第23話

        27.火曜日午後5時


 次の日には、三船洋子の所有する別荘が群馬県にあることをつきとめた。高橋清彦と三船洋子が、よく群馬県内におもむいているという梶谷の情報を突破口に、鹿浜署の井上の警察力を駆使して判明したのだ。

 さらにその翌日──本日。長山と井上が、サンホウ商会に話を聞きにいった。群馬の別荘のことをたずね、そこを調べさせてもらいたい──と揺さぶりをかけた。が、長山の話によれば、三船洋子にも高橋清彦にも、動揺した様子はなかったという。とはいえ、別荘の捜索は拒否された。物的証拠のない状況では、令状を取れない。警察官では、それ以上の捜査は難しい。

 で、翔子は考えた。

 警察官はムリでも、一般市民なら、やってしまってもいいのではないか──と。

 もちろん、長山には猛反対された。

「警察官として、不法侵入を見過ごすわけにはいかない! 逮捕しなけりゃならない」

 スコップを持参し、ライト付きのヘルメットで完全武装した翔子に、長山が言った。

「群馬に行くんですから、管轄は群馬県警です!」

 翔子は、言い張った。財団本部の玄関口だった。表には梶谷の運転する車が待機していた。

「眼をつぶってください!」

「……困らせんでください」

「まあ、いいじゃないですか」

 久我が言った。そのほかには、中西と遙もいる。

「彼女を犯罪者にするつもりですか!?」

「中西さんに調べてもらいました」

 久我は、一枚の紙を持っていた。

「三船洋子の所有する別荘は、建物自体は三船洋子のものですが、土地の持ち主は別人です」

「親類ですか?」

「さあ、それはどうでしょう。ですが、この持ち主に許可をとればいい。埋められているのだとすれば、建物内ではなく、外のはずです」

「その持ち主が共犯関係だとすれば、許可はしないでしょう」

「中西さんは、さらに調べてくれています。この持ち主、さきごろ株で大損しているようですね」

「それが?」

 久我は紙を中西に渡し、携帯でどこかにかけはじめた。

「もしもし、綿引さんですか? あなたが所有している山を売ってもらいたい。群馬県にある山ですよ。え? それは売れない? しかし、あなたは株で出した損を取り返さなければならないはずだ。どうしてそんなことを知ってるか? そんなことはどうでもいい。値段はいくらがいい? 十億でどうだ?」

 みんな、その金額を聞いても驚かなかった。すでに免疫ができている。

「本当に出すよ。私の名は、久我猛だ。本物だよ。金は、いますぐに振り込む」

 すでに銀行の業務は終了しているはずだが、久我が視線で合図を送ると、中西がどこかに携帯で連絡をとりはじめた。二言三言会話をすると電話は切られた。その間、一分も経っていない。中西は、久我にうなずいてみせた。

「いま、手続きは終わった。あなたの口座に十億が振り込まれているはずだ。信じられない? もし、いまあなたが自宅でこの電話を受けているのなら、そちらの固定電話に銀行から報告の連絡があるはずだ。ほら、後ろで鳴ってるのは、その知らせだよ」

 どうやら綿引という人の、家の電話が音をたてているようだ。

 三十秒ほど、沈黙がおとずれた。

「どうだった? どうして、あなたの口座番号を知っていたのか? そんなことは些細な問題だ。あなたは十億を受け取った。契約は成立ですね。必要な書類などは、こちらから郵送します。それにサインして送り返してください。では、そういうことで」

 翔子は、ポカンと口を開けていた。それを自覚して、急いで閉じた。

「自由に行ってください。もう土地は、ぼくのものですから」

「その山……本当は、どれぐらいの値打ちがあるんですか?」

 そう訊いた長山も、呆れ顔だった。

「一億の価値もありません」

 中西が答えた。

「二千万ほどかと」

 湯水のように使うとは、まさにこのことだった。

「ぼくが、あなたに手を貸すのは、ここまでです。あとは、あなたの力でみつけてください」

 言われるまでもない。翔子は思った。

「では、私も行きます」

 仕方なしに、という表情で長山も声をあげた。

 こうして翔子は、長山をつれて、梶谷の運転する車で群馬の山中に向かった。



 高速をつかっても、二時間以上かかった。深緑があたりを満たしている。ただし完全なる闇のなかなので、樹木の香りでしかそれはわからない。ヘッドライトの灯火に浮かぶ森は、黒々と周囲にそびえている。

