第17話冷たい水で拭かれた逢瀬
店の奥から、音が聞こえた。
振り返れば、リピが立っている。工房の掃除を終わらせたらしく、汚れの付着した雑巾を握りしめていた。鼻の頭に汚れがついていて、なんだか子供みたいに幼い出で立ちだ。笑いを誘う格好だが、それを引き立てる溌剌とした笑顔が可愛らしい。
「アゼリ様、いらっしゃいませ。今日も御掃除をありがとうございます」
ぺこり、とリピは頭を下げた。
これから抱かれるだなんて知らないような無垢な顔に、俺の方が気後れしてしまう。リピは俺の考え何て知らないとばかりに、ユーザリに声をかけた。
「夕飯はすでに作っているので、温めて召し上がってください。僕は、先に休ませていただきます」
パタパタと足音を立てて、リピは店から姿を消した。
彼の部屋は用意されているので、そこに向かったのだろう。リピを抱くのに使っている部屋でもあり、今日も準備を整えて俺を待っているはずだ。
「……お前の気持ちは、分かっている。でも、リピにとって主人のお前は特別なんだ」
リピの姿が見えなくなってから、俺はユーザリに声をかけた。
リピを好きになり過ぎて、俺は頭がどうにかしていたのだ。
リピはユーザリの奴隷なのだから、どう使っても自由だ。それなのにユーザリを責めるような事を言って、友人に罪悪感を抱かせようとしている。
――罪悪感でもなんでもいいから、リピを抱いてくれ!
声にならない声で、俺は叫ぶ。生殺しなのは、俺でもあるのだ。いつか捨てられると分かっていて、俺が身を引けばハッピーエンドになるとわかっているのに、この状態が続いていくのはたまらない気分になるときがある。
それ以上は会話を続けられず、俺はリピの部屋に向かった。リピの部屋は、ユーザリの父が使っていた部屋である。
亡くなって日が浅いこともあり、荷物のほとんどが残されたままだ。思い出の品や私物などは箱に詰められて部屋の端に寄せられていたが、大きな家具の配置は変わっていない。奴隷であるリピの私物はないにひとしいので、人によって引っ越しなのだろうかと疑うかもしれない。
そんな部屋の中で、リピは濡れたタオルを使って身体の汚れを落としている。
個人の家に風呂などない。熱い湯を水で薄めて適温にし、それで身体を拭くことで清潔を保っていた。
「アゼリさまもお使いになられますか?なら、お湯を沸かしますが」
お湯を沸かした気配がないと思っていたら、リピは水で身体を拭いていたらしい。
真冬ではないが、長そでを着るような季節である。水で身体を拭くには寒すぎる。今までも俺が来る日は、急いで身綺麗にするために水で身体を拭いていたのかもしれない。
「俺は家でやってきたからいい。それより、これから寒くなるんだから、お湯で身体は拭けよ。急がせたりしないからな」
リピの身体は、すっかり冷えていた。前も身体が冷たいことはあったが、俺は冷え症なのだろうと思ってしまっていたのだ。もうちょっとで良いから気にかけてやるべきだった。
リピを自分のモノにしたいと考えているくせに、自分が鈍くて嫌になる
自分でも知らない内に、見逃している事が何個あるのだろうか。そのなかには、リピの気遣いやユーザリの感情などが入っているような気がした。
「冷たい身体が不快でしたら、お湯をすぐに沸かします」
リピは服を羽織って、湯を沸かしに行こうとした。
俺は、それを止める。
「俺が温めるから。今日は、そのままでいい。今度からは、どんなに急いでもお湯を仕えよ。ユーザリだって、お前が風邪を引くのは望んでないからな」
ユーザリの名前が出た途端に、リピは神妙な顔になった。その真剣さがに、俺の力は抜けてしまった。
「お前は、主人のユーザリが好きなんだな」
俺の言葉に、リピは花も恥じらうような可憐な笑顔を見せる。自分の全てを曝け出している相手には、決して見せることのない笑顔である。その顔が、全てを物語っていた。
リピが、ユーザリを心の底から慕っている。その感情は、奴隷と種人の垣根を超えているような気さえした。
ユーザリは肉体を使うこと以外のことで、リピを認めてくれた人間だ。そして、魔石加工の場を提供してくれる恩人でもある。主人というだけではなく、ユーザリに感謝と愛情を感じるには十分なことだった。
主人と奴隷。あるいは性奴隷。
そのような複雑な問題を取っ払ってしまえば、それは可愛いだけの恋である。俺が静かに退場すれば、ハッピーエンドなのだ。
「……ご主人様のことは、お慕いしています。とても良くしていただいていますから。でも、夜のお誘いがなくて。僕では、御主人様を慰めることなんて出来ないんですね」
無理をして笑うリピが、あまりにも痛々しい。なりふり構わずに抱いてくれ、とユーザリに迫りたいことだろう。しかし、それを主従関係が許さない。
リピは、ユーザリの心変わりを願うことしか出来ないのだ。
「ユーザリはお前を必要としているし、嫌ってない」
恋愛ごとにおいて、こんな言葉ほど無意味なことは俺だって知っていた。愛されたいという欲望は、『嫌っていない』という言葉では収まらない。
俺は、生まれたままの姿のリピを抱きしめた。リピは、俺の背中に手を回す。そこには、俺が求める感情はないだろう。
「……リピ、今日は全てを俺に任せろ。お前は、何もしないでくれ」
腕の拘束を解いて、俺たちは違いに見つめ合う。リピの無垢な瞳から感情は読み取れず、俺は少しばかり戸惑った。けれども、彼が俺を拒否することはない。
たった一つの行為を除いて。
俺は、素直なリピの肩を捕まえた。唇を奪われると勘違いして、リピが顔を背ける。主の許可がなければ、彼は唇を許さない。
俺は、そんなリピの隙を突いた。
俺の正面に据えられたのは、リピの喉仏。そこをじっくりと舐め上げる。生物の弱点を弄ばれたリピは、小動物のように小さな声を上げさせた。
狐がネズミを捕えるように。
お前は獲物で逃げられないのだ、とリピに思い知らせる。人体の弱点を突かれて、リピは身体を震わせた。
次に口に含んだのは、リピの耳である。エルフの血が流れている割には、人間と寸分違わない耳だ。耳朶に歯を立て、柔らかく喰む。
他の人間の耳の食感など知らないが、想像していたものよりも硬い感触である。これは、エルフの名残りなのだろうか。
「アゼリさま……。僕は、あなたの事を」
その先の言葉が怖くて、俺は指先でリピの唇を割り開く。どんな言葉を聞いたとしても、俺は信じることなど出来ないだろう。
「ちょっと、店を開けなさい!緊急事態なのよ!!」
店のドアを叩く音と女性の怒鳴り声が響き渡り、俺たちは今までの事など全て忘れて顔を見合わせた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます