第6話元婚約者登場


 ふわりと自然にカールした赤い巻き毛に、大きな青色な瞳。可愛らしいと言える容姿の彼女は、大きな封筒を持っていた。


 彼女の登場に、俺とユーザリは唖然とする。


 ユーザリの元婚約者のファナ・リゼリだった。


「テアルデさん、この店のことはもういいんです。法的に、この店はユーザリのものだということが決定されましたから。裁判をするまでもないと役所に言われました」


 ファナは、硝子のショーケースの上に封筒を置いた。戸惑いを隠しきれずにいたユーザリだが、大きな封筒を開けて中身を確認する。


 でしゃばるべきではないと思った。しかし、好奇心には勝てない。俺は、ユーザリの後ろから封筒の中身を覗き込んだ。


 封筒の中に入っていたのは書類で、店が誰の物であるか証明するものだった。書類には、たしかにユーザリの名前が記入されている。


 俺は、ユーザリが安堵の息を吐くのを見た。


 いくら自分に有利なことが分かっていても、店を取られるかもしれない不安というのは精神的に辛いものがあったのだろう。


 その気持ちは、俺にも理解できた。


 商人にとっては、店は居場所なのだ。住居と一緒になっているからという理由ではない。これは店を経営しないと分からない感覚であろう。


「裁判をするまでもないって、本当に役所が判断したんだな……。明日から、店は開ける。商品の在庫はあるし、それが売り切れる前に職人だって探す。絶対に、探す。この店は、俺が存続させて見せる」


 ユーザリの言葉は、経営者ならば誰でも持っている矜持だ。


 店を潰すということは、商人にとっては自分の全てを失うことだ。暮らしを支え、物を売るためのアイデアさえも注ぎ込んできた場所が店なのである。


 しかし、現状ではユーザリに残された時間というのは多くはない。


 ただでさえ、店を閉めていた期間が長いのだ。顧客は他に流れてしまっているかもしれない。それに、在庫分だけではいつまで店の維持費を賄えるかも分からないだろう。


「新しい職人って……。あなたは、その人を満足させられるの?私には、屑石しか加工させられなかったくせに」


 ファナの言葉に、ユーザリは拳を握った。


 職人に道具や材料を提供するのは、経営者の仕事である。魔石の提供は、特に重大な仕事になる。そのため、経営者たちは独自の魔石の入手ルートを持っていた。


 代々も続く宝飾店の主であるユーザリが、貧弱な魔石の入手ルートしか持っていないとは俺は考えていない。ファナの父だって、魔石には文句一つも言っていなかった。


「新しい人だって、きっとあなたを見限っていくわ。職人に材料を提供できない経営者なんて、そんなの不必要なのよ」


 ファナは、テオルデの肩にしだれかかった。女性らしい仕草は、ユーザリと一緒の時には見られなかった色っぽさである。


 テオルデは、勝ち誇ったような表情を見せる。ファナが捨てた男の前で、自分の有利を示せるのが嬉しくてたまらない様子だ。


「テオルデさんなら、最高の魔石を用意してくれる。最高の魔石さえあれば、私は誰にも負けない職人になれるの……」


 ファナは、店の壁を睨んだ。


 かつて、そこにはファナの父がコンテストで優勝した賞状が飾られていた。


 彼が亡くなってからは外された賞状であったが、ファナが優勝すれば同じ場所に同じ賞状が飾られるはずだった。


 けれども、ファナはコンテストに優勝できなかったのだ。


 ファナが優勝を逃したコンテストは、天才と呼ばれた職人のモーグルも受賞したという名誉あるものだ。父とモーグルを尊敬していたファナは、そのコンテストでの優勝を夢みていた。だが、彼女は優勝を逃してしまったのだ。