 別荘は想像よりも大きなもので、大富豪の邸宅のようなたたずまいだった。西洋風の造りで、ドラマのなかにしか存在しないようなスケール感がある。正面玄関の左斜め前方に立派な木が生えていて、明るい日差しのもとで眺めたら、とても絵になる光景だろうと思えた。

 幸いなことに、建物を取り囲むような柵や門は存在していなかった。いくら土地の所有者であっても、囲いのなかに無断で入ってしまえば、不法侵入で訴えられる。長山もそのことに安堵しているようだった。

 翔子はヘルメットを装着し、ライトをつける。スコップを手に、どこを掘るか物色をはじめた。

 いったい、どこに埋まっているのか……。

 捜索範囲は広そうだ。闇雲にさがしていては、この人数なら半年はかかってしまう。

 遺体を埋めるなら、どこにするだろう?

 考えあぐねていると、車のエンジン音が聞こえてきた。梶谷の車はエンジンをつけっぱなしでヘッドライトを灯しているが、それとはべつのものだ。


        * * *


 急ブレーキに近いかたちで止まった車からは、高橋清彦と三船洋子が降りてきた。長山は面識がある。つい今日の午前中のことだ。井上とともに、話を聞きにいったのだ。

「どういうことですか!? 長山さん……でしたよね?」

「土地の所有者からは、許可を得ています」

「ここは、わたしどもの家です!」

 三船洋子が食ってかかった。気持ちはわからないでもない。半分反則技を使ったようなものなのだから。年齢は五二歳。それよりは若く見えるが、化粧の厚さが長山の印象に強く残っている。

 高橋清彦は五七歳。こちらは、それよりも老けて見える。貫祿があるといわれればそうなのだが、多分にうさん臭さが漂っている。フィクションのなかに出てくる老紳士然とした詐欺師──そのような感じだ。

「しかし、この土地を所有していた綿引さんは、ここを手放して、いまではべつの人の持ち物ということになります。その方の許可のもとに捜索しています」

「そのことなら聞いています!」

 おそらく綿引からの報告をうけて、慌ててやって来たのだ。

「でしたら、了解していただきたい」

「ですが、不法侵入でしょう!?」

「この建物のなかに入れば、そうなります」

「ここも、わたしどもの庭になります!」

 そう主張するのも無理はなかった。建物を囲む仕切りこそないが、別荘の前には花壇が設けられ、あきらかに自然に生えたのではない樹木も植えられている。

「三船さん、あなたの所有しているものは、あくまでこの建物だけになるはずです。土地は、あなた方のものではありません」

 長山も、そう言い張るしかない。ここまで来てしまった以上、腹をくくった。

「そうですか……わかりました! 好きなように調べてください」

 三船洋子は言い放った。だが、ヤケクソになったわけではなさそうだった。激昂はしているが、顔にはまだ余裕があふれている。高橋清彦にしても、それは同じだった。午前に聴取したときも、それは感じていた。長山の経験から照らし合わせてみても、遺体はここにない。

 そもそも、こんな別荘に隠すぐらいなら、もっと人の寄りつかない山奥に埋めてしまえばいいのだ。みつかったときのリスクを考えることはあっても、だからといって、ここが安全とはいえない。それこそ、頑丈な門と高い柵で仕切られた邸宅の庭ならば、そう企むかもしれない。が、この場所は、容易に立ち入ることが可能だ。山には、山菜などを取りに、不法に入ってくる人間だっているだろう。ずっとここに住んで、見張りをたてているのなら話はべつだが……。いざ、遺体が発見されてしまったときは、それこそ言い逃れができなくなる。それならば、なんのゆかりもない土地に投棄したほうが、まだ安全だ。

 この建物のなかだろうか?

 その推理を、すぐに長山は打ち消した。

 発覚する危険は少なくなるが、別荘としての価値はなくなる。どんな凶悪犯であれ、遺体が隠されている場所でくつろげはしない。こんな立派な家を、まさかそんなことのために購入はしないだろう。普通に別荘として使用していると考えるほうが自然だ。

 以上のことから、ここに遺体は──森元貞和は眠っていない。

「長山さん!? わたしは、あそこを掘ってみますよ」

 動かないことに業を煮やしたのか、翔子に声をかけられた。

 それでも長山は、行動を決めかねていた。潔く引き下がるか、悪あがきで一帯を掘り尽くすか……。

「どうしました? さがさないんですか?」

 棘を隠そうともせず、三船洋子は言った。どこか勝ち誇ったような表情なのは、気のせいだろうか。

 ここには、無い。

 だが、引っかかる……それは、なんだろう?

