第2話買った商品は持って帰れ


 酔っ払いのユーザリだったが、店を経営しているだけはあって売買契約のときには比較的しゃきっとしているように見えた。


 しかし、それはあくまで見かけ倒しだ。酔いが回った頭では、深く物事を考えられてはいないだろう。


「リピを買う」と宣言してからやってきたのは、女性の店主だった。五十代ほどの女性はタバコを咥えながら、店員に書類を持ってこさせる。


 彼女もユーザリが酔っぱらっていることは分かっているらしく、何度も売買契約について説明をする。ユーザリは、その度に「分かっている」と返事をかえした。


 絶対に分かっていないであろう。


 奴隷の売り買いは、さほど珍しいことではない。それに伴う手続きも大抵の場合は、書類一枚で終了となる。それは高級な奴隷でも変わらないことらしく、リピはものの数分でユーザリのものとなった。


 書類の記入が終われば、リピの手の甲の奴隷紋が輝いて形を微妙に変える。俺には前の物と区別がつかないが、これによって主がユーザリに変更されたと記録されたらしい。


「リピは、エルフの血筋だからね。魔力が高すぎるから、感情的になるとちょっと扱いづらいよ」


 そのような重大事項は客が買う前に言うべきだが、女店主の言葉に俺は少し驚いた。


 奴隷というのは、すべからず亜人の祖先である。人類に敗戦した彼らは奴隷化したが、それも数百年も前のことだ。


 今では人間と亜人の混血化は進み、亜人の特徴を残すために繁殖計画を立てている場合を除いては人間の姿をしている者が多い。そんな事情もあるため、金で平民の立場を奴隷に買い与えることも可能ではあった。


 リピもエルフ特有の尖った耳は見つからず、その端麗な姿以外は普通の人間のものである。しかし、元が長寿なエルフだ。他の種族よりは世代交代も遅くて、先祖の魔力の高さを残しているのかもしれない。


「魔力が高いといっても、攻撃的になったときに静電気が流れる程度の威嚇をするだけだろ。ファナの場合は、そうだったよ」


 嫌なことを思い出したとばかりに、ユーザリは唇を尖らせる。


 魔石宝飾職人は、その名の通り魔石を削って宝飾品を作り出す。魔石は削る際に魔力を込めると色合いが変わるために、職人になるためには魔力を持っていることが必須である。


 そうやって生み出される魔石を使った宝飾品たちは、普通の宝石よりも色鮮やかで表情も豊かだ。ユーザリの店は、その魔石で作られたアクセサリーを主に販売していた。


「この子の場合は、静電気ではすまないんだよ。人の命は奪ったことはないし、根が素直だから滅多なことはないとは思うんだけどね。ただ……一度だけ手荒な客にちょっとした火傷を負わせて。まぁ、あっちが全面的に悪いんだけども」


 リピの売買契約がスムーズに行われたことに、俺は納得した。


 店で働かせる性奴隷としては、リピはあまり都合がよくなかったのだろう。いくら美しくとも、万が一にでも客に怪我をさせる可能性がある商品は使いにくい。


 それにしても「人の命は奪ったことはない」というのは、穏やかな表現ではない。俺の視線に気がついた女店主は、むっとしながら口を開く。


「そっちの眼鏡は疑り深いね。本当にちょっとした火傷だよ。むしろ、それぐらいだったんだから感謝して欲しいぐらいだ。あれだけリピに執着していたくせに、あんなところにピアスまで付けさせてからね」


 女主人が言うあんなところというのは、乳首のことだろうか。たしかに一般的なものではない。俺の視線は無意識にリピの方に向いていたが、彼に微笑まれたせいもあって胸元を確認できなかった。


 リピの純粋そうな笑みで、瞬間的に心不全を起こしそうなほど心臓が高鳴ったのだ。


「あー、そっちもだけど。下というか……。まぁ、男の大事なキノコにピアスを付けられたわけだ。穴は塞がっているけど、この話をすると客がすくみ上がってね。ほら、あんたらみたいに」


 俺とユーザリは、無意識に身体を硬直させていた。話を聞いただけなのに、我が事のように冷や汗が出てくる。


 店の外にリピを連出したとは思えないから、客は素人の手でピアスを付けたということだ。


 想像するだけで、目眩がしてくる。麻酔もなにも使われずに、急所に穴なんて開けられたら誰だって激昂するだろう。


 客は火傷したというが、それだけで済んだのは本当に幸いだ。俺だったら、相手を刺し殺している。


「あの……この方が、新しいご主人様になるんですよね?」


 リピは、不安げに女主人に尋ねる。


 急所にピアスの穴を開ける客の話を聞いたせいもあって、新しい主人に怯えるリピの姿が憐れに思えてならない。ユーザリは、そんなことをしないので安心して欲しい。


 女主人は大仰に頷いて「そうだよ。しっかり、仕えなさい」とリピに言い聞かせた。


 その言葉を聞いたリピは、改めてユーザリに向き合う。店の雰囲気を演出するための蝋燭の光に照らされた、淡い色合いの金髪。長いそれが、リピの動きに合わせて軽やかに揺れる。


「これから、よろしくお願いいたします。誠心誠意、仕えさせていただきます」


 頭を下げるリピの声は、少しばかり緊張をはらんでいた。主が変わったのだから、無理はないだろう。


 見たところ、リピはまだ若い。人のよっては、幼いとすら言えるほどだ。


 エルフの血を引いているせいで老化が遅く、精神年齢が体に引っ張られているのかもしれない。ならば、いきなり環境が変わるのは強い不安が伴うだろう。


 これは買い取った後の環境の変化が響くのかもしれないなと、俺は考えた。


 幼い奴隷のなかには、主が変わることにともなう環境の変化が酷いストレスになることもある。その場合は、ちょっとしたケアが必要となるらしい。 


 俺は、ユーザリの方を見た。


 ソファーに深く座り込んだ彼は、ぐっすりと寝入っていた。これは、朝まで起きないだろうというほどの安らか寝顔だ。


 自分を買ったばかりの主が爆睡しているのだ。これは、リピでなくとも戸惑うだろう。


 リピは、所在なさげに俺の方を見た。


「安心しろ。……ちゃんと持ち帰るから」


 その一言に、リピは安心したような顔を見せた。


 俺としては、ユーザリのことを持ち帰ると言ったつもりだった。しかし、リピは自分を連れて行ってくれると考えたようだ。


 だが、この状況では置いてけぼりにされたっておかしくはない。なにせ、主が寝ているのである。


 とりあえず、俺は眠ったまま起きないユーザリを背負って帰ることになった。


 無論、リピも連れて行かなければならない。売買契約が結ばれた今となっては、店はリピの居場所ではないからだ。


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