第18話無茶苦茶な依頼
ユーザリは閉店後のドアを叩き、叫び狂っていた女性を近所迷惑だからという理由で招き入れる。着替えて店に戻った俺とリピは、店を無理やり開けさせた人物の登場に驚く。俺にとっては、特に予想外の人物だった。
「スミル様。一体、何があったのですか!」
スミル様は、馴染みの人物である。彼女の父親が俺の店を気に入ってくれていて、その付き添いで何度も店に足を運んでくれている。店のドアを叩いていたのは、どうやら彼女だったらしい。
俺は、思わず納得してしまった。スミル様は気が強く、こうと決めたら譲らないのだ。
そんな彼女が閉店後に突進してきたということは、無理難題を持ってきたのだろう。俺の店であったことなのだが、彼女は他の店で断られた案件を持ってくることがあるのだ。
「あら、どうしてアゼリがいるのかしら?」
不思議そうなスミル様に、ユーザリは俺の友人だと説明する。自信たっぷりの立ち振舞いの若い女性の名は、スミル・アーゼル。
彼女の父親は、俺の店の眼鏡を愛用していただいているお得意様なのだ。お洒落なものを好み、小まめに店に足を運んでくれる。
その縁があって、スミル様も俺の店に父親やコロコロと変わる恋人たちのプレゼントを買いに来ることが多かった。
お嬢様然とした格好をしているが、祖父の代から貿易に成功した成り金と呼ばれる人種のスミル様は「女は度胸と肝っ玉」という家訓の元に育った。
普通の女性ならば結婚での成り上がりを目指すが、スミル様が注目しているのは印刷技術だ。今のところ儲けは出ていないようだが、本などの印刷物の数を増やして新たな商売の土台を作りたいと走り回っている。
その活動は世間では奉仕活動と言われているが、本人は新たな商売の土台を作るためだという。
俺には良く分からないが、簡単に言えば『手軽に本を読む』という習慣を作って、小難しい本と宗教書以外の印刷物を売れるようしたいということだ。壮大すぎる商売計画である。
ともかく、人々の習慣を変えてまで儲けを出そうとしているパワフルの女性なのだ。そして、一般的な淑女の定義から大きく外れているので、美人だというのに恋人は安定しない。
「私の可愛い妹が十五歳の誕生日だから、あの子が好きな蝶のネックレスを作って欲しいのよ。飛び出すみたいに立体的なデザインにしなければ駄目よ期限は、三日後」
スミル様は、どこかの画家のスケッチを取り出した。それは蝶の絵で、スミル様の妹が好きな画家が描いたものらしい。
鮮彩なタッチで描かれた蝶をアクセサリーとして再現しろ、というのがスミル様の言い分だ。
スケッチを押し付けられたユーザリとリピは、二人そろって唸り声を上げた。スミル様の注文が難しいものだともの語るような光景だった。
「……すみません。そのままスケッチを再現するのは無理があります。特に首飾りにするには強度が足りない。素肌に付けるものですから、魔石が砕ければ怪我に繋がります」
ユーザリの返答に、リピも頷いた。リピの腕を持ってしても、鮮彩な蝶の再現は難しいらしい。
「少しデザインを変更すれば、蝶のモチーフは可能ですよ」
ユーザリは、にこやかに自らの提案を口にする。営業の時間外でも接客できるところは、まさに店主の鏡だ。
「別の店の職人にも言われたのよ。そしたら、デザインを蛾にされたわ。蛾にね」
蝶を少しでも太くすれば、たしかに蛾になるだろう。そんなことを俺が考えていれば、リピが声を上げる。
「細かい部品とフレームを金属で作れば、強度が上がるかもしれません。……図案の制作のための紙と鉛筆を持ってきます」
リピが工房から道具を持ってくれば、ユーザリは苦笑いする。それに気がついたリピは、怒られた犬のようなしょげた表情をしていた。
「……勝手に行動してすみません」
リピは、勝手に道具を持ってきたことを反省していた。蝶の首飾りの依頼を受けるとは、ユーザリは一言も言っていない。
「やれるかもしれないと思ったんだろ。図案を描いて、強度の予想だけやってみるか」
ユーザリの言葉に、リピが顔を輝かせる。
俺は、その笑顔に面食らう。面倒くさい依頼だというのに、リピはとても楽しそうであった。クリスマスにプレゼントの中身に、ワクワクが止まらないという顔である。
それから。一時間。
ユーザリとリピは、ああだこうだと言いながらアイデアを出し合っていた。スミル様には椅子に座って頂き、お茶も出している。
なぜか、俺が。
「石の質をあげても、そこまで薄くしたら強度が下がりすぎる。少しの衝撃で砕けるぞ」
「でも、首飾りとしては重すぎます。チョーカーにすれば負担が減るでしょうか?」
「チョーカーは、首輪を連想させるから誕生日プレゼントには向かない。身内のプレゼントとはいえ、婚約者がいるパーティーでは特にそぐわないだろう」
