しい店を紹介できていたかもしれない」


 終わったのだ、と俺は理解した。


 ユーザリとファナは、これからも同じ街と同じ業界で生きて行く。だが、男女として求め合う二度とないだろう。


 彼らの関係は、真の意味で終わったのだから。


「ファナを……テオルデに取られた理由が分からなかった。だから、今度も取られるかもしれないって臆病になっていた」


 ユーザリは、急に足を止めた。


 緊張で心臓の音がうるさい。これから起こるだろう良くないことから逃げたくてたまらなくなった。


「でも、理由が分かった今ならば同じ間違いはしない」


 ユーザリは、俺を見据える。


 言うな。


 言ってくれるな。


 俺が、その言葉をどれだけ恐れたか。


「俺は、リピのことが好きだ。職人としてだけじゃなくて……好きなんだ」


 ズルい、と俺は思った。


 子供みたいな感情だ。


 ユーザリが、奴隷であるリピをどのように扱っても合法だ。俺は、ユーザリの許しがなければリピに触れることすらできない。


 そういう法律だからこそ、ユーザリには否はなかった。我儘な俺が、それを受け入れられないだけで


「好きにならないって言っただろ……。それに主のお前がリピを求めたら、もうハッピーエンドだ」


 主であるユーザリが命じたから、リピは俺に抱かれているのだ。唇さえ許されない俺は、お払い箱になるに決まっている。


「アゼリ……。俺は、リピに選ばせても良いかもしれないと考えていた。金を払って、奴隷の身分から開放させて……主と奴隷の関係を解除する」


 ユーザリは、リピを奴隷の身分から解放する気だと言った。現状では、信じられない言葉だ。


 主と奴隷という身分差があるからこそ、ユーザリの一言で解決するのだ。リピの所有権をユーザリが手放したら、そんな権利はなくまってしまう。誰を愛しく思うのかもリピの自由になって、もしかしたら誰も選ばないかもしれない。


 いや、そんなことよりも大切なことがあった。


「職人としてのリピを手放したくないじゃないのか。自由にしたら、他の店に引き抜かれるかもしれないんだぞ!」


 ユーザリの店には、絶対にリピが必要だ。


 だからこそ、雇用契約よりも強い主人と奴隷の関係だけは手放すことはないと思っていた。リピは、ユーザリのモノであり続けると侮っていたのだ


「リピの必死の仕事のぶりを見ただろう。ファナの職人としての意地を見ただろう……。リピが俺の元を去るときは、俺が何かを見誤ったときだ」


 ユーザリから感じるのは、リピへの信頼だ。本来ならば、奴隷に向ける感情ではない。


 ユーザリは、本気でリピを自由にする。


 彼の自由意志に全てをゆだねて、自分が選ばれることがなければ身を引く。続いていくのは、店主と職人との関係だけ。


「ズルい……。最初に、俺はリピの事を諦めようとしたんだ。お前が、リピを買ったときにあきらめようとしたんだよ」


 俺がリピを一目見たときの衝撃は、ユーザリには分からないだろう。友人にリピを買われた時の絶望など想像できないはずだ。


「今更……好きだなんて言うなよ」


 俺は、リピの頬に手を伸ばす。それをユーザリは咎めず、俺の自由にさせてくれる。


 リピの柔らかな頬が愛おしくて、俺は少しだけ微笑んでいた。こんなに愛しくて恋しいのに、どうしようもなくリピが恐い。


 彼が生まれて初めて与えられた自由な意思は、俺を選んでくれるだろうか。


 俺はユーザリと違って、リピに自由など与えたくはない。身分の差があるから仕方がなく言うことを聞いてくれていたとしても、俺はリピを抱きしめ続けられる確かな権利が欲しかった。


 つまり、俺は心に高潔さなどないのだ。

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