 長山は、すぐに答えを導き出した。

 久我だ。あの男が、ここへのヒントをくれたのだ。久我が、真の首謀者は高橋清彦のほうではなく、三船洋子と教えてくれたから、ここまでたどりつくことができた。

 おそらく翔子の読みどおり、久我は詐欺グループのことを知っていた。彼のことだから、当てずっぽうを口にするとは考えづらい。ではやはり、ここのどこかに埋まっているのだろうか?

 だが三船洋子の様子を見るかぎり、ここを掘ってもなにも出ないだろう。

「長山さん!?」

 翔子の声が、どこか遠くから聞こえてくるような錯覚におちいった。

 ──あの久我って男、どこか得体が知れないな……むしろ、犯罪者に近い。

 上野通り魔事件の管理官の言葉だ。

 長山は、それをただの印象についての感想だと考えていた。

 いや、管理官もそのつもりで発言したのだろう。が、もしそれが……本質をついていたとしたら?

「どうしたんですか、長山さん!?」

 ここを掘っても、なにも出ない。

 そうだ。ここには、無い。

 すくなくとも、三船洋子たちは

「竹宮さん! どこに眼がいった!?」

 急に問われたからか、翔子は困惑していた。それでも長山は、問いを繰り返した。

「どこに眼がいきましたか!?」

「え……? どういう意味ですか!?」

「ここについたとき、なにを見ましたか?」

「え!?」

「いいから、答えて!」

 わけもわからずといった様子で、翔子は指をさした。

 それは、一本の木だった。

 夜のなかでは、それがなんという種類の木なのかまではわからない。高さは7メートルほどあるだろうか。品種がさだかでないから、それが過去にどれぐらいの大きさだったかは想像でしか語れない。

 半分の高さだったとしても、それなりに目立つ樹木だ。

 豪華な建物からは、5メートルほど離れている。玄関を正面に見て、左斜め前方に生えているものだ。位置から考慮すると、もともとこの山にあるものではなく、この別荘を建てたときに植えられたと考えるべきだ。周囲の木々とは、幹の質感や葉の形がちがっているようにも感じる。それもこれも、闇がハッキリとは判別させてくれないのだが。

 長山は、ゆっくりとその木に向かった。

「スコップを」

 翔子に言った。受け取ると、その木の根元を掘りはじめた。

 数秒遅れて、無言のまま、翔子と梶谷という記者もそれにならった。車のヘッドライトと、翔子と梶谷のヘルメットにつけられた灯が照らすなか、ザク、ザク、という雑音だけがしばらく響いた。

「なんにも出るわけないわよ」

 土を掻く音と匂いに嫌気がさしたのか、三船洋子が口を挟んだ。あいかわらずの余裕を滲ませていた。

 どれぐらいの時間が経過しただろう。穴の深さは、1メートルほどになっていた。

「あるわけないのよ、なにも」

「あなたたちは、この山のどこかで、森元貞和さんを殺害したんだろう?」

 手を止めずに、長山は訊いた。

「なんのことを言ってるの? 彼は自分の意志で失踪したんじゃないかしら」

「いいや、ちがうね。あんたたちが殺したんだ」

「警察が証拠もなしに、そんなこと言ってもいいの?」

「証拠なら、すぐにみつかるよ」

 ひたすら掘りつづけた。

 この山のどこかで殺害されたのだ。だからこそ、彼らはここに来た。この別荘の周囲ではない。もっと遠く、奥地のほうだろう。別荘の捜索に脅威は感じていないが、この山の捜索には心配があったのだ。だから、こんなところまで追いかけてきた。

 三船洋子と高橋清彦は、ここになにも無いことを知っている。

 しかし長山は、ここにがあることを確信していた。

「ん!?」

 声をあげたのは、梶谷だった。

「どうしたんですか?」

「なんかあるぞ、竹宮!」

 翔子が屈み込んで、なにかを手にした。

 ライトのなかに浮かぶそれは、人骨のようだった。腕の骨のようだ。翔子はそれがわかっても、おびえる様子もなく、むしろ死者に敬意をはらうように、かたわらにそっと置いた。

 そこからは、長山が手で掘った。慎重に。

「う、嘘でしょ……」

 頭蓋骨が出てきた。呆然とする三船洋子の声が、闇に溶けた。

「し、知らないわ……」

「まだなにかあります!」

 翔子がみつけた。それは、ビニールに入ったなにかだった。

「凶器……です」

 付着した泥を落とすと、血のついた刃物だとわかった。

 殺人事件であることを決定づけ、さらに犯人につながるであろう遺体と凶器が、ここにそろった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る