ユーザリとリピは、違いに意見を交換し合う。それぞれの経験や知識、そして技術を組み合わせて一つの作り出す算段をしているのだ。
そこには、主人と奴隷の垣根などない。
二人にしか出せない空気のなかで、彼らは二人にしか出来ないものを作りだそうとしていた。難しい顔をしているのに、どこか二人の声は弾んでいる。
俺は、絶対に入って行けない領域だった。
互いに好きなものが同じで、同じ方向を見ることが出来る。そんな同胞との会話は、何よりも尊い時間であろう。ユーザリとリピは、その領域にいる。
いくら肉体を繋げても届かない領域で、二人は真剣な顔をして楽しんでいた。
「お客様」
ユーザリは、紙に描かれた首飾りの図案を広げる。リピが新たに書き起こした図案は繊細な蝶の特徴をとらえており、立体的なデザインだった。
「蝶の足、胴体、触角などの細い部分はエナメルで仕上げます。翅もエナメルでフレームを作って、そこにステンドグラスのように魔石をはめ込みます。魔石の色を透明感があるものにすれば、よりガラスのような質感に見えるはずです」
エナメルとはどんな材質なのだと考えているのは、俺だけのようだった。俺以外の三人は、真剣な顔をしている。
「さらにエナメルの花の飾りを設置し、それを蝶に土台にすることで強度をあげます。これによって普通にお使いになる分には困らない強度になると思いますが、如何でしょうか?」
ユーザリの説明を聞いたスミル様は、じっくりと設計図を見つめる。
「エナメルを多用するのね。前の職人は、魔石だけで蝶を作ろうとしたのに……」
スミル様の言葉に、ユーザリは苦笑いをする。
「アクセサリーで大切なことは、美しいことです。そのためには、様々な材質のものを使っていい。ましてや、お客様のご要望を叶える為ならば、職人の腕と店で仕入れられる材料の全てを使うべきですから」
ユーザリとリピの視線が、しっかりと絡み合う。そこには、確かな信頼があった。
互いが互いを必要としあっている光景が、あまりにも尊くて美しい。
「分かった。あなたたちに任せることにするわ。アザリの友人は、自分のところの職人の腕にとても自信を持っているのね」
スミル様は、リピのことをしげしげと見つめた。見られることは慣れているリピは、如才なく微笑む。元居た見せでも見せていた笑顔だから、これは彼の営業用スマイルなのだろう。
「面白いから、三日後の誕生日パーティーにプレゼンを直接もってきてちょうだい。アクセサリーのでき次第では、パーティーの参加者に紹介してあげる。アゼリ、あなたもお父様に新作の眼鏡を売り込みに来て良いわよ」
急に名前を出された俺は、驚くしかなかった。売り込みに言ってもいい、というお誘いはありがたい。最新のメガネフレームやオススメのデザインのカフスがあるのだ。
東洋の竹という素材で作られたメガネフレームとべっ甲のカフス。どちらも落ち着いた色合いで、壮年の男性客の気品を高めてくれる。しかも、竹のメガネフレームは軽くて掛け心地が良いのだ。
「ありがとうございます。当日は、ここにいる全員で参加させてもらいます」
頭を下げた俺たちは、嵐のように去って行ったスミル様を見送った。店のドアがしっかりと閉まった途端に、ユーザリの顔が般若のような表情を作る。
「三日後まで誕生日プレゼンを作れだなんて、無茶苦茶な注文をつけるなっ!パーティーに直接持って来いだなんて、面倒なことを言うなっ!こっちは作業だけで手一杯なんだぁ!!客と売上が少ない状態じゃなかったら、絶対に断っているからなぁ!!」
肩で息をするユーザリには、誰も話しかけられなかった。恐ろしい迫力だったのだ。
スミル様の注文が無茶なことは察していたが、ユーザリが自信たっぷりだったので余裕があると思った。だが、そうでもないらしい。
「リピは、もっと細かい設計図を今すぐに描け。俺は、業者に一番良い材料を融通してもらってくる。エナメルはあんまり使わないから、在庫の染料の数は少なかったよな……。あと、リピの正装の準備もか!プレゼント用にってことは、三日後までに特注のジュエリーボックスもどうにかしないといけないのかよ!!」
いきなり忙しくなったとばかりに、ユーザリの指示が飛ぶ。
といっても、材料の調達や服の準備といった大半が彼自身の仕事だ。相変わらず忙しそうである。なお、これに通常業務も加わる。一刻も早く従業員を雇うべきだ。このままでは、ユーザリが過労死してしまう。
「あと、アゼリは邪魔だからしばらく来るな!ただし、食事の差し入れと掃除に来るのは認める。むしろ、積極的に来い!!」
俺は邪魔者扱いされたあげく、勝手に食事兼掃除係に任命された。
なお、無給。
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