 自分の腕を信じていたファナは、優勝を逃した理由をユーザリが最高の魔石を用意できなかったせいだと結論つけたようだ。


 コンテストでは、魔石の準備からが実力の内だと言われることが多い。自然から輩出される魔石は、品質を均一にすることが難しい。そのせいもあってコンテストの主催者側は魔石を用意せずに、職人たちに入手をゆだねるのだ。


 ファナは質の高い魔石を手に入れるためには、より資金が必要だと考えた。ユーザリよりも財力があるテオルデを選んだのは、そのためである。


「あのさ……ファナ。部外者の俺が言う事じゃないのかもしれないけど」


 ファナが、ユーザリが用意する魔石では満足できない理由。その理由を察した俺は、少しばかり戸惑った。だが、それしか考えられない。


「お前って、今まで魔石の質に頼っていて……。あんまり腕が良くないんじゃないのか?」


 俺の一言に、周囲の空気が氷った。


 この場にはファナの作った商品はないが、ファナの言い分ではそのように感じるのだ。


「何を言っているのよ。私の腕は、お父さんと同じぐらいよ!」


 ファナが俺の眼の前に突きつけたのは、二つのチョーカーだった。俺には、全く同じものに見える。


「父と作ったものと私が作ったものよ。違いは全くないはずよ。私の腕は劣っているって、これでも言えるの!」


 胸元に突きつけられたチョーカーに、俺はそっと触れてみた。艷やかに半球体にカットされた魔石はつるりとして傷が一つもない。色は、可愛らしい桃色だ。


「ほら、お父さんと同じよ」


 ファナは、自信たっぷりであった。


 その時、俺の後ろから白い手がにゅっと生える。耳元には生暖かい息が触れて、俺は悲鳴を上げそうになるほど驚いた。


「あっ、やっぱり。これは同じ人が仕上げしていますね」


 俺の後ろにいたのは、リピだった。


 リピは俺の肩越しからチョーカーを摘み上げて、じっくりと観察している。


 おかしな体勢だ


 子供がおんぶを強請っているようにも見える体勢だが、俺とリピの身長差があまりないので耳元にかかる吐息に緊張してしまう。


 チョーカーをもっとよく見ようとしているせいなのだろう。リピが、さらに俺に密着してくる。


「ちょっと待て。待てって、リピ!それ以上、くっつかれたら……」


 少し硬い癖に、若木のような爽やかな香り。これがリピの身体で、匂いなのだと実感したせいで――俺は勃起した。


 ズボンを押し上げるテントに、向かい合う形になっていたテオルデだけが気がついた。可愛そうなものを見た、というばかりの顔している。


 死にたい。


 俺は、心の底からそう思った。


「ここの削り方。少しだけ凹んでいるんですけ、左利きの人によくある癖なんです。彼女は右利きみたいだし、同じ深さの凹みならば同じ人が作ったとしか思えないですよね。手の力の関係で、そうなるんです」


 相変わらず、リピは俺の背中越しで喋っていた。俺の緊急事態に彼は気がついていないし、テオルデ以外も気がついてない。


「私が、父の作品を自分のものとして発表しているっていうのね。酷い言い分だと思わない、テオルデさん」


 名前を呼ばれたテオルデだったが眼の前に俺という勃起男がいるせいで、ほとんど話が耳に入っていないようだった。「え……あっ、ああ」という生返事を返している。


「そもそも、あなたは何者……」


 今更になって、ファナの視界に俺が入った。リピを指さしたついでだったが、うら若き乙女のファナは悲鳴を上げる。


「何なのよ、それは!もう、ここは嫌!!テオルデさん、帰りましょう」


 ファナは、嵐のように去っていく。その背中を追うテオルデだが、不意に彼は足を止める。


「私は顔立ちが整っているし、社交界で何度か言い寄られたこともあるが……。すまない、君は好みではない」


 そう言って、テオルデは去っていった。


 勘違いで振られたせいなのか。


 それとも心理的なショックが続いたせいなのか。


 俺の息子は大人しくなっていて、ユーザリとリピは急に去っていった二人に首を傾げるのであった。


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